卒業式に贈る言葉(仮想)&君が代、日の丸

北海道立高校での出来事
 なんか、クレーマになりたくないので、要所は押さえるけれど。新聞の馬鹿さかげんと高校のOB面した市会議員の馬鹿さかげんには怒りをおぼえる。おいおい、朝日新聞とK議員だちゅうの(おさえてないって!)。
 北海道の高校での君が代、国旗掲揚の率は98パーセントとか統計(トーケー)してる新聞社も馬鹿だけど、具体的に国旗も国歌も無かった高校の「何故無かったか」をリポートしてるマスコミは希有だった。
 なんでだぁ。朝日新聞ですら、具体的高校名を掲載していない。もはや新聞はジャーナリズムではなくて、食品に添付されている乾燥剤みたなもので、世の中の付け足しなのか?。
実態をレポートできるのは僕のような「市民」しかないのか。
 北海道で今年、君が代も、国旗も無かった卒業式を迎えたのは札幌西高校と、帯広(釧路かもしれない)西高校の2高だけである。悲しいかな、僕の出身である小樽潮陵高校も「決まりですからぁ」みたいに従ったようだ。
 馬鹿も休み休みに言えと言うが、どうも馬鹿は休まないようだ。卒業式に呼ばれた「来賓」(つまり、卒業式の主賓は卒業する3年生なのだ)が、壇上から「教育は国家の税金でまかなわれている。だから、卒業式には国旗や国歌を歌わなければならない。来年は、それが実現するように希望する」と馬鹿まるだしで述べたらしい(会場に僕は居なかった)。まったく、もう「死んだらええのに!!!」
 会場ですでに「馬鹿じゃないのアノシト」みたいなざわめきがあった。しかも翌日のホームルールでは、「壇上から一方的に述べ、反論の場が無い席で、自分の主義主張を、こともあろうに卒業生へ贈る言葉として述べる精神は、異常ではないか」との冷静な生徒の批判を呼んでいる(あたりまえの高校生の反応におじさんは安心するのだが)
 ま、武士の情け、名前は出さないが、おいおい、Kよ、何を勘違いしているのか。場をわきまえることすら出来ないのか? 自身の選挙演説の場では無い。主役は卒業生である3年生。それに祝辞を述べないで、自分の主義主張を述べるのは場壊しの乱入だろうが。親父の笠を着た不出来な息子が西区ではぶりきかすほど甘くないぜ。次回は落選確実だな。
とまぁ、先の市議会議員Kや道議会議員の親父も含めて「Noと言えるMintさん」なのだ。

主役は卒業生
 実は僕は高校の卒業式を経験していない。別に中退した訳でなく、卒業式が過激派学生(生徒)の乱入で成立しなかったのだ。だから卒業生に贈る言葉なんてのは聞いていない。僕は当時ノンポリでどうでもよかったのだけれど、校長の挨拶をマイクを取って阻止する学友や、着物姿で壇上に登るPTAのおばちゃんを蔑んで見ていた。何故ならば、当時の僕は組織から離れられることが嬉しかった。小樽潮陵高校の生徒でなくなる卒業式は僕に取っても旅立ちだった。
 僕は常に思う。卒業とはいままでのしがらみを越えて新しい自分の場を開く式典だと。だから、入学式と卒業式を比べると卒業式ほどドラスティックなものはない。
その巣立っていく人たちに一言だけ言いたいのは、社会は複雑怪奇である。だが、自分が基本である。自分を形成する。それが大事であり自分を形成するってことは自分で自分に責任をもつことを学ぶことで、それが出来ないと人生は無味乾燥になるってこと。
 そんなの頭のいい道立札幌西高校では常識なのだ。過去の学校祭で会った子供たちはそれを解っている。だが、卒業式に呼ばれた過去の卒業生の中には解っていない者が居たようだ。
 来賓のなんたるかは社会人の常識である。馬鹿息子はそれすら解っていないらしい。卒業式で卒業生に「贈る言葉」くらい人生の先輩としてキッチリ話せないでどうする。こんな非常識人が市会議員なのが札幌市の民度の限界なのかもしれない。
 そう言えば、亡くなった板垣市長は毎年町内会の盆踊りに顔を見せていた。市長の選挙対策かと思っていたが、そうでも無いようだ。毎年欠かさず顔を出すために、盆踊り期間の3日間は1会場5分程度で夜9時まで札幌市内を車で走り回るらしい。しかも、それぞれの会場で去年とどう違うか全部把握していたらしい。(あくまで、噂で聞いただけだが)。
 今の桂市長にはそんなバイタリティは無い。市職員の最高管理職であって、市民から選ばれた代議員たる認識が薄い。
 「東京から日本を変える」とは先の石原東京都知事の選挙スローガンだが、まさに、職員の代表が選ばれるような地方自治では「日本は変えられない」。首相国民直接選挙が僕の希望だが、実は地方自治では議会と組長のそれぞれを住民の直接選挙で選んでいる。どちらも選挙で直接選ばれた者である。その両者が良い意味の緊張的対立関係が有ってこそ民主制度が健全に運営される(敢えて、民主主義と言う言葉は避ける)。

