サッカー>何時までやるの「天皇杯」
天皇杯はサッカーカレンダーに合ってない
プロ野球で言う「ストーブリーグ」の時期にサッカーの天皇杯が開催される。2リーグ制で行われるJ1のプレーオフも決着した後での「天皇杯」にどれだけ日本のサッカーに資する意味が有るのだ。実は、Jリーグ開始に伴い旧制度の残留を考えた結果が今の「天皇杯」なのだ。確かにサッカーの頂点としての天皇杯は昔はこれしか無かったのだから残す意味は大きい。でも、Jリーグ発祥から聖域のように何時までも残しているのはいかがなものか。
Jリーグを意識した「天皇杯」のあり方を考えることがサッカー関係者の責任では無いのか。そのアイデアが出ないのはサッカー業界ですら守旧派が仕切っている証左では無いのかと僕は思う。たしかに日本に「体育では無くスポーツを」って理念でJリーグを進めている川縁チェアーマンの努力は認める。がしかし、旧来の「天皇杯」を改革出来なくては結局「体育」だぞと言いたい。
そもそも、世界のサッカーの文化は「クラブチーム」が基本にある。日本がJリーグを始めた事をサッカーのプロ化と単純にマスコミが扱うのは勝手だが、経済行為を伴った組織として位置づけたのがJリーグなのだ。その功績は川縁チェアマンの執念なのだ。ただ、旧来のしきたりを背負ったのが天皇杯と言えるだろう。
天皇杯とJリーグを共存させる改革が今望まれている。
Jのクラブチームの旗を降ろす
J1はプロリーグとして「残念」だが位置づける。そして天皇杯ではプロを排除する。但し、地域チームでプロが活躍するのは妨げない。そんな方法で現在の時期の天皇杯を継続してはどうだろう。プロとアマチュアの境を明確にするのは難しい。しかし、現に高校野球とプロ野球は共存出来ているではないか。Jリーグと天皇杯を共存する方策が必要なのだ。基本は「天皇杯をこの時期に残す」ってことだが。
時期を変えるのなら話しは単純になる。ラグビーと同じように2月から3月に天皇杯を持ってくるのだ。Jリーグにとっては新人戦になるのだが、その隙間にアマチュアが入り込むチャンスが有る。でも、契約問題でゴタゴタするプロリーグとアマチュアは基本的に違うと思う。だから、天皇杯はクラブチームの祭典としてJリーグは「組織としては」参加しない。が、選手の自主的な行動は規制しないってのはどうだろう。
最近の駅伝では使われてるショー
「地元選手」って制度がある。出身地であれば、と言うか何らかの「つながり」が有ればチームに入れるって制度。これって、地元密着ってことでショーマンシップ有ると思う。これを「天皇杯」に利用できないだろうか。
ま、一発勝負なのでプロがアマに負けることもある。がしかし、プロはストーブリーグ中で「サッカーなんかやってる場合で無い」って時期に行われるのだ。
はっきり言って「やる気の無いプロ」と「一発当てたいアマ」の戦いとして位置づけるなら賛成だが、基本的にやはり「天皇杯」なのだ。来年度の契約改定を含みながらゴタゴタしている「プロ」の足をすくうクラブが出てくるなら良いが所詮面子にこだわったプロの一部が頑張る「天皇杯」。もう、存在の意味を失っているって認識が川縁チェアーマンに無いのが悲しい。ここは天皇杯の時期を考えてみたい。1年の集大成って機能は失っているのだから、新人戦の位置づけはどうだろう。Jリーグは選手の入れ替えが頻繁だが、新しいメンバーで挑むのが「天皇杯」でいいではないか。
つまり、2月頃に新人戦としての「天皇杯」が有っても良いと思う。そこにポジショニングする決定をサッカー協会に望みたい。
プロは興業、アマは感動
とまぁ、演出されるのだろうが、僕は「当事者が感動するから観客も感動する」と思う、だから、甲子園で勝ち進む都度、校長のローレックスの時計が見えなくなり、金のベルト金具が無くなるってのが事実なのだ。
実はアマチュアの感動のために「借金地獄」の人が居るのだ。甲子園で1勝
すると滞在費等で1億円かかると言われてる。でも、それは誰かが担ってでも「甲子園」は価値が有るってことだろう。
プロスポーツは興業的に成り立たなければいけない。コンサドーレがいくら感動を呼び起こしてもプロとして財政的に成り立たなければ存在の価値は無いのだ。しかしアマチュアスポーツは違う。そもそも財政的基盤は個人に負うのだから。Jリーグはまさにこの両面を両立させることが可能なのかの試金石なのだ。現在の天皇杯は存在の理念が失われつつある。
日本に真の「スポーツ」が根付くために、天皇杯をどうするのか、川縁チェアーマンのリーダーシップが必要なのだ。それが出来なくて「日本に体育で無くスポーツを根付かせたい」ってあんたの理念は実現しないのだよ。