人材育成は英才教育なのか

IT時代の人材育成
 仕事なのかボランティアなのか解らない状態でとあるワーキンググループの委員を仰せつかった(正確には割り込んだが正しいのだが)。「ITと人材育成」ってテーマなので興味は有ったのだが、内容は「IT技術者の育成」ってことだったらしい。最近感じているのは特に役所の仕事が「表意文字」だってこと。事業のタイトルが過去に出ていないと斬新なので予算を付けようとなる。その内容は民業圧迫みたいなものまである。
 僕は小泉首相の「民間でやれるものは民間で」って意見には賛成する。が、小泉首相の視点がずれてるのは、「役所でしかやれないことは役所で」って視点だ。
福祉とか医療保健とかの話しでは無くて産業育成分野に絞って今回は考えたいと思う。
今の時代IT技術者は不足しているってのが役所の認識だ。だから育成しなくてはいけない、その方策を考えようってのが先のワーキンググループの主旨だったのだ(僕は、それを最後の会議で解った(遅いねやぁ、サダ))。僕の表意文字理解では、それは「IT時代の人材育成」では無くて「IT技術者養成」なのだ。ここに日本的表意文字文化が有る。役所では予算措置する時に「IT技術者は不足している、故に養成しなければならない」ってスローガンは何も実情を解らない財政当局に受ける説明なのだろう。ところが、そんな企画は何処の部署からも出てくる。そこで「表意文字」を使う訳だ。内容が同じでも事業名が「斬新でユニーク」であれば「役所でしか出来ない」となる訳だ。
そんな経緯で国民の税金が同じ様な事業に重複されて施工されたのではたまらない。何故、こんな方式になるかと言えば財政当局が入りと出を調整するために入りに見合う出を募集しているからだ、現在の財政制度に問題があるのだ。便秘じゃないのだから出れば良いってものでは無い。「とにかく予算は執行しなければならない」って金額の調和の中で出してしまう制度を再考する必要がある。
 特に「産業育成」なんて分野での予算は国会議員の利権になりやすいが、加えて実情を知らない財政当局を騙す作文で事足りてる現状も改革しなければならない。

人材育成って役人に出来る施策か?
 で、このワーキンググループでの会話はオフレコにしておく。気分次第で後から書くかもしれないが、今回の主題では無い。
 僕が考える「人材育成」ってのは教育そのもののテーマだと思う。人を材となすためのお手伝いってことだ。ところが、役所で予算が獲得できる産業育成分野での人材育成ってのは高度な技術を持った人の育成なのだ。そしてその人を認定するなんておまけが付く。キーワードを言っておくと「ITマイスター制度」なんてことを行っている市町村がある。本音を聞けばマイスターだったら仕事が有る訳では無いってことらしい。つまり、過去の情報処理技術者試験のてつを踏んで、役所で認定すれば権威が有るだろうって発想だ。
それが無効だったので情報処理試験は実情に合わせて手を加えている。その苦労たるや大変なものだ。そこには資格を与える権威を「試験を受ける人間のニーズ」では無くて「資格を持った人間を受け入れるはずのマーケットのニーズ」に立脚する土俵の変化が有るのだ。
で、このようにITに関しては「資格」なんて制度を持ち出すのははなはだ難しいのだ。そもそも「資格」を取った技術が何年先でも使える状態では無いのだ。ITの現場は戦場である。新しいルータが出たらそれを勉強して対応しなければ成らない。新しいヴァイラスが出たら、それを勉強して対応しなければならない。とても公務員試験に合格したら一生安泰みたいな世界と違うのだ。
 だから「IT技術者不足」も「新しい技術を勉強して対応する人間の不足」なのであって土建屋のような「頭数の不足」では無いのだ。つけ加えると新しい技術に付いて行けなくてスピンアウトする人間を補充しなければならないからIT技術者は不足するのだ。
同じ「不足」って表意文字でも実情理解は役所と民間ではこれくらい違う。

高度な技術者よりも、柔軟な技術者育成を
 僕が大学で教え始めてから感じたのは、教育に必要なものは、教える者(僕かな)と教わる者(学生)の「根性」(って言葉、大爆笑だなぁ)だと感じたこと。
今でこそ慣れたけれど最初に講義で何を話すかはすごく悩んだ。今年で4年目になるのかな、一番自分なりに成果を感じたのは2年目だった。3年目の学生には申し訳なかったと思っている。
僕は熱血先生タイプにはなれない。自分の価値観を他人に押しつけることが出来ない。出来ないのは気弱ってことでは無くて、価値観は個々人が鍛錬して得るもので簡単に教えたり出来ないって信念があるから。
僕の考える「IT時代の人材育成」ってのは技術に優れたエリートを育てるIT技術教育では無くてIT技術を使った人材育成方策の検討なのだ。IT技術者教育は結果がビジネスに結びつくのだから民間がやれば良い。民間ができる事は民間にってことだ。でも、ITを利用した人材育成は民間には出来ない。ITを利用した受験勉強くらいしか出来ないのだ。
 先に書いた2年目の講義が僕に手ごたえ有った(もちろん学生はNoだったかもしれない)のは課題貫徹、提出しない者は不可にするって宣言したことだ。学生は良く勉強して課題を提出してくれた。3年目に考えたのは個々の学生の力量に合わせた講義だった、だから、「解らない者は解るまで調べろ」みたいな部分は排除し、課題を提出出来ない学生に向けて締切が近づくと暫時ヒントを流していた。で。結果は「可」が取れれば良いって学生が増えてしまった。
 ナンデダロォ、 ナンデダロォ。と考えると、僕の講義に「人材育成」の観点が抜けていたからだと思う。もちろん学生は年度毎に変わるので統計で言う母数の変化は考えなくてはいけないのだけれど、2年目の講義では民間企業の考え方、仕事、就職って雑談を多くした。3年目の学生に「余計な話しが多い」(一人)と言われたので講義の方針を変えたのだがこれが不味かったのかもしれない。
 ま、非常勤なのだから、ショバの臭いを運ぶってのが必要なのだろう。
そこで考えたのが、高度な技術で差別化する産業施策では無くて、広い裾野持つ人材育成を税金で行って、高度な技術は民間の仕事って分類はどうだろうって言ったら却下されてしまった。
 なんとか、都市部の講演会を地方にインターネットを使って流そうって企画は生き残ったが。
「ITと人材育成」ってテーマは「ITを利用して人材を育成する方策」であって「IT技術者を育成する方法」とは読めないよなぁ。役所の言葉の理解力ってのは民間と違う方言があり、誤解を招くなぁ。

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2003.03.23 Mint