「神々の指紋」、氷河期は何故起こる
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「神々の指紋」はトンデモ本
じゃぁ、なんでそんな本を買ったのだと言われそうなので、まず釈明(笑い)から。
最近は本を買うときはブックオフの100円コーナと決めている。何故なら、新しい情報は虚実含めてインターネットで検索可能。また、「時代を読む」みたいな本は歴史本として10年前のものを読むのでブックオフで十分。新刊を買うのは飛行機の本か、サイクリング紀行となってしまう。
たまたま「神々の指紋」のハードカバーが上下2冊揃って100円コーナーに有ったので購入。つまり2冊で200円で購入。これなら許容範囲でしょう。
「神々の指紋」の最初の未知の時代の南極大陸の地図発見の部分は読み飛ばし(実は、既に書店で立ち読みで読んでいた)。この部分が導入部としてウサンクサイので買わなかったのだが、下巻の布石だったのだと解った。下手な編集構成である。
全体として、自分に有利な情報しか利用していないので、「神々の指紋」は我田引水の本であることは変わらない。つまり、この本だけの情報では真実に迫る知識は得られない。そのことは、前もって断っておく。
しかし、まったく参考にならないかと言うと、視点の新しさを感じる部分もあるので、「神々の指紋」を鵜呑みにしないことを前提に各所で展開される新発想を紹介しておきたい。
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氷河期は何故起こるのか
「人類は知らない事のほうが知ってることより多い」ってのが僕の持論。「多い」と言うからには数で示せと言われると答えられないのだが。
人類には無限の好奇心があるので、常に「知らない事(知りたい事)」は増えている。その一つに「氷河期は何故起こるのか」がある。明確な証拠を示して論証した理論は無い。同じように「ダーウィンの進化論(種の起源)」も実は証明されていない。一番大きな理由は「実証」されてないって点があるが、実は人が持つ時間の単位を数桁越えた事象なので「実証」は難しいのかもしれない。または、淘汰の概念が生物には当てはまらないのかも。
ダーウィンの進化論については、人類の中で民族の「進化」に悪用された暗い歴史もあるが、それを除いても現実にここ100年で「進化」した生物は見られない。唯一、細菌、バクテリアレベルで「進化」は認められるが、ほ乳類のような高等生物(複雑って意味の高等)に同じように適用できるかは疑問だ。
そのような人類の数々の好奇心の中で僕は特に「氷河期」に興味がある。何故なら、高校生の頃に4大氷河期を暗記した「リュンツ期、ミンデル期、リス期、ウルム期」。それが文学作品の「第四間氷期」の前提だったりしたから。文学作品を読んでもすぐに理工系に持っていくのが僕の性格。
で、銀河系の一員の太陽系が銀河系全体の渦の中を上下する軌道の中で星間物質が濃い平面を横切る時に起きるなんて理論から、太陽活動に周期的強弱があるのだって理論とか沢山理論はある。どれも理論の域を出ない。今回の「神々の指紋」の説ももちろん理論の域を出ない。
環境破壊で氷河期?
インタネで検索するとやたらこれが多い。「氷河期」って用語を勘違いしないで欲しい。ガイア理論(正確には「ガイア仮説」と呼ぶらしい)で氷河期を説明ってのは、トンデモ無い。そもそも、過去の氷河期を説明出来ない。
さて、本論に戻って氷河期の話。
南極大陸は今でも氷河期。太陽の届かない(弱い)極地域は常に氷河期。故に地球の地軸である極が移動する現象が氷河期って理論がある。これは地球の都合で氷河期になったのであって、他の天文現象を必要としないので、シンプルで説得力ある。「神々の指紋」もこのあたりに焦点を当てている。
でもね、地球の歳差運動だけでは極移動で氷河期が起こるとは説明できない。独楽のように回る回転体の地球には歳差運動、つまり、独楽が時々回転方向と反対に首を振る現象と同じ動きをする。地球の回転軸が太陽を回る公転軌道より23.5度(現在)程傾いているので、地球に四季があるってのは公知のこと。さらに2万6000年の周期で歳差運動がある。ミュージカル「ヘアー」でアクェリアス(水瓶座)って歌は、歳差運動で春分の日に太陽が登る時に、その背景になる星座が水瓶座の時代に入って来ているって星占いの世界の常識を歌にしたもの。
理工系は「ヘアー」(あ、ミュジカルの題名ね)を見て歳差運動を考えるのです(笑い)。
独楽の首振りって一定?
このあたりから「神々の指紋」を離れて考察を必要とする、つまり僕の勝手な解釈に入るのだけれど、独楽の首振りを見ていると急にグラっときたと思ったら持ち直したりしている。回転モーメントって非常に複雑でここにもニュートンの慣性の法則が成り立つかもしれない。つまり、回転する物体は回転を維持しようと歳差運動をするって考え方。今の時代は歳差周期2万6000年の時代で、その前は違ったのかもしれない。
では、歳差周期を変える要素って何があるの?
