何故、北海道は元気が無いか
道民の翼が厳しい
すったもんだの挙げ句に、石子氏がエァ・ドゥの社長に就任する。堀知事の最後の口説き文句は「俺の替わりに行ってくれ」だったと言う(朝日新聞情報)。林務部畑で経営経験ゼロ、そんな石子氏だが頑張って欲しい。
年頭の挨拶を聞く限りは何をしたいのか意志が見えない。現在のエァ・ドゥを再生するには50%台にまで落ち込んだ搭乗率の改善。これが一番の課題であろう。それを「道民の翼に道民が乗らない」と道民に八つ当たりしていては問題は解決しない(石子氏談では無い。今のエァ・ドゥの姿勢の問題である)。
経営が悪化した航空会社の飛行に乗らないのは大きな理由がある。それは万が一の事故の場合の対応への不安である。出張で乗った航空機が墜落して一家の大黒柱が死亡した場合、北海道の企業ではとても残された遺族に十分な金銭を渡すことは出来ない。出来れば第一当事者である航空会社に補償を求める。しかし、経営が悪化した航空会社ではそれは望むべくも無い。
第二は「旅を演出する力の無さ」である。札幌東京間の利用者の半分は東京からの客であるって考えなければならない。北海道から東京への往復だけでは無い。東京から北海道への客の多くは観光である。たかだが数千円違いで旅の入り口から貧乏臭くてはたまらない。このあたりの配慮が全然無い。東京での営業活動もほとんど無い。
北海道を元気にしなくては
新聞のインタービューに応える石子氏も芸が無い「これでエァ・ドゥが倒れたら、北海道はやっぱり駄目だと思われる」なんて語っている。この一言が『やっぱ、役人だなぁ。当事者意識は一生身に着かないのだろう』と思った。しかたなく成った社長、使命は会社を継続すること。これではねぇ。
どうもエァ・ドゥの社長不在問題は基本的に北海道が何故元気にならないか何時ものパターンにはまると思われる。そのパターンとは「フロンティア・スピリットなんか毛程も無い」である。以後、これについて説明を続けよう。
構築された既得権のヒエルラヒー
西部劇なんかを「他人事」(あたりまえか。当事者意識で西部劇見てどうする!)で見ているとアメリカ開拓の歴史を感じる。言ってみれば日本の水戸黄門のような時代劇がアメリカでは西部劇(ちょっと、強引かな)なのだから。
開拓時代では無法地帯に最初に秩序を作るのは「力」である。暴力と表現しても良いが、武力が無法地帯を取り仕切る。矛盾している考え方だが、不法な暴力を取り締まるのは暴力である。やがて、法律による「合法的報復」が不法を抑制する。
根源は同じである。「殺したら殺される」、「殺し続けることは出来ない」だけの「若干」の違いでしか無い。
ま、明治維新以降に開拓が本格化した北海道だから7人の侍(荒野の7人)みたいな事は無い。がしかし、しっかり、それも太平洋戦争が終わった後数十年で「合法的」ではあるが、町の名士が不法な状態から合法な状態(に見える)の秩序を敷いたのである。
戦争前は地方の知事は国の任命制であった。その任命権のトップが内務省の町村金五であった。で、太平洋戦争が終戦になるとともに、戦後復興の要である資源とエネルギーを求めて北海道開拓が加速する。また、外地からの引き上げ者の就労の場として農地開拓が行われる。
北海道が旧社会党が強い土壌は、実は戦後の復興の要であった炭鉱と国鉄の2大労働者層に負うところが大きい。また、政治的には自民党と社会党激突の場であり、革新知事田中氏の北海道知事当選であり、これに対抗した町村知事実現である。
この流れを少し詳細に述べると、革新の田中敏文知事誕生の時に中央官僚は何をしたか。現在の北海道開発局の設立である。北海道庁土木部を切り放し、北海道開発局とし、中央官庁では北海道開発庁を設立した。町の名士であるためには金が必要になる。その金を革新知事に渡さない。そのために、既存の組織を組み替えて(ルールを変えて)でも既得権を守る。それが「北海道開発局発足」の一面であった。(あえて、「あった」と書いて置く、もう、40年も前の話しだ)
北海道開発で金を流して組織を作る
炭鉱と国鉄、この2大産業の衰退と共に北海道は産業構造を変化させていく。それは、公共事業依存型の土建屋産業構造である。北海道には212の市町村があるが、その多くは代表的産業を述べよと言えば「農業」か「土建」となる。さらに代表的産業が「役場」なんて市町村もある。
自社対立の場が社会党の衰退(社会党支持基盤産業の衰退)とともに自民党の一人勝ちの場になり、結果として公共事業依存体質になった。そしてその自民党ですら衰退を始めている。
かつて「戦争と人間」で五味川純平氏は「経済が政治を動かし、戦争に至る」プロセスを描いているが、北海道の場合は政治(対立)が経済を動かしたと言えよう。そして、戦後民主主義の原点に立ち返れば、実は北海道は中央の政治対立が持ち込まれた政治代理戦争の場でありそこに自主・自立が失われた大きな社会制度の欠陥があったのだ。
そして、21世紀に入って、その基盤整備すら崩壊の時を向かえている。
政治改革から北海道は再生
堀知事も先の石子氏も北海道庁の「林務」畑の出身である。戦前、林野事業が「天皇の土地の管理人」であった時代の花形産業が「林野事業」であったが、それは60年も昔の事である。
一方、札幌市の桂市長に至っては札幌市民の半数がその名前を知らないと言われている存在感の無さである。僕はこの「一文字(堀・桂)巨頭」が北海道を沈滞させていると見ている。共に組織内から派生したトップであり、選挙は経ているが真の市民代表とは呼べない。本来、行政のトップは行政の中から選ばれてはいけないのだ。それは沈滞をもたらす、良い意味の緊張感を育む事が出来ない。
長野県が何故田中知事なのか。
それは、市民が真の参政権(政治に参加する権利)を行使したのだ。所詮直接政治に参加する程時間を裂く事が出来ないのだから、ここは代表を選ぶことになる。その代表はオンブズマンの最高権力者である。この行政と市民の行政のチェック機能の関係が長野県では長期的に同根であった。これを、分離し、両者のバランス感覚でより良い行政を望んだ、その時たまたま、田中しか居なかった。それでも、市民は田中を選んだ。実は、政治の変革の流れにたまたま「巻き込まれた」のが田中知事なのだ。
北海道にも同じことが言える。大きな流れは行政のトップは市民の行政オンブズマンでなければならない。そのためには、既存の行政組織化から選んでは仕組みが機能しない。そして。北海道は10年も「機能していない」のだ。これが北海道の「失われた10年」として後世の歴史に刻まれてしまうだろう。