自利利他の精神が社会に必要

失うものにも順位がある
 佐藤孝行氏の辞任で任命者である橋本首相への追求の手は緩めるのか>朝日新聞、ヤイ!
 ま、世論という新聞報道の尻馬に乗って、事前協議が無かった(な、訳ないだろう、連立政権なのだから)風を装う社民党もやれやれな訳です。マスコミが盛り上がると読んで先手で「内閣不信任案提出も有り得る」と言った民主党の菅さんも少し勇み足な訳です。
とまぁ、佐藤孝行問題は前回書いたので、その補足として書き足りなかった部分です。
 世の中には失うのが恐ろしい事柄が3つある。この3つを恐ろしさの弱い順にプライオリティを付けて上げることが出来ますか?
「財産」、「信用」、「勇気」の3つの場合です。特に正解は無いのだけれど、どのように考えるかでその人の物の考え方が解ります。
 僕は「財産」を最初に上げます。一番恐ろしくないと思うからです。財産を失っても取り戻すにはさほど時間が掛からないと思うからです。これは2番目の「信用」と比べてです。「信用」は失うと取り戻すには時間が掛かります。しかも、時間というのは人間には自由にならないもので、自分の寿命の尽きるまでに取り戻すことが出来ない場合すらあるのです。
 そして一番失って恐ろしいのが「勇気」です。勇気を失ったらその時点で社会的に死んでいのです。
 子供は親を見て育つとしたら、子供は何を見ているかと言うと、やはり上記の価値判断ではないだろうかと考えます。これは職場での部下が上司を見るのと同じと思いますよ。会社で言い訳する人間を見ていると、「子供に恥ずかしくないのかなぁ」と心の中で思います。この精神的足枷が、発揮されるのが家族を持つって意味合いなのです。

自利利他の精神
 サービスと言う和製英語があります。あえて和製英語と呼ぶのは、どうも日本語として原語と違って解釈されていると感じるからです。「お客さんサービスしときますから」なんて用法が最も和製英語的な訳です。サービスって無料と同じ用語でしょうか。サービス業ってのは何なんだろう。これは文化土壌の違いだから難しいのだけれど、キリスト教を主たる宗教とする諸外国ではサービスはほとんど日本でのボランティアと同義語で、日本語に正確に訳すると「奉仕」でしょうか。「貢献」でも意味が伝わるかもしれません。利他(他人の利益を講ずる)と呼んでも過言では無い。
 僕は「サービス」の適語表現を日本の諺「情けは人のためならず」に求めますね。誤解が無いように書いておきますが「情けは人のためならず、回り回ってみんな我為」ってのが正しい表現です。(「あんた冷たいのね」「情けは人の為ならずさ」ってのは誤用な訳です)
 余談ですが「這えば立て、立てば歩けの親心」ってのも、あまり使わないほうが良いです。原典は「這えば立て立てば歩けの親心、己に積もる歳を忘れて」って狂歌なのですから。上司の子供の成長を褒めたつもりで使ったら、何時駅のホームで上司に後ろから押されるか解りません(笑い)。
 「サービス」は短期的に相手の利益、長期的には自分の利益って範疇のものです。この精神が自分の日常に携わっているのが「自利利他の精神」です。一方的に自分から出ていくしろものでは有りません、回り回ってみんな我為なのです。

政治は利他、官僚も利他、が評価基準
 朝日新聞が騒ごうがどうだろうが、国会議員に対する国民の評価基準は自分の為にやっているのか、国民のためにやっているのかにある。親子2代に渡る橋本氏の行政改革に一番必要なのは国民に国民のためにやっていると映る演出である。アメリカの大統領報道官が世論を醸すように、もうちっと政治の演出に日本の総理大臣も配慮したらどうだろう。
 マスコミが一億評論家に陥るのは、失点主義でしか政治に対応できない政治側の問題も有る。構想を報道して論議を喚起するのでは無く、嗅ぎ付けられた失点の修復だけに終始していないだろうか。
 失点主義から得点主義に変革するのは、情報開示手法の充実が求められる。その手法がアメリカでは民主主義的に優れていると思う。どうも、日本の民主主義は選ぶ手法は民主主義だが、選ばれた者が民主主義とはどうあるべきかを全然考えていないと思う。ジェファーソンの「情報は民主主義の糧である」と言ったのをどのように受けとめているのだろうか今の選ばれた国会議員は。
 ま、「中曽根康宏さんにねじ込まれたから」ってのが、内閣3役の共通認識なんだから、「総会屋にねじこまれたから」って証券不祥事と根っこは同じだ。結局わが身を安全な場所に置くために、つまり、自分の利益の為に動いた結果の社会的制裁が、方や逮捕拘留、方や「おわび」のみ、ではバランスが悪いぞ。自利はあるけど利他が無いのだから。江戸時代なら獄門張り付け河原に野ざらしって所だろう。これで橋本氏や党3役が「中曽根氏の責任」なんか口にしたら餓鬼の喧嘩レベルまで国政は低落することになるのだが、なりそうな予感がする。
 自利利他の精神が代議員を選ぶ間接民主主義に必要な土壌である。その意味を現職の国会議員や官僚が肝に銘じて日々精進する、なんてのは楽観主義過ぎるのだろうか。

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1997.09.23 Mint