日本ハム>札幌に来る訳が無い

プロ野球経営の視点が札幌市に無い
 「大丈夫なんでしょうねぇ」、「大丈夫です」なんて会話しか無いのが現在の日本ハムのフランチャイズ拠点を札幌にって状況なのだ。にも係わらず「日本ハム球団が札幌に来る」ってことを前提に各地の役場が動いている。これって、まてよ。
1)栗山町がワールドカップでメキシコチームを誘地しようとして最後に逆転負けした。
2)千歳空港と羽田空港を結ぶ「エァ・ドウ」が経営破綻している。
3)鈴木宗男が逮捕された(あまり、関係ないかな)
って、北海道の背景を考えて考察を加えなければならないのだが今の札幌市役所は「札幌市一人勝ち」でルンルンしている。上記の課題は「北海道庁の課題」で別物って考え方なのだ。もはや「住民の視点」てのは全然無い、実績を謳歌するセクションは何処かってだけの世界なのだ。
その世界では「仕切役」、「実績上げた」がまかりとおる。結局、日本ハムが札幌にフランチャイズを決めた実績がアピールできるのだが、その実現の道は険しいとこは札幌市の公務員には解らない。せめて、北海道フットボール協会のコンサドーレの運営主体である組織に相談すれば良いのだが「所轄が違うて論理で無理らしい」。田中元助役の「柱谷を切ってでもJ1の残留を目指す」って経営の厳しい判断を何処まで市役所は解っているのか。
スポーツの(ま、プロ・スポーツってのはスポーツの名を借りた「興行」なのだが)ノウハウを国体並みの感覚で考えているのではプロ・スポーツには手を出さないほうが良いだろう。

日本ハム球団自体が無くなるって認識が無い
 今の日本の経営者に求められるものは「株主尊重」らしい。ま、それはそれで日本の国際化に向けてのスローガンなのだろうが、基本的に日本では日本的株式会社制度しか根付かないのだ。
そもそも株主を主体にした企業が、業務範囲を越えた興行である「プロ野球球団」を経営(支援)することは、国際的なスケールでは「社長の道楽」なのだ。別会社にしてても営業利益を株主では無くて特定の関連会社に支払ってるのだ。その分、株主に配当するべきってのが国際基準の「株主主体の経営」なのだ。もっとも、エンロンに代表されるように粉飾決算してでも株主の支持を得たいって方向に向かう制度的弱点があるのだが。
「日本ハム」って球団が存在するのは既に名誉会長の椅子すら去った初代社長の道楽だったのだ。利益が出ればこそ、創業者のわがままが通用するのだ。経営が創業者を離れ、経営の危機に直面し「プロ野球球団を持つ」ってことを説明出来なければ会社は「日本ハム」を手放すのだ。
 その日本的経営が直面する課題も解らないで「大丈夫なんでしょうね」、「だいじょうぶです」なんて会話を手柄にする役人に突っ込みを入れる事すら無いマスコミ(特に新聞)にはあきれてしまう。
 企業スポンサー(丸抱え)で成り立つ日本のプロ野球は存続出来るのか、そのあたりに着目し、プロ野球と企業のあり方に言及しなければ、今回の日本ハムの札幌フランチャイズ替えは、昭和30年頃の街頭テレビ時代を目指すアナクロなのだ。