ここで、先の「南極は氷河期」が出てくる。
地球は「水の惑星」。これって、天文学的にも「珍しい惑星」として認知されている。がしかし、宇宙にはこのような星(惑星)は結構あるよって計算も成り立つ。で、水の惑星が担う宿命ってことを地球物理学の範疇で考えている情報は少ない。
クルクル回っている独楽がある。この独楽の上と下は全体を被っている液体の水分が個体の氷として蓄積される。現に北極は海なので、夏になると氷は融けて海水に戻るが、南極では氷の蓄積は氷山で失われるよりも多く蓄積されている。つまり、この独楽(地球なのだが)の下は着々と重量を増している(1000年単位のスケールでね)。「下」って概念はご愛敬で、正確には一方の回転軸の回りが重量を増していると表現するのが正しいのだが。
回転モーメントのバランスの中で回転体そのものの重量バランスが変化するとどうなるか。それは、新たな回転軸への移行だろう。地面に立つ独楽と地球の大きな違いは、地球は宇宙空間に浮いて回転してる点だ。モーメント中心が回転軸なのだから、一方の重量が増すとモーメント軸は変化し、たぶん、歳差運動を経て新しい回転軸に遷移する。
水の星の宿命、極の移動で氷河期
もう一つ不思議な事実がある。地球の磁極は南と北が入れ替わることがあるらしい。これは地球上の岩石がマグマから冷えて固まった時に保持している磁方位情報から解った事。生成された年代によって示している磁極の方向が違い、「地殻が動かないとしたら」地球の磁極は過去に反転を繰り返していると考えざるを得ないって事実。
どうも、このあたりに推理のヒントがあるような気がする。地球の磁場は内部の鉄を中心としたマントル対流によるもの。この対流が「明日から逆に流れるからよろしく」とはならないだろう。逆になるためには「止まる」必要があるが止めるエネルギーが何かは説明出来ない。だとしたら、それを記録している土地が回ったと考えるのが妥当ではないだろうか。
つまり、万年単位の極地方の水(氷)の蓄積により地球を構成する重量バランスが変化し、地球がそれまでの回転軸を維持できなくなって回転軸を変えるって事が万年単位の地球の歴史で繰り返して来た仮説を掲げたい。
これからさき永遠に2万6000年の周期の歳差運動があるのでは無く、現在の観測値からは周期はそうだが、次の周期が来たら、つまり南極の氷が地球の自転を変える程大きくなったら、また地軸の傾きは「ゆらぐ」のだろう。それが何時かは解らないが、それが、過去の氷河期の所以であり、地球も普遍な回転体では無く南極は赤道直下になるべく地球全体の水を氷の形で集めていると考えると全体が合理的に説明できるのではないだろうか。
しかし、海底は2〜3億年存在している
自分で自分の理論にツッコミを入れてみる。(だから、トンデモ本が僕は書けないのだが)。
プレートテクトニクス理論は海底に描かれたマントル対流をなぞったような地殻の模様を証明の一要因としている。たしかにゴンドワナ大陸から大陸はマントル対流によって漂い地殻および大陸が現在のレイアウトになっているらしい。そして、その記録は海底のプレートの動きとして記録され、それの2〜3億年分の記録は現在目にすることができる。
かたや、歳差運動は2万6000年の周期であり氷河期は数万年単位のものである。最後の氷河期が終わってから1万5000年程が過ぎたと考えて良いだろう。時間の幅が4桁違う。つまり1000:1の違いである。
南極で崩れて海に浮かぶようになった氷山が何故大陸を離れ北を目指すのだろうか。これを説明するには氷山にかかる力を考える必要がある。北にある赤道(南半球だから)を目指すのは地球の自転による遠心力との考え方が一般的である。海流に乗っても正しいが、遠心力の原理からより離心している表層は赤道に向かい、深海では極に向かう流れが確認されている。つまり、全体が赤道を目指す地球の遠心力の影響を受けている訳だ。
で、氷河期に至る地軸の変動は、実は地球の直径6400kmの皮相部分、厚さ50km程の地殻と、その下のマントル対流(3層に分けている理論が多いが、地球の冷却と共に2層、そして現在は1層との理論もある。まだ良く解っていない)が中心核の運動を残したまま移動したと考えたらどうだろう。つまり、モホロビッチ線から上の薄い地殻が滑るようにずれる。その原動力は自然と蓄積される極地方の氷による回転モーメントのアンバランス。
実は神々の指紋にも書かれているのだが、アインシュタインも極の氷が遠心力で地球の地殻を滑らせる可能性を肯定している。その事象で氷河期が起こることも、ありえると考えていたようだ。