来賓の選定を間違った道立高等学校
 もう、いいです。好きにして(笑い)。
 僕が卒業式に当事者として出ていたら、喧嘩売っていたでしょうね。朝日新聞のように、来賓が市会議員だから名前を伏せたりはしない。馬鹿は馬鹿です。で、ネットワーク社会が成熟すると、馬鹿なことを言う者は馬鹿にされる。それがネットの掟なのだから。
 ところが今の社会は地位ある人は来賓になる。地位無き市民は頭を垂れて話しを拝聴する。そんな形式主義があるから「馬鹿が戦車でやってくる」になる。卒業生に贈る言葉が特権階級にしか与えられない利権(?)になってしまう。
 つまり、国旗を掲揚することや、国歌を斉唱することと、馬鹿な来賓が馬鹿な話しをすることとは同根であることに高校の理事者は気がつくべきだ。
 卒業式が「体裁をつくろう儀式」なら国旗も国歌も馬鹿なOBの暴言も全て「儀式」にありがちな退屈で無意味だが無くてはならない時間潰しだ。
 がしかし、卒業式が旅立ちの節目ならば、そこの主役は卒業生そのものであり、他の全てのものはわき役である。で、名脇役とは何かを考えてみれば、学校運営者の責任として何をなすべきか自ずと解るはずだ。
 答は簡単。卒業生を送る人々の「自主的な」参画により執り行われる卒業式。卒業式の開催場所と開催日時は知らせるけれど、主役は卒業生、主催も卒業生やそのわき役。名称も「卒業証書授与式」って、これ西高もやってたなぁ。教育委員会がガタガタ言ったら、学校の体育館を使わなければ良い。教育委員会がガタガタ言ったから学校は使えなかったと公表したらいい。
そして、一過性の卒業式だけでなく、これから卒業生が進む社会とはいかなるものかを人生の先輩が名脇役となって語る場であれば良い。それを決断できるかどうかは、「卒業式は誰のものか」を考え、その考えた結論に従えば良い。それが、デモクラシーだ。それが真の卒業生に贈る言葉になってくる。

僕の経験した卒業式
 先に書いたように僕は高校の卒業式を知らない。大学の卒業式は就職先の研修が始まっていたので、出席していない。ただ、大学の入学式では「国歌斉唱」が(昭和46年のこと)あって、僕は一人だけ席を立たないし斉唱もしなかった。学生部長の声だけが体育館に空しく響いていたことを覚えている。同じように席を立たなかった奴が同じ学部に居たが、そいつは卒業後地方公務員になった(爆)。
 で、中学校の卒業式はほとんど記憶が無い。希望の高校に合格した者、不本意だが希望以外の高校に進む者、少数だったが就職を選んだ者。そんな境遇の違いを越えて卒業を受けとめるだけ僕は心の広い人間ではなかった。早くそれぞれの道が始まれば良いと思っていた。
 唯一、僕の記憶に残る卒業式は小学校のものになる。校長が数日前から入院して、卒業証書授与は教頭が行うとか、校長の「卒業生に贈る言葉」は書面で教頭が代読するのだとか、当時親がPTAの役員なんかをやっていたものだから事前に情報が入ってくる。
 当時の小学校の規模は1クラス50名で僕の居た小学校は5クラスあり、250名に卒業証書を渡さなければならない。時間にして一人10秒としても2500秒、40分ほどかかる。担任に名前を呼ばれてそれぞれ壇上で卒業証書を受け取る。
 当日、卒業生として会場に入場すると校長先生が来賓と一緒に壇の横の席に座っていた。病院から抜け出して来たんだ、親たちの電話のやりとりを横で聞いていた僕は思った。
 卒業証書授与が始まった。壇上には校長先生が立つ。僕は4組だったのだが、3組の証書授与あたりで、校長先生は片手を壇上の机について身体を支えるようになった。僕たち4組が卒業証書を受け取るために段の下に待機する頃には教頭を含めて来賓が校長先生を椅子に座らせて証書授与を続けるよう話していた。僕の4組に替わる前に、壇上で校長先生に椅子を持ってきますかと進言していたように思う(なんせ、昔の話しで記憶が定かでないが)。
 しかし、僕たちの組も含めて5組が終わるまで校長先生は壇上で一人一人に卒業証書の授与を続けた。
 そして、その後、卒業生に贈る言葉を話してくれた。
 その内容は「裸の王様になるな」って内容だった。40年も経ったがはっきり記憶している。
 その話の間、僕は内情を知っていたので、このまま校長先生が倒れるのではないかと思っていた。現に僕の席から見える先生の席や来賓の席では何があっても良いように待機している雰囲気があった。その詳細は以下の仮想卒業生に贈る言葉の中に引用しておく。
要は、40年も記憶に残るすばらしい「卒業生に贈る言葉」だったのだ。
ただ、世の中は一筋縄では行かないので以下にカウンターバランスとしての「逆裸の王様」も別項に書いておく。

