「戦後」この言葉が無くならないのは当然

宮城って辛うじて変換
 NHKの番組で見て初めて知ったのだけれど、130年前の大政奉還で江戸城は東京城と呼ばれるようになり、やがて宮城になり、昭和20年頃から(NHKって敗戦からと言わないのだよねぇ)皇居と呼ばれるようになったって内容。
 我々の世代では、あそこは皇居なのだが、はて、宮城と呼ぶ世代は居るのかと回りに聞いてみた。
 「母親が東京に出てきたので、何処に行きたいって聞いたらキュウジョウって言うんで飯田橋からビックエッグに行ったら、罰当たりと言われた」って意見を聞きましたよ。もっとも世代的には同世代なので母親の歳は昭和1桁くらいかなぁ。
キュウジョウは「球場」では無くて「宮城」の世代が居るのは検証出来たのですが、日本人って同じ物を名称変えて生き長らえたのかどうか、考える事が更に増えるんですね。
 考えてみると「戦後最高の気温を記録」とか結構マスコミって比較基準に戦後って言葉を使っている。でも、それって統計学的な有効数字って意味で使っているのかと言うと、単に「枕言葉でしか無い」ってことだろう。誰も解らないがこの表現を使えば伝わるって暗黙の了解が「戦後最大の」みたいな用語を使わせるのだろうか。
 天気予報なんかはデータが戦時中なので公開されなかったから「記録されている数値の中で」って表現で「戦後最大の」ってのは解る。と言うか、それしか出来ないのかって苦言もあるのだけれど。
 で、「戦後」ってキーワードを我々は何処まで携えるのだろうか、ってのが今回の疑問。

戦後を意識してこその日本だった時代は有った
 平成生まれの子供たちが高校生になっている今の時代に「戦後」ってキーワードはどれくらい理解されてるのだろう。「1945以降」って単なる年次の節目なのか戦中と戦後を分けて考えたい故の表現なのか。とにかく「戦後初めて」みたいな用語はいまだにマスコミで使われている。
 国民の過半数が昭和生まれで、教育は国粋主義では無くてグローバル(か、アメリカのスタンダードかは意見が分かれるが)になった現在。物事のスケールに「戦後」って枕言葉を使う理由は何だろう。戦前、戦後を生きた人々へのアピール度が高いからこの用語を使うのだろうか。
 この「戦後」が解る世代、つまり「戦前」と連動して戦後が解る世代ってどの世代なのだろうか。漠然と語るが昭和1桁世代以前の世代だと思う。一部に昭和2桁生まれでも「戦後」を感じた世代は居るが、やはり昭和一桁が戦後の激動を体験した世代だろう。
 マスコミが用語として「戦後最大」を使う時に一番反応するのがこの世代だろう。戦中と戦後を見てきたのだから。で、聞いてみると先の宮城(キュウジョウ)の話なのだ。時代背景あっての庶民の生活であって、「宮城」が「皇居」と呼ばれても、それぞれ生きている人々には名称なんか関係無い、前世代から教えられた存在を継承している、それが「文化」だ。

「戦後」を容認する世代が居るからこうなった
 マスコミへの苦言になるのだが、「戦後」を使うマスコミの自己批判を求めたい。つまり「戦後」は新しい時代であって、旧来の大本営発表を丸写ししてたマスコミと時代は変わったのだとでも言いたいのだろうか。
 時代は企業の存続の大切な背景では有るが、基本的にマスコミが企業として生き残るために時代に迎合した感はいなめない。それを批判するのでは無い、あってしかるべしって感覚を僕は持っている。
でも、その暗黙の了解を無視して活動するのは反対だ。その意味で「戦後」って用語を使う各社には違和感をおぼえる。「戦後」ってキーワードは、もはや国民の少数の人間にしか解らないキーワードなのだ。、それを、あえて使うのは「裏に企図がある」としか思えない程の用語なのだが、マスコミは常用区として使っている。だいたい、「戦後最大」って言ってるアナウンサーが昭和40年代生まれでは「説得力無いぞ」と叫びたくもなる。

1945年からの統計ではと言えよマスコミ
 純粋に「戦後」を捉えるのは、もはや「歴史学」の世界になってしまった。その 意味でここのホームページ検索ログを見ると「さとうぎび畑の唄」とか「沖縄地上戦」とかのキーワードでアクセスしていただく人々の多さを感謝している。
 ドラマを見て初めて60年前の沖縄戦の情報を得た若い人は多いだろう。今やテレビドラマで放映されたドラマをドキュメンタリーとして情報を補填したい人々が沢山居るのだ。その人々は検索エンジンで仲間を探す。その一部がここのページの「さとうきび畑の唄」のキーワード検索につながっていると思う。
 僕は漠然と感じているのだけれど、今回の自衛隊のイラク派兵と「戦争」って言葉とは直感として繋がっているのだろう、だから若い層は「さとうきび畑の唄」を検索するのだろう。
 悲しいことに戦争は若者の死を意味する。僕はこの歳になって兵隊にならなかった自分を考えると「戦後」世代なのかもしれない。そんな人間が何を言ってもとは思うが、徴兵制度が無い今の日本が本当に理想的だったのかと考える部分がある。
野坂昭如さんが言っているが、「全ては戦前であって、戦後なんて無い」って意見を鑑みると確かに「戦後」ってキーワードは存在っしないはずなのに、何故、マッスコミは使うのだろう。

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2004.01.15 Mint