当時の南極(たぶん、現在の南極大陸の一部)には氷で出来た8000m級の山(現在のエベレスト(チョモランマ)クラス)が育ったかもしれない。ただ、裾野は岩石のチョモランマより広かった(山全体の質量はもっと多かった)だろう。この山が地球の遠心力によって北に向かう(赤道に向かう)力を常に地殻に与えていた。やがて、実際にモホロビッチ線を明確な切断面として地殻が滑った。
ま、地殻が何の痕跡も無く滑ったとは思えないので空想だが、そのような事が起こったかもしれない。
当時の文明が、地軸の移動を伝えるとしたら
非常に難しい仮定がある。壊滅的なインフラ崩壊の後で、現在の文明を維持できるかと言う事。壊滅的てのは、世界の全てのインフラが失われたってこと。現在の時代に置き換えてみよう。原子炉作りは別としても、このコンピュータ利用を全てのインフラを失った人類が再度手にするにはどれくらいの時間を要するだろうか。
必要なのは純度99.9999%のシリコン半導体。それを全てのインフラを失った人類が再度作りだせるのには何年かかるだろう。しかも知識は1世代(通常30年と言われている)で失われる。結局寿命が有限の生物である人間は、今の世代では実現不可能な自分の知っている技術と言うか製品の情報を、未来の世代に託す。その方法は当時最高の技術を利用して伝承。で、それにピラミッドが在ったのかもしれない。
とまぁ「神々の指紋」には書かれているのだが、このあたりについては僕は懐疑的である。大昔、天文を最高の学問とする文化が花開いた時代があった。当時の人類の持てる最高の技術は「石器時代」であった。故に石を使った数々の観測所を作った。また、現在に伝承されてないが、彼の文化は石器時代最高の石器技術を持っていた。しかし、当時の世界感は地球が丸いことを知ると、その全体を探検することに注がれ、航海術を補佐する天文術に流れていった。アルキメデスの原理を知らない最高の石器時代の技術者達は、舟を作る木工技術に技術の王座を奪われた。王座を奪われるってのは、後継者が育たず、技術が伝承されなかったってこと。
結局、木工には石で出来た斧より鉄で出来た道具が重宝なので、ますます石の技術は廃れていった。そして、技術は顧みる人も居ないまま廃れてしまった。
全ては謎である。がしかし、「有史以前」なんて簡単に言わないで、我々が有史以前にも有った文化を調査すべきだろう。最高の石器時代を現在の半導体時代は理解できない。これが、カルチャー・ギャップである。たぶん、未知の(既知の忘れてしまったと言ったほうが正しいだろうか)石細工の技術が有って、ピラミッドやアステカの空中都市を築いたのだろう。ナスカ平原の地上絵も既知の忘れてしまった技術なのかもしれない。
キリスト教が勝手にBC、ACを決め、BCはキリスト以前なので、どうでも良くて「有史以前」なんて片づける西洋文化は地球全体のデファクトスタンダードでは無い。いわゆる有史以前にも歴史はあったはずだ。「神々の指紋」で世界各地の「神話」を歳差運動の伝承としてしゃにむに解釈している部分がある。
ま、いいのだけれど、仏教の教えに「煩悩は108つ」ってのがある。だから、大晦日に除夜の鐘を108回鳴らす。何故108なのだろう。誰かが108って数字を未来に伝えたかったのだろうか。108は36の3倍である。36は現在の分度器で計る360度、つまり一周である。3は円周と直径の比である円周率3.14159264の整数部である。幼稚な事件では0.14は誤差範囲である。また、36は12の三倍である。古来から我々は天球を12の星座で表してきた。人類は12進数の時代がほとんどで2000年ほど前にゼロを発見するとともに10進数が主流になり現在の数学が確立され、そして、2進数のコンピューター時代に入っていく。
実は、世界の神話に108の数が多い。何故なのか解らない。がしかし、12進数の人たちには我々がパチンコのフィーバーで「777」を選ぶような心地の良い数値なのだろう。(ところで、パチンコでは何故「777」なんだろう。「888」でも良いような気がする。ラッキーセブンってのは「7」で、それが3桁並んではラッキーでもなんでも無い。現にキリスト圏では6が並ぶのは不吉で、ダミアンの誕生日が6月6日なのは暗示的なのだ。なのに、ノルマンディ上陸作戦を6月6日にするなよなぁ>チャーチル)
この種の話題は長くなる。そろそろパソコンを休ませよう。しかし、一部の人間の価値観で「有史以前」と呼ばれている過去を掘り下げる人が現れてくるのは頼もしいと思う。「神々の指紋」は多様な人類の知恵のひとつとして目を通しておくことをお勧めする。あくまで、ワンノブゼムである。