button  さらに、裸の王様

仮想Mintの卒業式に贈る言葉(笑い)
 とまぁ、僕の小学校の卒業式で校長が話した言葉は、もう40年弱にならんとするけど今でも憶えている。それは必死の校長先生なんて悲愴感ではなくて、小学校を巣立っていく子供達に伝えたい校長先生個人の熱い思いを感じたからだろう。
その話しを真似して、今年(2000年)の某高校(もう、書かれてるって!)の来賓として僕が呼ばれたら話すだろう話しを書き留めておきたい。
 会場の来賓席で僕は片手に日の丸の旗を持ち座っている。
司会の先生が声を震わせ(こいつ、何を言うのだろうと恐れながら)「ここで来賓のMint様から御祝辞を賜ります」なんて言う。僕は、さきの格好のままで壇上に進む。
---------以下仮想、卒業式に贈る言葉来賓挨拶----
みなさん、ご卒業おめでとう。
みなさんが、この高校の枠を離れ新たな旅立ちを迎えることを心からお喜び申し上げます。
 思い出すと3年前、たぶんみなさんはこの高校に合格して新しい道を切り開いた充実感を得ていたと思います。だけど、その高校の制服、外見の制服ではなくて枠と呼んだらいいのでしょうか、その枠の中で3年間を過ごし、その制服、あ、枠ですよ。その枠から旅だっていくのです。別に太った訳でもないのに何故かこの制服はみなさんにとって窮屈になってしまったのです。それは当然ですよね。この学校はみなさんが学ぶために集まった場です。そこで学べば学ぶほど、ここの学校で着る制服は窮屈になってしまいます。
 さて、この学校を、その制服が窮屈なくらい生長したみなさんが旅立つ時に、私たちは何を話したら良いのか迷います。みなさんの未来には無限の可能性があり、そして来賓として呼ばれた私や、ま、申し訳ない言い方ですが、ご同席いただいた先生がたには、実はみなさんと比べて「無限の可能性」はもう有りません。
 でも、今日、此の場に参加出来ることは「無限の可能性」は無くなったかもしれないけど、「無限の可能性」を持った人たちに会える喜びでいっぱいです。
 実は、みなさんは生まれてからずっとおとうさんやおかあさんの庇護の元、難しい言葉ですが、社会に守られて今過ごしているのです。そして大人になって、自らが守る後輩も徐々に生まれてきます。数が増えてきます。
 お説教みたいな話しをこの卒業の晴れの舞台でするつもりはありません。少し、私の経験を卒業されるみなさんに、おお伝えしてみたいと思います。
 みなさんは、子供の頃に「裸の王様」の話しを聞いたことがあると思います。最近はそんな童話も親から子に伝わらないのかしれませんが、もし知らない人は何かの機会に童話を読んでください。
 たぶん、みなさんの中の多くの人は大人になることが、なんか今までの自分と違うことを求められてるようで窮屈に感じると思います。まぁ、両親や家族から「18才にもなってぇ」なんて言われることも多いでしょう。それはそれでしょうがないのです。何もしなくても、一生懸命生きても時間は誰にも平等に過ぎます。平等なら何もしないほうが楽じゃんと思う人もい居るでしょう。そして、それはそのとうりなんです。
 何もしなくても、何かに一生懸命になっても人は365日で1歳老いていくのです。
 さて、前の話に戻りますが、これからみなさんが進む社会は、「裸の王様」の世界なんです。残念なことに「王様は裸じゃないか」と言うことに勇気を必要とする変な社会なのです。
 私が日の丸の小旗を持って壇上に上がった時に、何の話があるのだろうと思った方は手を上げてみてください。(突然に言われては手を上げる子どもは少ない)
では、変な奴だなぁと思った方は手を上げてみてください。(さっきより手を上げる子が多い、会場に笑いが起きる)
 参列されてる先生の中にも「変な奴だなぁ」と思った方はいらっしゃるのでしょうが、手を上げていただけませんでした。
 絶対、思いましたよね。
 まず、さっきの「裸の王様」の話を思い出してください。私が小学校の卒業式の時に校長先生が「何時までも、王様は裸じゃないか、と言える人に育って欲しい」と言われました。
 今から40年も前の事で何故憶えているのか不思議でした。実は、ズーット忘れていたのです。やがて大学を出て会社に務める頃になって、小学校の卒業式で校長先生が言われたことが解ったのです。それは、自分が「王様は裸じゃないか」と言えるようになることではなくて、その時の卒業生を前にして「裸の王様」の話をした校長先生の気持ちが解る歳になったってことです。
 私が今、みなさんに話したいのは、声に出して「王様は裸じゃないか」と言えということではありません。そんな事したら時と場所によっては逮捕、死刑一歩手前、なんてなりますから。そこまで行かなくても「なんかぁ、あいつ嫌いぃ」とか言われて仲間に入れてもらえなくなるかもしれません。その時に、私に、男女7人秋物語の大竹しのぶさんのように「どうして、あんなこと言ったのよぉ」とか言われても困ります。あれ、みんな中学校の頃見てなかったのかな男女七人秋物語りを。
 「王様は裸じゃないか」の精神と言ったら良いのでしょうか、そんな事を私の小学校の卒業式に校長先生は言われたのだと、それから10年経って社会人になったときに解ったのです。
 みなさんも、さっき手を上げた人、上げなかったけど心で思った人。来賓の挨拶なんでどうでもいいやと別な事考えていた人。さまざまでしょうが、「王様は裸じゃないかぁの精神」をどこか心の隅に置いておいてください。
 はなはだ、簡単ですが、私の卒業生に贈る言葉とさせていただきます。

