インターネット踊り
あいも替わらぬ情報音痴の合唱
情報産業ってどんな産業なのだろうか。通産省の産業分類を見るとサービス業に分類されて、隣にはパチンコ店とか映画館なんかがある。これって、さすが通産官僚。アメリカとの貿易摩擦で揉まれに揉まれた苦労人の深慮遠望が解る。そうなのだ、情報産業って「水商売」なのだ。
ハイテク(そりゃぁ、昔は映画はムービだとかトーキーだとか言ってハイカラなハイテクだったのだよ)の衣を付けようが、先端技術の衣を付けようが、産業分類ではパチンコ店の隣なのだよ。
にもかかわらず、株式公開でストックオプションを目当てに主催するシト、躍るシトの百鬼夜行の世界をインターネット関連だけが形成している社会現象はなんなんだ!
CAPTAINの時は「バスに乗り遅れるな」と騙され、ジャストモデム(もう、知らない人のほうが多いだろうなぁ)の時はこれが本命と躍らされたうちは良い。最近はもろに金がらみ、株のための情報処理産業。所詮パチンコ店の隣なのに。
株式ってのは工業化社会で設備投資を先行して生産を行う必要から、先行的投資を他に仰ぐ必要から生じた仕組みと言える。つまり、初期の工業化社会は資本家の投資と事業家の生産意欲を両輪として回りはじめた。
株が会社では無い。会社は生産手段
しかし、先行投資の必要性から産まれた株式は、それ自身で原理原則を失い一人歩きしている。人間って基本的に博打が好きなのか、経済ニーズとしての証券取引所がそれ自身第二の通貨として一人歩きをはじめる。何も生産しなくても証券への投資で財産を増やす方法がそこにある。これが、資本本位制である。これを「資本主義」と呼んで敵対した所に70年代の学生運動の不勉強さがあるのだが、それはおいておこう。
「篭に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」古くからの川柳だが、いまこの川柳すら知る人が少ない。「風が吹けば桶屋が儲かる」も何故か「目の不自由な方」への差別と思われて死語になりつつある。
工業社会がもたらした、それも資本本位制の中での問題は、誰も生産行為をないがしろにしてしまった反省である。金が金を産む世界は実は社会には何も供給しない。行き着く先は富は生産行為によって得られるって原則すら踏みにじってしまいそうだ。
インターネットは儲ける対象?
ま、あの毛の薄い孫さんを攻撃するつもりは無いが、マスコミにお願いしたいのは、ここ数年の孫さんの動きだけをクローズアップしないで、日本にマイコンと呼ばれるTK−80が現れた時代を考えてもらいたい。当時パソコンは技術的興味がある「オタク」のものだった。もちろん、工業として研究もされていたが、一般の人間にとっては、オタク物であった。それを電化製品として家庭に普及する物と考えてた人もたくさんいた、それはそれで、今実現しているのだけれど、その方法論が山のようにあったのが、あの時代だ。
基本的に日本はパソコン通信からインターネットに入る道を選んだだけれど、それはインターネットが文部省の管轄の学術情報センターの配下にあったので、誰もビジネスチャンスは無いと判断した1990年頃の事情がある。いわゆるパソ通の会員を増やしながら商用ネットは万が一のインターネットに備えていた。
日本のインターネットのアクセプタブルユースがもろくも崩れた(ま、それぞれのポリシーは皆「お山のボス猿」なのだが)のは1992年頃だろう。何時の時代も「仕切りたがり」が居て、これが時代を良い方にも悪い方にも導く。「仕切りたがり」の問題点は「責任感」が無いことなのだが、これは当人には解らない。
電子メールの相互乗り入れからこの垣根は崩れ、やがて民間プロバイダの登場となる。初期のインターネットのニュースグループでは広告禁止とか、商用利用禁止とかで喧嘩が絶えなかった。
投資対象事業では無い
インターネットで一山当てよう。アイデア一つで巨万の富を築けるのがインターネット。そんな風潮が蔓延している。その仕組みはこうなっている。
インターネットでビジネスを行う方法を思いつく。これを会社組織で行い、個々人はストックオプションとして株を保持する。ビジネスが成功しそうな時にナスダックのような証券取引所に上場する。行き先の無い金がここで株価の高値を呼ぶ。創業者利益として株を公開、販売して利益を得る。
こんなストーリーだろう。
これが、「インターネット踊り」の実態である。これでは何か変だ。そう、企業を証券取引所に上場するのが企業経営の目的になっていて、本来企業が持つ公器としての経営姿勢が無い。この公器たる姿勢を失ったことにより先のバブルがはじけ、国民の税金を公的資金として投入しなければ金融崩壊が避けられない事態が発生したのではないか。これを経営モラルの欠如と称して、最大の問題点として今後改めなくてはならないと認識されたのだ。その舌の根が乾くまもなく、「インターネット踊り」をやっているのは何故なんだ。
企業は社会の一翼を
企業に就職するよりは学生時代に会社を起こし、そこで一儲けするのが流行っているようだ。正確に言うとマスコミが好きなテーマらしく良く報道されている。しかし、企業とは何か、企業が営業を続けていくために社会とどのような接点を持つのが望ましいか。そこへの着目が無い。
企業は所詮、有形無形の物を製造し、それを社会に流通させていくことに尽きると思う。何かを作り出していなければ企業とは呼べない。そこに集う人間だけがハッピーなのでは企業では無く同好会である。同好会は何故企業とは呼べないのか。それは集団の内部から外部へ働きかける力が弱く、外部から内部へ働きかける事を拒む。それでは、社会の公器とはならない。
公器で無い企業起こしにやっきになり、自分の利益だけを追い、1000に3つくらいの成功例は起きるだろうが、所詮それすら長続きしない。
そこには決定的に欠如しているものがある。それはインターネットはインフラである。そのインフラを利用して皆がハッピーになるにはどうすれば良いか。に発想の原点を持っていない。
考え方は単純である。インターネットを道路整備と置き換えて考えてみよう。道路が整備されて遠隔地への移動の時間が短縮される。このインフラ(道路)を利用してバス事業やトラック輸送を行い物や人の交流を促進する。これが事業である。しかし、「インターネット踊り」をしている者はそこに自分の違法改造自動車を持ち込んで暴走行為を行ってるだけで、誰もハッピーにしない。自分の益のためだけに道路を使う。
そういった若者企業家をもてはやすマスコミもマスコミだと思う。本物と偽物を見抜くことがますます必要になる。それを果たすために情報が必要なのだが、今のマスコミでは踊りのお囃子でしか無い。