天皇と呼ばれた人々

最近「天皇」が居なくなった
 本当にふと振り返って、何時の頃から「天皇」と呼ばれる人が居なくなったのだろう。昭和天皇が亡くなられた頃では無いと思う。もっと昔から「天皇」と呼ばれる人は居なくなったと思う。
権力を振り回すワンマンが「天皇」の称号だろうか。それとも、意味もなく畏怖の念を抱かせる者が「天皇」なのだろうか。どうも前者ではないかと思われる。とすると、コンピューター付きブルトーザと呼ばれた田中角栄の時期に「天皇」の称号が消えたのではないだろうか。
 いやいや、マスコミの天皇家報道に見られる主義主張を越えたナーバスさが、「天皇」と言う語彙そのものを死語にしたのかもしれない。それとも、天皇にこだわる世代が衰退したのかも
 国歌だ国旗だとアナクロな議論をしている間に天皇の国事行為そのものが何処か議論の外に出てしまったような気がする。憲法で定められてる天皇の国事行為を考えると、日本の国では天皇を人質と言うか味方と言うか拉致と言うかして、今までの「おきまり」の国事行為にNOと言わせれば国会すら成り立たなくなる。しかし、この事は少数の人しか知らない。学校では日教組の思惑なのか平和憲法を絶賛するが残された天皇の国事行為に起因する日本の政治体制の脆弱さも憲法が含んでいることを教えない。ま、知らない人間には教えられないのは当然だが。
 新憲法が発布されてからの日本で最悪のテレビ番組に「皇室アルバム」がある。天皇家は日本の象徴であり国民のアイドルでありファミリーであるみたいな皇室アンタッチャブルの姿勢が愚劣に現れてる番組だった(今でも有るのかぁ?)
 「平和憲法教」にも困ったものである。憲法第9条を「戦争放棄」と呼ぶが、これって書いてない。まったくの嘘、もしくは用語の置き換えであり不勉強である。まして日本の憲法を「平和憲法」なんて何処から読めるのか。全て不勉強で他人の発言を引用して自分の発言にしている者の証左だ。
 日本は「国権の発動としての武力を行使しない」と憲法9条に書いて有る。また「外交的手段として武力はこれを用いない」とも書いて有る。これは、「日本は外交を放棄し、何処かの国に二股膏薬のようにペタペタする」って意味と同じである。つまり、独立国では無い。これを「平和憲法」と呼ぶのは日本くらいなものだろう。「日本は敗戦により押しつけられた憲法を誇りにしている変な民族」これが外国人が日本の憲法を調べると思うことだろう。国民が国会で決議しても武力行使出来ない憲法が国民の為になるのだろうか。

「天皇」が居ないのは何故?
 すごく恐いと思うのは法律(憲法を含む)の条文は時と共に変化しない。時が変われば名文化された条文も実情に合わせて修正されなければならない。がしかし、日本国憲法だけは55年前のままだ。
 再度述べるが、現在の憲法では「天皇」を味方に付ければ国を乗っ取ることが出来る。それが非現実的なのは百も承知だが、でも、制度として有る。NHKの戦国武将の大河ドラマを見ると時代は利用できるものを利用した者の勝ちである。
その余地を残した現憲法を「平和憲法」とか言って賞賛している脳天気な奴には苦笑せざるを得ない。実際は天皇を抱いてクーデターが出来る憲法が日本国憲法なのだから。
「天皇家」に触れることへのタブー、「平和憲法」(そんなものは無いのだが)に触れるタブー、「武力行使(戦争)」に触れる事のタブー。これらを避けて先送りしてきた先人達の後ろに付いていくだけでは無く。タブーにあえて挑戦することが必要ではないだろうか。

日本人の文化としての天皇
 北杜夫かなだいなだの本だと記憶しているが、精神病棟に5人「私は天皇」って人が入院している病院の話がある。天皇が5人も居たら血の雨が降る抗争事件になるかと思えば、それぞれの天皇は他の天皇と仲良く付き合っているとのこと。それが、精神病棟故の必然性なのかもしれない。
 旧来の「天皇」の用語は「ドン」に置き替わったのかもしれない。天皇には権力のイメージが無くなり適語の地位を「ドン」に譲り渡したのだろう。「政界のドン」、「金融機関のドン」、なんて使う。
 しかし、名文化された天皇の権威とも言える国事行為が変更された訳では無い。一番危険なのは「象徴天皇」の言葉に騙され「今そこにある危機」を見なくなることだ。それが一番日本的である。法律条文があってもナァナァで勝手に解釈して、よもや使われることは無いだろうと善意に解釈し、放置する。
 天皇制とまでは行かないが、天皇の国事行為には決して「象徴天皇」では無く、敗戦の時に「無条件降伏」と言われながら国体護持だけは勝ちとった証拠なのだ。それで多くの国民が満足した。その根底には「天皇は悪くない、すべて軍部が悪い」と戦後の思想リードのシナリオがある。「象徴天皇」、「平和憲法」、そして「日米安全保障」と実態とは微妙にずれた耳障りの無い言葉で思想を故意にリードしてきたのだ。(何処の新聞社がその片棒を担いだかは述べないが)
そして、社会が少し右に寄ったときに、実は思想ミスリードでは封印されていたはずの召喚魔法が復活する。

最後の天皇
 ひさしぶりに書籍で旧来の「天皇」を目にした。
それが、ロッキード事件当時の全日空社長の若狭徳地氏であり、彼が運輸省官僚時代に「天皇若狭」と呼ばれていた事を書いた文章だった。
  まだ解けない、ロッキード事件

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2000.03.15 Mint