言葉の暴力、ジダンとマテラッツィの騒動
言葉の暴力vs肉体暴力
90分で決着が付かず延長戦に入ってその延長戦も後半、あと10分のところで突然のジダンからマテラッツィへの頭突き。それも、最前線から遠いセンター近くでの出来事でビデオ判定でレッドカード一発退場になった。
実はサッカーでは最前線で無い場所での乱闘は結構あって、サイドが替わってカメラが切り替わると急にディフェンスの選手のユニフォームが破れていたなんて事を目にする。場面展開によっては最前線でボールを操る選手は数人、残りの選手は手持ち無沙汰で遊んでいるのでは無く、ポジショニング取りでボディチェックを繰り返してるのだ。
今回の場合は試合中なので暴力行為は即刻レッドカードで退場。その経緯が明らかになってくるとスポーツの場での言葉の暴力が明らかになってくる。
ま、このあたりは阪神フアンが凄まじいのだが、これが自軍の選手に向けられるのが関西的な行動だ。田淵選手は三振してベンチに引き上げる時に何度も「田淵、大阪湾の水は冷たいでぇ」(つまり、大阪湾に叩き込んだろうかって意味)とヤジを飛ばされた。現在、読売ジャイアンツの監督の原氏も阪神甲子園でエラーをした時に「いつまでお嬢さん野球やっとんねん!」とヤジられて半泣きになったことがある。動揺して自分がエラーしたのに回りに「どんまぃ!」と叫んでいたらしい。このあたり漫才ネタになったこともあるが。
解説者の金田投手は客のヤジに腹を立ててベンチからバットを持って飛び出し観客席に向かって「いま、ヤジったの出て来い」と喧嘩を仕掛けたこともある。
国会でも品格を疑うようなヤジがある。イギリス議会あたりではユーモアに富んだヤジが多いが、日本の国会のヤジは祭りの掛け声みたいもので品格が無い。
で、今回のW杯のジダンの行為は、言葉の暴力に対抗した頭突きなことが解りつつある。
言葉の暴力はダメージが第三者に解らない
言葉の暴力は心を傷つけるので当事者にしか傷害の度合いが解らない。物理的な怪我なら全治3週間とか医者が判断できるが今の精神医学では心の傷は全治3週間とか判定できない。逆に心の傷は一生治らないこともある。
ジダンがかたくなに「その一言」を明らかにしたいのは口にするだけで益々ジダンの心の傷口がえぐられることになるからだろう。マスコミも「その一言」を推測するよりも、スポーツの場で差別的表現で相手選手の心を傷つける行為を糾弾すべきだろう。勝つためには何でもするって西欧的なルール本位主義が、どこか日本人的な感覚に合わないのは、まさに、このあたりにある。
オリンピックの柔道で誤審により銀メダルになった日本選手が「弱いから負けたんです」と言うと相手選手は「自分が弱いって認めてるだろう」と畳み掛けてくる(ま、柔道なので畳み掛けてくるのだが)そこには、紙一重で負けた相手を思いやる姿勢は無い。これが日本人的な感覚を逆なでする。
今回のジダンの行為に日本人が同情的なのと正反対にMVP剥奪なんて論調が西欧ではまかり通っている。FIFAも第三者調整の乗り出してるが基本的に「ルールを守れない奴は排除」で通すだろう。逆にルールを曲げてはスポーツそのものが成り立たないのだから。
単にサッカーのルール適用で判断するのか、人間味まで加味するのか、日本人的には後者が望ましいのだろう。なんせ日本には「武士道」の精神があり、強いものほど自重するって精神があるのだから。そもそも、試合中に選手が私語を交わすってことすら日本的に見れば「ありえない」行為なのだから。
相手を罵倒してはスポーツマンでは無い
読売ジャイアンツのチームのスローガンは「紳士たれ」。ま、渡辺オーナーを見ていると「真摯たれ」と叫びたくなるのだが。良き人間でなければスポーツは出来ないって精神が込められている。サッカーが野球と比べて後進なのは、中学校、高校で野球に進めない子供達がサッカーを選ぶって現実。実際、リトルリーグを見るまでもなく野球は小学校の頃からの両親の理解と資金援助で成り立っている。一方サッカーはリトルリーグが無く中学校から始める子が多い。その世代では既に野球はリトルリーグからのメンバーに占められ新規参入するのは難しい。
ゴン中山が作った雰囲気なのだろうが、サッカー選手は野球選手と比べると粗野で軽い。
今回のマテラッツィの言動にしても世界の一流選手としての品格が無い。それはサッカーの選手層自体が品格に欠けるメンバーが多いからだろう。サッカーにも「紳士たれ」の精神はある。Jリーグが始まった頃にゴールした喜びでユニフォームの上着を脱いで走り回った選手に「選手としてのマナーが守られていない」とイエローカードが出たことがある。あの、中村俊輔ですらユニフォームの上着の裾を中に入れてなかったことで審判から注意されたことがある。
サッカーの試合を見ていて上着の裾をヒラヒラさせているのは見苦しい。相手ディフェンスが掴むからそうなるのか、掴まれたのが見えやすくしてるのか、どちらにしてもダラシナイって感じはいなめない。
まして、試合中に相手選手の家族を罵倒するなんてのは品格に欠け、人間性を疑う。残念なのは審判に言葉の壁があって罵倒を繰り返してる選手に注意が出来ないことだ。特にサッカーの場合、第三国の審判が裁くって規則があるので言葉の壁は必然的に避けられない。この部分をルール強化に求めても解決しない。選手の品格の問題なのだ。
その意味で国と国の戦いなのだからマテラッツィはイタリアを代表する下衆野郎ってことだろう。そんな選手を選んだイタリアに汚名は帰する。
無口になればなるほどジダンが優位
ある種、劇的な現役引退を招いたのだがジダンの今までの功績が全て消されるのでは無い。逆に今までの全ての功績と引き換えにしてもマテラッツィの暴言に腹を立てたって証左だろう。日本人的な感覚ではせめて喧嘩両成敗なのだが西欧の感覚はどのように判断するだろうか。
子供達に「罵声を浴びせられて許せなかった」って状況を伝えるのは難しい。どんな罵声を浴びせられても冷静にって教えなければならない。
事の経緯はジダンがマテラツィが必要にユニフォームを掴むので「ユニフォームが欲しいなら試合が終わったらやるよ」って言ったと報道されてるが、これは挑発行為だ。そもそも、選手は試合中に私語をしてはならない。その挑発がマテラツィの罵声を引き出したとしたら。ジダンのマッチポンプだ。
言葉は難しいし、その時点での状況を正確に伝えることは出来ないが「そんなにジダンのユニフォームが欲しいのか」って言ったとしたら十分挑発行為だ。また、「おまえの母親と姉は売○婦」も正確では無いだろう。日本語にするなら「姉妹がイン○イ野郎」くらいのニュアンスだろう。
国家を代表して戦ってるにしてはお粗末だ。「おまえのカァチャン、デベソ!」ってW杯の決勝戦でやっているのだから。
サッカーが品格の無いスポーツになってしまった責任は、そのような選手を育ててしまったサッカー協会が負わざるを得ないだろう。コンサドーレ札幌でも飲酒運転の選手が出た。即刻解雇だ。この毅然とした社会規範が「紳士」を育てていく。
どっか、サッカーはサッカーさえ出来れば良いと選手を甘やかす体質にあるのではないか。