加藤紘一氏のオーマイニュースのインタビュー

安倍晋三氏支持への雪崩現象
 8月28日に「創刊」となったオーマイニュースだが、ま、どのような方向に進むのか模索中だろうが、早速2chの「工作員」が紛れ込んでひと悶着始まっている。
http://www.ohmynews.co.jp/(2009年4月30日閉鎖)
鳥越俊太郎の小泉純一郎首相嫌いで全体の文章が歪んでいるが、加藤紘一氏が今の日本の状況を巧く説明している。
『個人が糸の切れた風船のように浮遊している。特に都市では何十万と浮遊してる。これが何かの風や磁場にシューと流される』と加藤紘一氏は世相を見ている。自身、加藤の乱の時に、こんなに賛同者が現れるのはおかしい、それほどのアピールを自分自身していないと感じたそうだ。
 直感的に分かりやすいイメージ説明だが、その内容をもっと掘り下げないと対処方法も見えてこない。
 ま、オーマイニュース自体が韓国での人気にあやかろうと、糸の切れた風船が漂うように出来上がったのだから、加藤紘一氏は皮肉を込めてインタビューで語ったのかもしれない。
僕もとりあえず「オピニオン」登録をしているが、記者登録するかどうかは保留中だ。どうも、現在のオーマイニュースは場を変えたブログの域を出ないと思う。市民記者と言っても個人が書けるニュースは日記に毛の生えたようなものだろう。それなら、ブログの域を出ない。逆に、ジャーナリストの世相収集マシーンってなら分かるが。

浮遊する個人は何故生じるか
 浮遊してる原因を考えるって手法もあると思うが、基本は弱い風や磁場に何故流されるかのほうが原因へのアプローチ手法として正解だと思う。何故なら「流されて」こそ浮遊の実態が分かるのだから流されないでただ浮いているのは何故かって議論はナンセンスなのだ。
 小泉純一郎首相の「何時行っても批判される、だから適切に判断して8月15日に参拝した」に対して何らかの風が吹かない。そもそも、国民を小ばかにした数々の国会答弁「人生いろいろ、会社もいろいろ」、「そんな公約を守らないくらい大したことでは無い」昭和の時代なら内閣が一つ壊れてもおかしくない失言を通り過ぎて暴言に何も風が吹かない。
 一方、『郵政民営化に反対なら衆議院選挙をする』ってのは、はなはだ論理性を欠く。反対して国会を通過させなかったのは参議院なのだから。参議院を脅すために郵政民営化反対の候補者に対立候補者、いわゆる刺客を立候補させる。
 しかし、この非論理的な手法に浮遊する個人は流されて自民党と言うか小泉純一郎首相は衆議院議員選挙で大勝する。こんな風は吹く。
 小泉純一郎首相の手法は風を吹かせる、それは直感的で文学的でキャチフレーズな手法だ。貼りぼての行灯のように表面は綺麗に見えるが中身がまるで無い。中身は後追いで着いてくる。しかも、時間を省略するので稚拙な中身だが、先にキャッチフレーズ段階で賛成してしまったので、反対の議論も進まない。

浮遊するように見えるのは教育の問題
 加藤紘一氏に浮遊して見えるのは、物事を皮相的に捉えて本質を考えない人が増えたって意味だろう。物事の是非を考えるのでは無く、好きか嫌いかで判断する。いわゆる愚衆を当たり障りの無い表現で『浮遊する個人』と著したのだろう。
 日本の教育制度が制度疲労を超えて臨終直前なのは、少子化で大学が希望する人間は全員入学時代を迎えて教育の質の問題になって現れてくる。教育の現場が学力向上の教育では無く、試験のしやすい暗記教育に重点を置いていたマスプロ方式から脱却せず、一人ひとりの児童・生徒に割く時間が増えたにもかかわらずマスプロ方式のまま走ってきた結果、社会に出て答えのない課題に直面して思考停止になっている個人が増えた。それが「浮遊する個人」の実態だ。
 答えの無い課題を考える力、これが今の教育の場で一番不足している。採点が難しいので教育の現場に受け入れられないのと答えが無いのだから教えようが無いって考えから導入されていない。しかし、一般教養程度の暗記物では学力は付かない。何度も話してるが「学力」と「成績」は別なものだ、教育は学力を付けるために行われるのであって、成績を上げるのはその結果でしか無い。本末転倒してはいけない。
 物事の裏を読め、自ら調べないと物事の本質は見えてこない、知識は外部から得られるが知恵は自らの内側から湧くものだ。そんな目標を持った教育が大学ですら行われていないのが今の教育だ。

教育こそが国家100年の大計
 現在の社会人は全員戦後教育を受けている者だ。戦後教育を見直す機会は沢山あったが日教組と文部省は下らないイデオロギー対立から見直しに積極的では無かった。当事者の父兄にすれば時間と共に卒業するのだから100年の大計を委ねる対象とはならない。
 結局、政治が担うべき分野なのだが、金にならないので誰も手を染めない。
実は加藤紘一氏は安倍晋三氏の「何らかの風」はナショナリズムだと先のインタビューで話してる。ちっと違うと思うが、安倍晋三氏の戦略がナショナリズムから憲法改正へとの戦術だとしたら、入り口にナショナリズムがあっても方法論としてはおかしく無い。
 で、同様に加藤紘一氏はナシュナリズムには3分野あると言う。
1)国境問題を中心にした自国の利益に関するナシュナリズム。
2)サッカーに代表されるような、国際舞台で勝利するナショナリズム。
3)自国を誇りに思うナシュナリズム。
この分類は一面本質をよく表してると思う。で、1)が「何らかの風」になると政治は非常に不安定になる。外交は国益優先だが協調路線もカードの中にある我儘を通すのが外交ではない。しかし1)は我儘を含んでいる。
2)は、せいぜい大型テレビの販売に経済効果を見出す程度だろう。高校野球と同程度のものだ。3)は実は広い意味の教育に委ねられている。昨今の藤原正彦氏の「国家の品格」は、この面を突いたものだろう。そして新渡戸稲造氏の「武士道」が売れている。学校教育のみでは無く、広く社会教育も含めて3)は大切なナショナリズムだろう。昨今は「アメリカに禁輸されて日本は戦争をせざるを得なかった」なんてトンデモ歴史観が大手を振るっているようだが、これは1)のナショナリズムに近い。日米開戦はそうかもしれないが、日本の昭和の10年戦争は宣戦布告なき侵略であった歴史の事実を歪曲している。
 どちらにしても、安倍晋三氏の「何らかの風」に流されないように、事実を自分で知る努力を植えつけないと、この国は何時か来た道を再度歩む結果になるかもしれない。

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2006.08.30 Mint