BB>放送局ってコンテンツ有るの?

BBで放送とインタネの差は無くなったのか
 まず「BB」の説明ですが、単なる「ブロードバンド」の略称として使っています。ヤクザで横暴な社員が営業しているYahoo BBとの関連は有りません。最近札幌で聞くのはヤフーBBの社員なのか代理店なのか家庭に電話をかけて来る。そして、良く解らない主婦や老人宅に「無料です。知ってますよね、IP電話ってのが出来るんです」なんって言って拒否しなければ宅急便でADSLモデムとスプリッターを送ってくる。そしてヤフーBBに入れと言う。
 このような被害と言うかワケワカメな迷惑行為に振り回されてる家庭が増えている。僕の知っている人でも「強制的に送り付けられた」(本人談)が1名居る。OCNに加入してるのでISPを替えないって件で夫婦喧嘩になった世帯が1世帯有る。
僕自身も日曜日に代理店かヤフーの社員か知らないが電話で喧嘩した。相手の言い分は「便利で安いIP電話に加入しないか」って言い分だった。わが家は現在ISDNなのでADSLを飛ばして、次回は光ケーブルの予定なのでやんわり断った。すると相手は「いんですか、断ったら二度と入れませんよ」と暴言を吐いた。当然Mint=薄荷=発火の僕はキレてしまった。「二度と入れないって言い分は何様と思っているのだ。勧誘の言葉として脅迫だろう。消費者協会に訴えるので会社名と名前を言え」と怒鳴った。
営業する電話をかけてきた側が即座に電話を切ってしまった。普通は逆だろうに、全然営業では無いのだ、昔の豊田商事を彷彿とさせる。そんな違法とは言えないが、市民の利益に貢献するにはほど遠い営業をしているのがヤフーであり、その総本山であり責任者は孫正義なのだってことだ。孫さんも末端にまで目が届かないのだろうが、もはや自分の会社が豊田商事化してるって認識を持たないと10年先は無いだろう。
 僕は昔の豊田商事にも似たヤフーBBの展開に嫌悪感を持っている。それは「知らない人間は騙せ」って思想だ。たしかに民主主義社会の法律の基本は「法律を知らなかったのは被告人の責任」って自己責任制度だ。で、自己責任と言われても判断に必要な十分な情報提供(説明責任を果たしたか)が最近の裁判で注目されている。
 「二度と入れませんよ」なんて言い方は説明責任も何もなくて脅迫商法なのだ。それを行ってる末端を制御出来ない孫正義は、そうゆう人間なのだって話し。
 本題から随分逸れたが、前に書いたように最初にパソコン通信が始まった頃は300BPSの音響カップラーの時代だった。BPSとは「ビット、パー、セコンド」で1秒間にコンピュータで扱うデジタル情報の二進数の1か0かの情報(これを1ビット単位と呼ぶ)をどれだけ(1秒間に)送れるかって単位だ。300BPSとは0か1かの信号を一秒間に300個送れるって能力の話しなのだ。(詳しく言うと、信号の前後にスタートビットとエンドビットが必要なので、1文字8ビットを送るのに10ビットが必要)
 で、現在はわが家でISDNを利用して64KB。つまり、64、000ビットが受信可能になっている。64000/300ってことで速度は劇的に向上した。さらに光ケーブルで10Mの速度ってことは10000000/300ってことで、わずか10年の間に個人が行うコンピュータ通信は廉価で高速って流れに乗っているのだ。
ここまでパソコンが接続されている通信ネットワークの速度が高くなると(1秒間に入手できる情報量が増えると)、電子メール以外に沢山の使い方が増えてくる。その例がIP電話であったり、テレビ会議だったりする。画像と音声を同時に送れる。ってことはテレビと同じ機能をパソコンが担う時代になったのだ。

