国民投票法で憲法改正の道筋は出来たが

今までの政治家が不作為
 日本国憲法には第96条で憲法を変えるための手順が示されている。
1)衆議院、参議院の2/3の賛成によって提案される改正案に
2)国民の過半数の賛成が必要
現在までこの2)が法律として整備されていなかった。実に60年に渡って憲法を改正する仕組みが用意されていなかったのだ。
しかし、一部の護憲派は2)の仕組みを作ること自体に反対してる。改正する法律が無ければ改正されないっておよそ民主主義を愚弄した自己中心的な護憲を展開する。
また、ここまで立法府の不作為が放置されたのは日本人に憲法を改正する意思が薄かったのも原因だろう。いわゆる「平和ボケ」で戦後を過ごしてきたが湾岸戦争で130億ドルも拠出したのにクエートから感謝もされず、逆に諸外国からは「日本は金だけ出して手は下さないのか」と批難された。
国際貢献には金を出していれば良いと言うのでは独立国としての尊敬は受けられない。自衛隊の海外派兵(派遣)をその度ごとの時限立法で対処するのには限界がある。そもそも、自衛隊は現在の憲法では認められないのではないか。
このような国民意識の盛り上がりが結果として国民投票法の成立へと繋がったのだろう。
しかし、他に手本を持たない法律なので、その内容には議論が足りない部分もある。特に「最低投票率50%以上」は結果の成立に必須な気がする。また18歳以上とした点にも説得力ある話し合いがもたれたとは考えにくい。

歴代の総理大臣はどう考えていたか
 最近では憲法改正を口にした総理大臣として中曽根康弘総理が記憶にあるが、実は憲法発布の時から中曽根康弘総理は「軍隊の無い国なんて、やっていけない。憲法を変えるぞ」と考えていた。
憲法発布時の吉田茂首相ですら憲法改正を考えていた。社会党と自由民主党が出来上がった55体制で、自由民主党の綱領には「憲法改正」が盛り込まれてる。その中心人物は鳩山一郎であり岸伸介であった。だが後に日米安保改定までこぎつけるが岸伸介も憲法改正に手を染めることなく退陣する。この後から自由民主党では憲法改正がタブーになった。先の中曽根康弘総理大臣にしても総理に就任してからは具体的な行動を起こさなかった。
 変える必要性を感じなかったのは憲法9条「国権の発動たる戦争を放棄する」、「国の交戦権は、これを認めない」の部分が自衛隊の実態に合わない部分だが、当時は冷戦の時代で、逆に米ソの対立軸に巻き込まれる選択よりもアメリカ追従の路線が最適で自衛隊は国内問題に留めておけたのだ。
冷戦の時代は日本は独自路線なんて外交を行おうものなら両方から袋叩きにあうのだから、アメリカにぶら下がっておとなしくていれば良かったのだ。

国際貢献を求められる立場になった
 日本の外交はアメリカ追従路線と言われるが、アメリカ自体は冷戦構造が終了したのだから日本の「ぶらさがり」にはメリットが無くなった。今でも年次要望書を突きつけてきているようだが、逆に日本が独自に外交展開してアメリカの補佐を出来ることを望んでいる。例えばアメリカが説得しなくても国連でアメリカの意向を日本が後押しできる力とか。
 また、イラク、イランと戦争が拡大すれば極東アジアの北朝鮮問題まで手が回らない。少なくとも韓国に駐留するアメリカ軍は撤退しグアムを中心としたアジアへのアメリカ軍の展開が中心になる。
 外交の1カードとして軍隊を持たない状態では外交におのずと限界がある。既に竹島は不当に占領されているし、拉致事件も同じ、東シナ海でのガス田開発も、外交の「口で言うだけ」では限界があるだろう。
 今回の国民投票法の施行は3年先だが、仮に18歳からの投票にするのなら現在の高校教育でしっかりと憲法とは何かを教える必要があるだろう。また、その副読本を広く国民で共有して我々国民も憲法をどのように改正するのが正しいのかを考える必要があるだろう。

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2007.05.15 Mint