とまぁ、ここで終わったら、「日の丸の件はどうなった」とすかさずツッコミがあるといいのですが。
この卒業式の主役である卒業生に何か形として祝えるものをと考えたのが、昨今、議論百出のこの旗です。主役である君達はこの旗をどう感じているだろうか。その点を考えてみました。私は、全国で高校を卒業する100万人くらい居るのでしょうか、その人たちは日本代表だ。だから、日本の国旗と呼ばれる旗を胸に卒業してもらいたいと思ったのです。君達は高校の卒業生として日本代表なのです。もちろん国際化の社会ですから、日本以外の国からみえている留学生の方にはその国の旗を付けていただきたい。
この式典が日本を代表するものでは無く、ここに集う卒業生個々人が代表なのです。
 おや、俺は日本の代表と言うより、将来のスンガデンバオ国の国王になるんだって人はスンガデンバオ国の国旗を持って式典に参加すれば良いのです。あ、スンガデンバオ国って「オバンデガンス」の逆さ読みですから、実在の国ではありませんよ。大学の入学試験の地理を選択している人をあわてないように。
 これは、30年くらい前に、NHKの「おかぁさんと一緒」で今は声優の田島令子さん、最近3年B組金八先生で引きこもりのお兄ちゃんの母親役されてますよね。見た人も多いと思いますが、30年前は「おかぁさんと一緒」の「おはなしコーナー」担当だったのです。そこで話していた国の名前です。なんで、こんな事まで私は憶えているのでしょうね。わけ解りませんが。
 みなさんが高校受験に必死だった頃に、サッカーのワールドカップ出場を掛けた全日本のジョボーバハルでの試合があったと思います。進学校では関心が無い話題かもしれませんが。その時、みんな日本代表がワールドカップに出場出来る事を願った。なんせその4年前は「ドーハの悲劇」と言われるような惨状で出場が出来なかったのだから。
 あ、ジョボーバハルもドーハも実在の地域ですよ、さっきのスンガデンバオとは違います。地理を選択した人、大丈夫ですよね。
 で、その全日本代表と同じなのです。私たちは、あなたたちが何を胸にこの高校を巣立っていくのか強制はできません。あたりまえです。だから、今度はあなたたちが答える番です。さて、あなたたちは個々、何を胸にこの卒業式に挑んだのかな?

 それを考えるきっかけになればと、こんな小旗を持参しました。
君達は今、北海道の代表であり、日本の代表であり、世界の代表だのです。あくまで今日だけで、明日は知りませんが。
 その事を胸に、実は自分が主役だったんだといまさら気がつくような脳天気さを捨てて、これから描く人生と呼ばれる物語では常に自分が主人公なのだと自覚を持って、主人公は主人公たる責任もまたあるのだと生きて行って欲しいと思います。
 大人になるってことは、だんだん自分が主人公になるってことだと、この卒業式で解っていただければ、私がこの壇上に立った意味もあるでしょう。
 卒業おめでとう、と言いながら「おめーら、これからが大変なんだぞ」と囁く大人の悪さにも、そろそろ気がついてもいい年頃でしょう。
この言葉をみなさんに贈って、私の祝辞だか説教だか解らない挨拶に替えさせていただきます。
ありがとうございました。


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2000.02.29 Mint