サッカー>アングロサクソンの傲慢
イングランドは植民地政策の国
韓国が現時点ではベスト4に躍りでた。快挙と言う前に負けた各国のコメントは辛らつだ。審判の誤審に向けられてるがサッカーではホームの優位は常識で先のフランス大会でのフランスの優勝は「よやくそく」な面が有ったのだ。フランスは地元大会で勝っても良いが韓国が勝ってはいけないって論理は無いのだ。しかし、ホームの優位をこと韓国には認めないのがアングロサクソンの倫理なのだ。
そもそもサッカーの歴史を考えてみると、そこには植民地支配の一翼を担っていたと言う負の面があぶりだされる。スポーツって考え方は衣食足りての上で成り立つのであって、律令国家制度や貨幣流通によって農耕・狩猟から他の生産手段を得た国で初めて可能になるのだ。いわゆる「都市経済」が有る地域でスポーツは意味を持つのだ。
古代アテネでのオリンピックは、まさに都市国家が成立した故に可能だったのだ。未開の経済未発達の地域でスポーツを利用して自分達の優位性を見せつけたのだ。その種目は単純過ぎてもいけないし、複雑過ぎてもいけない。だからサッカーが最適で世界に広まったのだ。
確かにアフリカのマサイ族と走り高飛びをしたら負けるに決まっている。野球なんか用具を揃えるのが難しい。その現地で一番可能なのはボール一つあれば出来るサッカーだったのだ。しかも、審判は現地人ではルールを知らないから当然アングロサクソンとなる。そんなサッカーの歴史にも目を向けてもらいたい。
「サッカーは植民地政策の一環として存在した」これはまぎれもない事実なのだ。
ワールドカップと各国リーグのルールの違い
今回のワールドカップで適用されたルールは各国のリーグでのルールと若干違う。例えばシミュレーションを呼ばれる過剰なアピールは罰金対象。ジャージを掴むのも反則、ディフェンスの足へのタックルも反則。
サッカーの国際ルールとしては順当なものだが、それでは各国のリーグで行っている「興行」と少し違う。ま、単純化して言ってみれば「全日本プロレス」が「オリンピックのレスリングに出る」ってくらいのルールの違いなのだ。
加えて今回のワールドカップはアジアの2国が主催国なのだ。今までの「仲間」が主催しているのと違うのだ。そして、サッカーには「ホーム」有利の原則が有るのだ。そんなことはアングロサクソンの仲間内では常識でもアジアには適用されないって考え方はおかしいのだが、かれらは感情的に人種差別的発言を漏らしてしまうのだ。
結局国際ルールの名の元に世界標準を彼らは認めたくないないのだ。自国がルールを決める。それが西欧の覇権主義を支えてきたのだし、それが西欧の繁栄を支えてきたのだ。その利権を座して手放す訳は無い。だから、ストレスが溜まりクレームが新聞紙上を賑わすのだ。基本は全然違う利権に立脚していることに誰も気が付かない。
本当の世界共通の言語のサッカー
「国際ルール」の制定だろう。各国のローカルルールの違いが「ヨーロッパサッカー」とか「南米サッカー」とか言われているのは同じスポーツなのに審判の裁定が地域によって違うってことだろう。
僕が好きなのはヨーロッパのスペースに切り込んで行くサッカーなのだが、ブラジルを筆頭にしたボディチェックを主にしたサッカーもこれまたフアンが多い。実際、サッカーって競技を考えると格闘技的な部分を求めてラグビーに分化したのであって、サッカーはあくまでチームプレーの競技としたい。
ここに「プロ化」と「興行」の問題が出てくる。採算を考えるとスポーツは興行化していかざるを得ないのだ、ただ川縁チェアーマンはJリーグ発祥の時に「日本にはスポーツが無かった、体育ばかりだった」と言っている。ならば、全世界に通用するサッカーとは何なのかってことを考えてもらいたい。
基本的にスポーツのプロ化が「興行」になってはいけないって事をサッカーを支持する人々は気が付かなくてはいけない。ここは「紙一重」なのだ、スポーツと興行、プロとアマチュア、この間の問題は奥が深い。だだ、「興行」に行くのは当事者にとって安易な選択になるのだ。それを「スポーツのプロ化」と言えるのか、このあたりが今後議論すべき事柄だろう。
祭のあとはどうするのか
熱し易く冷め易い日本だから「4年後」なんて言葉にだれも燃えやしない。一番危惧するのは世界のレベルを目にした人々がJリーグの試合に背を向けることだ。日本のサッカーには「ベッカム様」は居ない(ベッカムってコンサドーレに居た播戸に似てない?)。
そのJリーグに背を向けて外国のリーグの中継に目を向ける。そんな事があったら日本にとってワールドカップは失敗だったのだ。裾野が広ければ広いほど頂点は高くなるって構造を考えなくてはいけない。この「祭」の後でJリーグが各地で裾野を広げるのは可能なのだ、誰だってすぐにワールドカップに出場出来る訳では無い。まずは地元のクラブチームから出発するのだ。その意味で東京オリンピックでアベベを見てマラソンに目覚めた背景と同じように、今回のワールドカップが新たな人材を招き入れることが出来た時に、成功と言えるのだ。