オリンピック>福原愛の壁は経験不足
卓球との出会いは暇つぶし
何でも口を挟むMintさんと思うかもしれないけど、大学時代にクラブに属さないで沢山のスポーツを体験したので「自分でやったことがある」って点で発言の資格はあるかなと思う。
卓球は情けない話だが学生時代に寮に居て唯一の娯楽だった。それまで卓球をやったことは無い。200名が住む工業大学の寮で唯一娯楽と言えるのが卓球台だった。1年生の時にピンポン的な遊びを始めたのだがけれど、結構盛り上がって徹夜の卓球も何度かした。でも、その卓球は競技卓球では無くて、リクリエーションだった。本気で卓球やりたければ大学のクラブでやれば良い。寮のホールは卓球を楽しむ場だった。だから、時々付近のオジサンがタクシー飛ばして(実は市の外れの地域に寮がある)参戦なんてことも有った。
試合で勝敗を決めると言うより我流の楽しみが卓球との出会いだった。だから卓球部に勧誘する友人をうざいと思いながらテクニックだけは教えてもらった。
「型を決めろ」ってアドバイスで深夜にラケットを持って素振りを繰り返したのは思い出だが、ま、たんに時間が余っていたってことかもしれない。強くなりたいとは思わなかった。当時はペンホルダーが主流だったのだが、特に意識せずにドライブがかかってコートに落ちる玉に快感をおぼえていた。
もし「卓球が巧くなりたい」と思っている人が居たら型を作るのが基本と言っておこう。自分のラケットの振りの型を作って、飛んでくる球に合わせて体を移動するのが卓球やテニスのようなラケット競技に必須のテクニックだ。極力自分の型で打てるように体を移動するのがラケット競技の基本中の基本。で、それが出来ないときに腕で調整する。基本が出来てないと上手になれない。
社会人になって卓球人口の狭さを知る
正直言って卓球は娯楽の中でランクが低いと思う。大きな理由は「汗をかく」ってことかな。トレンディで無いのと汗臭いのが敬遠されていた。これは1975年頃の話。
それでも結構、うちの奥さんと結婚前に卓球をしたと思う。それは卓球は競技ではなくて娯楽だって僕自身の意識があったから。そもそも卓球は競技なのかなぁ。
現在持っているラケットは結婚後揃えたものだ。卓球を極めたいと思ったのだけれど、あの狭い卓球台ですら公開している場が少ないのに愕然とした。シューズとラケトとケースを揃えて体育会系のクラブに入らないで卓球を楽しむ方法は卓球場で煙草の煙にまみれてラリーするくらいしか無かったのだ。
どちらかと言うとビリヤード台が空くのを待つ間の娯楽、温泉宿の酒飲みながらの娯楽って感じだった。体育会系のクラブには参加するつもりも無く、やがて道具一式は使われなくなっていた。
が、各地域に地区センターが出来る頃に卓球は娯楽からリクリエーションの種目として台頭してきた。許せないのは他の区から独占的に地区センターを利用するグループが出ている点だ。西区の場合、南区からの遠征組みに卓球台が独占されることが多い。これではねぇ。
福原愛の卓球は経験不足
経験不足と言うか世界でもカットマンが少なくなっている現在に、組み合わせの妙からカットマンに当たってしまった。次回の北京オリンピックではどうか解らないが世界の卓球はラリーとスマッシュの時代に入っている。カットマンは守りの卓球として選択する選手は少ない。
日本ではカットマンで戦っているのは男子に一人居るだけだろうか。その多様な相手の中でカットマンとの対戦があったのは不幸だが、どのようなタイプの選手とも戦う経験が無かったと思う。既に日本では福原愛と戦うカットマンは居ないのだから。
15歳の福原愛には初めてのカットマンとの対戦だったのではないだろうか。だからテレビで中継された福原愛の戦いは僕にとって歯がゆいものだった。耐えて返すカットマンに対して同じく返すことだけに専念していた。そもそもペンホルダーのラケットを使っているのだけれど、表と裏のラバーの色が赤と黒で別々だった。カットマンに対応するなら同じ色のラバーだろう。しかも握った時にどちらの面なのか解るように握りに工夫をしておく。それが全然無かったようだ。
カットマンが少なくなった今の卓球業界で、カットマンを苦手にしておいても時代が進めば居なくなるが、ま、どうするかは福原愛が決めれば良いのだが。
4年後も10代の福原愛
北京大会では中国が卓球には力いっぱい打ち込んでくると思うので福原愛の金メダル獲得は無いと思うが、基本的に4年後はカットマンはほとんど居ないだろう。その意味で福原愛の最大の課題はカットマン対策と言うより身長だろう。
卓球で世界にごして行くためには慎重は170CMは欲しい。先のカットマンのカットは卓球台の下で行われるので身長があればカットの様子を見ることはできる。身長が無いとカットがどちら方向にかけられたか確認するのは難しい。
多くのカットマンが敗れるのは身長の高い選手に対してだ。その意味でも今後身長が170cm代になるのが必須となる。
リクリエーションとしての卓球と競技としての卓球の大きな違いは勝たなくてはならない点だろう。福原愛が卓球で勝つだめには経験と体格って2つの課題があると思う。もちろん、福原愛がリクリエーションとして卓球をするなら不足しているものは何も無い。しいて言うと会場不足くらいか。