「コンテンツ」って名前に騙されている
 パソコン通信が始まった1980年頃。も少し後の1985年頃にネットワークに関心のあるマスメディアの一部が新しいメディアに新しい市場を模索した。何故か多くは新聞社だった。当時の通信回線の能力では文字を運ぶのがやっとだった。電子メールと電子掲示板だけの機能なのだが、新聞社は着目した。文字が流れるってことに自分達との同業性を感じたのだろう。
同じようにFAX新聞なんてのも船舶や日本の海外支店で重宝されてる「文字」メディアだ。ところが、インターネットとそれを繋ぐ通信回線が劇的に高速になったので、動画電送が可能になった。これに放送局が先の新聞社と同じように関心を示した。動画が送れるなら今の電波放送をさらに拡張できるではないかって思惑で。
 先に結論を書いてしまうと今の電波放送は分業が進み、結局流して消える契約しか無くて再放送一つとっても非常に難しいのが現状だ。極端な例はドラマの喫茶店のシーンでバックに流れてるBGMの使用許可(使用料)を再度JASRAC(の宮沢さん(笑い))から取らなければならないのだ。1本のドラマをインターネットのコンテンツとして流すには、著作権法で新たに定義された「自動送信権」って権利を取得する必要がある。
この著作権法の改正は画期的だと思ったのは、これを既存の著作権に「新たに加える」って法律改正の精神。元より誤解が多いが著作権法の法の精神は「著作物を広く流通させて文化発展に寄与する」(意訳)のが目的で特許のような権益の保護の精神に立脚したものでは無い。だから、「自動送信権」(いわゆるネットでの流通)は新しい権利で著者はこの契約が無ければ自由に自らの著作物を「自動送信」出来ると規定している。別枠として設けられてるのだ。
 だから24時間毎日放送している放送局の「番組」は簡単にインターネットで流せるものでは無いのだ。まして、地方の放送局はキー局からのコンテンツを流しているだけの「流し」なのだから、日々我々が目にする放送局の「番組」はキー局から「流し」によって我々に届くのであって、目にする放送局の持ち物では無い。
 で、先の新聞社のパソコン通信への関心と同じように地方テレビ局もインターネットでの動画配信に関心が高い。だが、「コンテンツをお持ちですよね。それを流しましょう」と言われても、実は人気の有る(視聴率の高い)コンテンツはキー局からの「流し」なので、コンテンツなんか持って無いと思ってしまう。
 ここに言葉の問題点が有ると思う。コンテンツと言われると具備すべき条件を精査すると難しい。でも、「独自番組で流せるもの有りますか」と聞けば結構有るってことだ。

僕が唸ったBBコンテンツ
 突然電話が入り、委員会とかワーキンググループって会合に引き出される。ま、一方的言い方で誤解を招くかもしれないがこちら(僕)にも仕事につながるかなってスケベ根性は有る。名誉職で名前を連ねる委員会メンバーと比べてこちらは「切実(笑い)」な問題意識を持った「委員」なのだ。
 放送とデジタルコンテンツを考えるなんてテーマで考えなければならない立場になったので色々とインタネを調べてみて気が付いた事がある。NHKの「一人勝ち」である。先のコンテンツを独り占めしてきたのだ。NHKなら過去の全ての紅白歌合戦を自動送信するためにJASRACへの申請だけで済むだろう。得られた「コンテンツはNHKのもの」って精神に貫かれている。だから、膨大なコンテンツを持っているのだ。
 それに対して民間放送局は負け犬で良いのか。実は民間の地方局でも「独自コンテンツ」は有る。それは地方ニュースなのだ。「小泉首相が」なんて「番組」はキー局からの「流し」の商売。でも、放送局たるために独自番組を作っていたのだ。
 例えば過去に放送免許を与えるって口実になってるのが「XX文化放送」なのだ。今の総務省、昔の郵政省は全国にくまなく地域放送局を認めていた。僕に言わせれば「利権の拡大」でしか無いのだが、全国に民放の数は増えた。でも実態は「食い物と温泉」だけの放送局と言うかコンテンツを増やしただけなのは視聴者である我々が一番良く解っている。郵政省の利権拡大には「教育」をテーマにした「健全」な(爆笑)放送局の整備ってお題目が合った。だから、今の東京のラジオ局の「文化放送」って名前が生まれたのだ。物事には裏がある。その「官のほころび」が誰でも解る形で示されてるのが「文化放送、文化放送、JOQR」だろう。
でも、結構地方局はしぶとくて、ローカル・ニュース番組だけは独自コンテンツと分類されるのだ。
 その事実を踏まえたかどうか知らないが、北海道から「放送」してるコンテンツの例を紹介すると北のSLがある。これに加えてHTBって放送局のコンテンツも有るのだけれど基本的に「北海道独自のコンテンツは何か」って問いに対して僕はこのコンテンツを挙げたい。
基本的に蓄積された独自のドキュメントって観点が放送局側の意識として弱いと思う。価値有る映像を蓄積しているのだ。これを「コンテンツ」と呼ぶからおかしくなる。
 放送の先に有る放送の再現こそが放送局の「コンテンツ」なのだ。そこ見据えて番組を作れるかどうか、それが、北海道の民放生き残り戦略なのだ。だが、放送局は機能重視で少ない現場職員で利益を上げる経済構造なので、「流し」でしか生き残れない放送局も存在するのだが。
 歴史って視点を加えると、放送局の持つコンテンツって言葉はドキュメントって言葉に置き換えられると思う。ドキュメンタリーでは無い、直訳で言う「資料」である。その資料を再構成して歴史を見せるのが放送局のコンテンツ戦略では無いだろうか。新しいコンテンツを作ろうなんて事でジタバタしていては「敵を知らず、己を知らずしては100戦して100戦あやうし」なのだ。

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2003.03.01 Mint