電気通信の変遷

電気通信の変遷
 家庭にパソコンが普及して(と言っても、アメリカの比ではないが)、少しはコンピュータ通信が浸透してきたのかと思ったのだが、実は情報収集の道具と化していて、情報発信には使われていないのではと感じる事がある。
 いわゆるキーボードアレルギーである。姪が中学校のマルチメディア部になんかに加入しているのだが、正月に借りたパソコンの設定が狂ったので僕のパソコンを使わせて欲しいって来たのだけれど、まるでキーボードが打てない。情報教育よりもキーボードの訓練をってのが僕の持論だけれど、2年もマルチメディア部に居て、これほど打てないのは指導側に問題があるような気がする。
 が、逆に考えてみると、今のキーボードによる情報入力は、昔の電気通信で言えば電鍵でモールス信号を打てる人だけが電気通信が可能だった時代と同じなのではないだろうか。日常的にキーボードを利用する層は少なく。まさに「通信士」と呼んでも不思議か無いくらいなのではないだろうか。

モールスの実験
 昨年はモールスが大西洋を挟んで新大陸と旧大陸の間で電気通信を行ってから100年目にあたる。キティーホークでライト兄弟がフライヤーの初飛行に成功したのは1903年だから、それから6年後のことである。我々が非常に日常的と感じるテレビに代表される無線通信、最近は携帯電話のほうが身近かもしれない。また、出張と言えば航空機の時代。これが先駆的に行われて100年たっていない事実に驚く。100年前の人々には今を予想しえないのである。逆に我々にも100年後は予想できないであろう。
 10数年前(1985)に電気通信事業法が改正されてNTTが民営化しパソ通(パソコン通信)なんてコンピューター通信が開放された。この頃のパソ通ユーザーは遠隔地と手軽につながる事実に驚異を覚えた。いわゆる「つながって楽しい」世代である。これはニューファウンドランドではるかヨーロッパからの電気信号を受信しているモールスとたいして変わらないのかもしれない。
 やがて、このメディアをどのように使うかで一部のマニアのメディア以上にはなかなか育たなかった。現にパソ通はインターネットに逐われてユーザー数は激減している。結局意思疎通にはキーボードが存在し、これはモールス符号を覚えるほど困難な事なのかもしれない。
 インターネットによってこれが解消されたかというと、実はインターネットでは企業が利用価値を見いだし、情報を積極的に登録してくれるだけで、個人レベルの情報発信はパソ通とたいして変わらない。インターネットユーザーの何パーセントがホームページを持っているか統計的数値は無いが、おおむね100人に1人くらいではないだろうかと経験的に感じている。

ドックエイジ
 最近アメリカは動物例えるスラングが多いようで、電気通信の驚異的発展を1年が7年(どうも、ドックってのは平均寿命が7年らしい)(ま、日本語では十年一日って用語はあるが。これは過ぎ去った日々を語る用例なので少し違う)に相当するってことでドックエイジと呼ぶ。また、余談だが急成長企業(前年比200パーセント成長程度)の企業を、これまた動物に例えてガゼル企業と呼ぶ。
 先に第二次世界対戦の頃、中島航空機では創設者中島知久平の音頭で米国渡洋爆撃機「富嶽」を設計した話を書いた。この時、わずか2000馬力の航空エンジンにも四苦八苦していた技術陣が5000馬力の航空エンジンの実用化を5年先に設定する事に違和感が無かったと言う。つまり、技術の進展からすればこの頃の航空エンジン技術はまさにドックエイジであった訳だ。
 コンピューターによる電気通信をこれにあってはめ、7年を1年、起点をモールスの大西洋横断通信にあてはめると面白い。
 1985年の電気通信事業法の改正から13年目の今年はモールスから91年から98年と考えれれる。(ま、強引なコジツケはご愛敬と言うことで(笑い))すると1985あたりで、我々が数年前に体験した電気通信事情と近いことにある。
 コンピュータ通信の中にも既に電話もテレビも出現していなくてはならない。で、現実存在している。インターネットテレホンでありSee-you-see-meである。
また、ニューメディアと言いながら実は、用法を新しいメディアに置き換えているだけだと気がつく。デジタル技術と言う、とんでもない飛んでる技術なのだが利用者にはデジタルで伝達されようがアナログで伝達されようが関係ない。

Win98が拓く世界
 あえて「開く」ではなくて「拓く」にしてみた。
キーボードが電鍵利用のモールス符号による通信手段であったとしたら、全員がモールス符号を覚える前に技術がそれを必要にしなくなった経緯が有る。同様に、キーボードによらないワードプロセッシングが今年実用化に向けて始動するだろう。そして、来年には新OSとともにバンドリングされて新しいパソコンとして普及するだろう。
 解らない未来を「類推法」で考えてみるって手法を年末に先生から伝授された。(例の共石S印ガソリンの提唱者である)。以外と、外れていてもそこそこ推測は進む訳で。今年のコンピュータ利用をこんなふうに占ってみた。

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1998.01.24 Mint