小学校で実験を行ってみると
アルキメデスが発見したのは、お風呂から流れ出たお湯の量は自分の体積と同じ。複雑な形をした王様の冠も水に漬ければ体積が解るって発見でした。
金も銀も同じ大きさ(体積)でも重さが違うので、王様の冠の体積がわかれば、同じ体積の金と重さを比較して、全て金で出来てるのか銀が混じっているのか解ると考えたのです。
で、比重ですが、同じ体積の水と比べた重さと決められて(考え方を統一して)います。偶然、水は一立方センチメートルが1g(グラム)ですから、物質の一立方センチメートルの重さと勘違いされますが、あくまで比には単位はありません。
ちなみに、金の比重は数ある物質のなかでもかなり高く19.32、銀は10.5ですから、冠の体積(立方センチメートル)×19.32(比重)よりも冠が軽ければ金以外のものが混じってるのが解ります。
さて、この比重の勉強は小学校の理科で行いました(今は方法も違うし、小学校でやらないかもしれないですが)。
今考えると無理なアルキメデスの原理の実証実験でした。
各自が家から生卵を持ち寄ります。
実験ではまず生卵の重さを量ります。
次にビーカーの下にシャーレを敷いて、ビーカーに水を注いで満杯にします。
そこに持ってきた生卵を沈めてビーカーからあふれ出てシャーレに溜った水の体積をメスシリンダーで測ります。
そして生卵がビーカーの中で浮いていたか沈んだかを観測記録として残します。
実験後、クラス全員の実験結果を整理します。
持ち寄った生卵は横の鍋で給食の時に食べるようにゆで卵にします(これは理科とは関係無いっか!)
生卵が沈んだグループの生卵の重量と水の量、生卵が浮いたグループの卵の重量と水の量を大きな紙にそれぞれ分かれて書き出します。黒板に張った紙に各自が分かれて実験結果の記載が進むと、だんだん、先生の顔が曇ってきます。
そして、最後に先生は言ってはならない事を言ったのです。
先生「みんなの実験は失敗だ。生卵が沈んだグループは生卵の体積よりも生卵の重さが重く、生卵が浮いたグループは生卵の体積よりも生卵が軽くなければならないのに、結果がそうなってない。アルキメデスの原理に合ってない。」
ガーン、それを言っちゃぁおしまいでしょう。何のために実験するか本末転倒でしょう。
で、授業は「しゅうりょぉぉ」だったんです。
小学校4年生程度で、表面張力が影響する小さなビーカーで、しかも比重が1.0に近く、持ちにくくて滑ってポチャンとビーカーに入ってしまえば正確な実験にはならないのは自明で、生卵を使うのに無理があります。
あふれる水では無くて浮力を測定
で、この授業がトラウマとなって私は「比重」と聞くたびにテレビで映される選挙の開票速報を見ながら落選が決定的になる立候補者の様子と先の先生の様子をダブらせてしまうのです。
先のアルキメデスの原理の話をストリーキングで終らせると「あふれた水を測る」となってしまうのですが、詳しく書かれた本では、その後、アルキメデスは王様の冠を糸で吊るして水に漬け、空気中での重量と水に漬けた時の重量の差を冠が押しのけた水の量と同じと気がつき、重さの差の測定だけで体積を出せることに気がついたのです。
浮力で体積を知ることができる。これが、アルキメデスの原理の本質でした。
浮かんだ卵と沈んだ卵では比重が違うってことを実験から導き出す先の先生の考え方は理論としては解りますが、アルキメデスの原理を知る現実的な実験ではなかったのです。しかも、浮いてしまう生卵が含まれるので重量差の測定は無理なのです。
実験には測定誤差が発生します。オームの法則の実験で電圧は整数のボルト単位、電流は小数点以下2桁まで測定なんてのを行うと精度が電圧に引っ張られて正確な結果が得られません。有効桁の問題も実験を行う前に留意する必要があります。
アルキメデスの原理って裸で飛び出したと文学化されてますが、人類にとってすごく有意義な浮力の発見と測定だったんですよね。
そこから導き出されたのが比重って考え方なのです。