日本ハムは「シャウエッセン」の会社なのだ
 プロ野球って興行は日本全体で12球団しか無いので価値があると思われてるが、そもそも企業スポンサーにどれだけメリット(株主から見た適正経費の使用)があるのだろうか。
 読売は巨人軍一本に絞った(サッカーでもベルディはコンサドーレと最下位争い中)。新聞の販促に効果があると判断したのだろう。その意味で株主にも説得力有るのだろう。
横浜ベイスターズは大洋漁業なんて会社から脱皮できたとは思えない。広島カープスも「広島東洋(工業、現マツダ)カープス」から変わった。ヤクルトなんか前は国鉄だったのだ。パリーグに至ってはまったく企業イメージが無い。西武、ダイエー、日本ハム、以外は阪神と同じ電鉄会社なのだ。江川なんか懐かしいクラウンライターに1位指名されたのだ。
 「日本ハムの不正を許さない」なんて格好付けて札幌市市民生協は商品を撤去したが、北海道西友では扱っている。で、消費者は西友で「シャウエッセン」を買っているのだ。この商品を扱わないと販売部門では多大な損失を被るだろう。なんせ、一番高く、一番利益が大きい商品なのだ。
 まったく商品の品質に関係ない企業の姿勢を盾に商品を扱わないって「企業リンチ」を行う量販店て「何処目線で経営してるんじゃぁ!」と言いたい。まったく何を根拠に「商品を扱わない」なのが解らない。少なくとも理論では無い、感情なのだ、その感情で支持してもらいたいって藁にもすがるマーケッテングの無さが「日本ハム製品は扱わない」って馬鹿な方針なのだろう。結局生産者である「日本ハム」を糾弾して扱い停止して自分の首が締まっているのが最近解ったのだろう。
 トレンドを追った量販店の無様な様子に消費者は気が付いている。まったく、馬鹿なんだから。

自立出来ない企業スポーツ
 日本のスポーツが誤解釈なのは興行がプロスポーツとして位置づけられたことだと思う。学校教育の「体育」、プロ化による「興行」、それに加えて地域のクラブによる「スポーツ」。このバランスが「国際感覚」では無いのが今の日本の課題だろう。ワールドカップサッカーを開催して少しは解ってきたのかと思うのだが。
 「企業のメセナ」なんてのをバブルの頃は電通を筆頭に企画して提案してた。これって日本的なのだと思う。海外では「企業は株主に配当する組織」としてしか存在事由が無い。何かのイベントのスポンサーになるにしても、その事で「業績が何パーセント上がったか」を株主に問われる。そえが株式会社の経営の国際基準なのだ、それが日本に合うかどうかの議論は誰もしていない。
 そもそも「日本ハム」て会社がスポーツ(と、彼らは思っている実は単なる興行なのだが)であるプロ野球球団のオーナーとしてふさわしいのか、って課題に12球団は何も声明を発していない。プロ野球の八百長事件と同じように「オーナーとしてふさわしいか」も議論すべきである。がしかし、日本ハムがプロ野球球団のオーナーな事に何も「問題無し」と静観してるオーナー会議は何処かおかしいと思う。消費者を裏切った行為を行う企業はプロ野球のオーナたりえないのだ、その「透明な経営」が企業チームの根源なのだ。
「日本ハム球団を12球団から除名せよ」が僕の意見だ。

食品の安全性
 ネスレの会長の話しだが「食は99%の安全を保証したい。100%にするコスト負担を消費者は担わないだろう。」と公言している。食品会社の会長として日本なら引責辞任ってことにつながるのではないかと思う。
 人間生きていくためにはリスクが伴う。例えば原子力発電所の近くに住む人は遠くに住む人より原子力発電所に起因するリスクは大きいのだ。ただ、たぶん、交通事故によるリスクは少ない地域だと思う。(別に過疎地差別をする意図は無いが)。
「向こう8里の食品しか喰わない」ってのが食の原点らしい。地域で育った食物を地域で食べる。それ以上のものはリスクが有るって考え方だ。何時から日本人は地球の裏側で作られた食物を食べることに違和感を持たなくなったのだろう。
 たまたま北海道西友に行ったら「シャウエッセン」が有った。これを食べながらいったい「日本ハム事件」って食の安全の話しなのか、企業姿勢の問題なのか。企業姿勢の問題には「不買運動」が消費者の選択なのか。僕は違うと思う。不買運動はあまりにもヒステリックだ。企業をリンチして潰せば消費者の利益になるのか?
 ま、日本ハムは球団を手放すって前提で物事を考えておいたほうが良いと思うのだが。

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2002.08.29 Mint