日の丸飛行隊の軽自動車(1)

ちょっと「生臭い話し」を外れて
 鈴木宗男事件で世間は騒がしいが、ま、トカゲのシッポ切りで「自民党が戦後一貫して政治の世界で何をしてきたか」、それが「戦後民主主義」の名の元にいかに歪められた世界だったのかなんて話しは今しても意味がない。そんな事は55体制が崩れたときに解っていたのだ。でも鈴木宗男氏が言う「古い政治家」が体質として自民党に残っているのだから。
で、その話しを離れて最近仕入れた軽自動車の話題について。
自らも軽自動車ユーザなんで軽自動車応援団みたいな本は時々目にしては購入している。今回の情報ネタは島田眸著、「軽自動車革命だ!!」から。ISBN4-88169-605-X C0065。 この本の面白いのは戦後陸運局(今の国道交通省)が規格を著しただけでいかに日本の自動車工業が刺激を受けて頑張ったか、それによって日本の自動車工業が世界に飛躍できたのだって著者の強い主張。そして、翻って通産省(現在の経済産業省)は何をやってきたのかって歴史検証の記述であること。その時代に生きていた人には当時は解らなかった様々なターニングポイントが「何をもたらし、意義が有ったのか無かったのか」を考えることができる著書なのだ。


自動車の規格は運輸省、産業施策は通産省
 日本の自動車工業を吸収合併で再編成しようとしたのは通産省(旧)。その指導に逆らってまで4輪自動車生産に拘ったのが本田宗一朗。たしかに「理論」で言えば生産台数による「スケールメリット」が現れる損益分岐点である「生産台数」は計算できる。そして、日本の自動車生産がこの方程式にかなうために大同団結が必要だと導くことも解る。がしかし、カロッツェリアと呼ばれる小量生産の職人的自動車生産工業も現実にヨーロッパには有るのだ。そこを知らないで通産省(旧)は自動車工業界に合併を「指導」した。その結果多くの自動車メーカが吸収合併の名の元に消えていった。
 今、みなが知る自動車メーカーとはどこだろう。日産、トヨタ、本田、三菱、マツダあたりだろうか。軽自動車にも範囲を広げるとダイハツ、スズキなんかが加わるのだろうか。
軽自動車のメーカとしてはトヨタが傘下にダイハツ、マツダ(東洋工業)がスズキのOEM販売と手を出している。三菱は「軽自動車特化」すれば良いのだけれど国際市場ではとても無理で4輪一般車メーカを続けなければならない宿命がある。(なんせヒュンダイのエンジンは三菱なのだから)。
 さて、そんな業界の事情を踏まえながら考えると、「規制緩和」が叫ばれてるがその先鋒であったのは陸運局の「軽自動車」認知ではなかったのだろうか。実は「軽自動車」って制度は日本にしか無い。戦後からの復興で「国民車」を定義するために生まれたのが日本独自の規格「軽自動車」なのだった。
スバル360を知ってる人は少なくなった。でも、あれが日本にとっての最初のモータリゼーイションだったのだ。当時小学生だったので「クラッチが硬い」くらいの記憶しか無いのだが、先日、歌志内市の博物館で目にして、えらく感激した。360ccのエンジンの車に大人4人が乗るってのは、世界の基準では「有り得ない」だろう。でも日本は軽自動車って規格を「国是」として作ったのだ。

マスキー法が日本の自動車産業を世界標準に
 特に軽自動車の分野でマスキー法に対応する血を吐くような努力が繰り返されたスズキは2サイクルでマスキー法をクリアしようとして失敗する。そしてダイハツは会社消滅の事態を向かえる。ここでスズキを救ったのがトヨタである。サイハツを傘下に納めていたのでここのエンジンをトヨタ経由でスズキに供給してスズキを救う。この後にスズキはジムニー(アメリカ名サムライ)で事業を再生させていく。
 ホンダがリーンバーンエンジン(希釈燃料噴射)でマスキー法をクリアしている頃に日本国内でしか走らない軽自動車にも技術革新を迫られていた。その時代に結果を出せたのはN3のホンダ、そしてダイハツである。そしてわずか360cc(当時)のエンジンで公害規制をクリアした技術が後々生きてくることになる。
車体の重量を増やすならなんでも公害対策機は積める、しかし軽自動車の範疇ではそれは出来ない。各社、マスキー法に準じるエンジンの開発にしのぎを削った。
 で、出てきたのが小排気量でのマスキー法クリアである。これは当時の通産省がアメリカへの輸出を考えていない(出来ない)軽自動車に「意味無く(どうでもいいじゃん)」求めていた課題をクリアしたのだ。 じつはここで軽自動車がエコカーとして生きていく土俵が出来たのだ。

エコカーは800CCあたりか
 一般的な話しだがエンジンは複数シリンダーで構成されるが性能を上げるには1シリンダーが小さいほうが効率が良い。極端な話し、空気の分子と燃料の分子が理論計算と同じになるためには狭いなシリンダーが必要になる。昔日本のバイク(オートバイ)が世界に進出した時にスズキが50CC部門で3シリンダーの50CCエンジンを24段変速で駆動したことがある。このマシンは24段変速に加えて非常用の出力増強レバーと時計職人のエンジンバルブの整備が有ったと言う。
 公害対策でも実験は軽自動車の360CCだったのだ。そこで得られた実験結果を一般車に応用する。その意味では現在の三菱のGDIが軽自動車にまでおよばないのは工作技術の精密さとそれをメンテナンスする技術に問題があるのだろう。
 世界的問題として個人のエネルギー需要の国別の格差がある。アメリカの子供は発展途上国の30倍も二酸化炭素を放出している。だから、エコカーなのだが、最近は一般車のほうが軽自動車よりも燃費が良い。でも、日本の技術で800CCでターボって組み合わせなら結構行けるのではないだろうか。
 残念ながらわが家の「MINICA」はリッター20kmくらいしか出ない。これってプリウスに負けるよなぁ。やっぱ、800CC欲しいぞ。

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2002.03.24 Mint