国に財源は有る、官僚から国民は取り戻すべき

政府は行政のトップ
 どうも良く判らないのだが、日本の政治構造は国会が握っている。三権分離の原則からすれば安倍晋三総理大臣は行政のトップであって、職務は立法府の機能と違うと思う。その意味で総理大臣は行政府のトップで総裁は立法府のトップなのだ。
 この違いがないがしろにされていた「戦後レジューム」を安倍晋三氏はどう考えているのか質問したい。日本の「戦後レジューム」は沢山ある。一つ一つに答えを出せるだけの力量が安倍晋三にあるのなら、情報公開して欲しい。
基本的に安倍晋三は勘違いしている。三権分離の憲法の下で政治家は行政に介入してはならない。。立法府の行政府への介入は三権分離の原則に反する。だから、自民党が続けてきた政治家の行政への介入は憲法違反だったのだ。またその世界に戻ろうとしてる。参議院選挙の結果を受けて予算配分を「ばらまき型」に変えると言うのだ。
 国が税金を使って経済をコントロールするって考え方も「戦後レジューム」では無いのか? そこに戻ってはかけ声倒れだろう。
 実は失われた10年以降の国の財政事情を見ると不思議な数値が出てくる。小泉純一郎元総理の「痛みに耐えて改革を行おう」の効果が現れているのだ。確かに国民は「痛みに耐えて」と言うより「痛め付けられてきた」のだが、一方国の財政は健全化に向かっている。
2006年度末に発表された国の国債発行残高は834兆円になる。これは過去最高の額で国の借金が積み重なっているように見える。しかし、その借金の伸びは大きく縮小した。
 ま、無いにこしたことは無いのだが、2006年度は債務残高は7兆円しか伸びていない。ちなみに2004年度の伸びは79兆円、2005年度の伸びは45兆円である。
痛みに耐えた結果、借金の上澄みが減ってきているのだ。

「借金まみれ」は狡猾な官僚の世論操作
 実は参議院選挙期間中に民主党の小沢一郎代表のマニフェストに「口で言うだけで財源の担保が無いとの批判が多かった。ま、一番の先方は最近富に自民党色を強めている田原耕一郎氏なのだが。
 最初、僕は小沢一郎代表の想定する財源は公務員の一大リストラではないかと考えていた。民間企業並のリストラを行えば固定的支出と呼ばれる公務員の人件費にメスが入れられる。しかし民主党の支持基盤(と言うか、票田)に公務員労組があるので声だかに言えないのだろうと思っていた。
 しかし、小泉純一郎元総理は手法はどうあれ果実を残していたのだ。
例えば国の借金の内訳だが、先の834兆円の中に米国国債がある。これの購入に100兆円借りている。が、国債証券が手元にあるのだ。借金したが資産を蓄えたのが米国国債購入だ。なんで借金までして資産を蓄えるかと言うと、為替市場で円売り・ドル買い介入を行なうときの資金調達のために購入している。これに利息が付いているが、これは別勘定の政府短期証券に切り替わる。これは3兆円程になっている。
 現在の国債発行残高834兆円の内訳には資産が含まれている。上記の資産に加えて財政投融資 170兆円、社会保障基金 260兆円などが含まれている。これらは一般の企業で言えば役員生命保険とか社員生命保険とか単年度では経費と出て行くが積み上がっていく資産なのだ。
では、実際にはどれほどの借金なのか。一説には302兆円。失われた10年の国債発行額の10倍である。つまり、日本は失われた10年の負債が現存しているのだ。

button 民主党代表選挙に隠れる小沢戦略
button 小沢一郎戦略で地固め、千葉7区補欠選挙勝利

Back
2007.08.16 Mint