戦争で用途限定給油なんかあり得ない

今週末には「おやくそく」
 民主党が方針を転換したこともあり、新給油特措法は今週の金曜日の午前中に参議院で継続審議扱い土曜日に期限が切れたので衆議院で2/3条項を使って可決で決着することになりそうだ。
 この法律の不思議な部分が「アフガニスタン限定給油」って条文だ。そのために、給油する艦船の国とは文章を交わし「アフガン限定にしか使わない」と確約を得るそうだ。では、イラク戦線に急遽向かわなければならない時は日本が給油した重油を捨てて(海洋投棄)詰め直すって体制を取らなければ対応できない。
 「まぁ、そこまで厳密にしなくても」とは日本人の考え方だ。契約が優先するアングロサクソンの世界では誓ったことは命に換えても守る。それがジョンブルの品格だと考えている(もちろん、現場でいざとなれば命に換えてもは退くのだが、精神は遵守されている)。
日本が書面を交わしたいと言ったら、守れない約束は出来ないと拒絶されるだろう。現に、アメリカは「書類を交わす必要があるのなら、日本の重油はいらない」と明言している。
 どこの世界に用途限定給油なんかあるのか。戦争をしてるんだから何時状況が変わるか解らない。
 日常生活でも同じだろう。スタンドに行って「個人使用しかしません」と書類を交わして、仕事で夜中駆けつけなければならないときに「個人使用じゃないから」とガソリン抜くだろうか。もしくは、タクシーを使うだろうか。給油した時点でタンクの中身は車の持ち主のものになる、未来に何に使われるかは持ち主が決める。未来の行動が不透明な戦場で縛られた燃料がどれほど使いづらいかは自明である。それを、戦争を知らない平和ボケ(なんか、なつかしい用語になってしまっているが)の法律を作って、本当に守れるのか、実効があるのか、シビリアンコントロールが出来るのか。
本当に恥ずかしい法律を「数の論理」で押し通すものだ自民党は(と、言うか、官僚はと言った方が良いかもしれない)
 民主党は新給油特措法に「別にぃ」の構えだから論議もしないが、日本の無知さ加減を世界に曝す法律を「別にぃ」で官僚主導で通しては民主党の品格まで疑われるって考えが無いのか。
 年金問題も大切、予算関連法案も大切、でも、今、まさに成立しようとしてる新給油措置法は日本の品格を汚すゆゆしき問題なのだ。国際的恥さらしに「別にぃ」で荷担してはいけない。

政治は戦略では無くて方針
 マスコミの報道にも問題があるが、昨今の政治家はアナウンスが若手芸人と同じで「伝わってナンボ」であり「テレビに映ってナンボ」の世界になっている。
 それ故に政治家個々人が持つ国家観とか政治観が全然伝わってこない。まして、インタネが発達した時代に政治家の個人ホームページを見ても「こんなんやったでぇ」って自慢話に終始する体たらくだ。きっちりと自らの政治姿勢を発信しているホームページは皆無と言って良いだろう。福田康夫総理のメルマガですら、時節柄の話で終始している。しかも、読んでる野党議員に媚びを売る表現が散見される。
 500年ほど前の戦国時代は武将個々人が国家観や政治観を持って自分が国を治めるのが正しいと周辺にオーラを放っていた(自己満足かもしれないが)。
そこには武力による統治故に部下を戦地に追いやるだけのカリスマ性が要求されたのだろうが、今の時代でもそれは決して変わらないはずだ。
 今の政治家は政治システムの将棋の駒になっている。その根源が今回の新給油特措法に見られるように、官僚主導の法文をいかに国会承認に持ち込むかって方法論に成り下がった政治家の対応に現れている。
 給油は手段、目的は治安の維持と平和。何処か方針と方法論が食い違っている。
 そして、一番大切なことなのだが、その方法論を方針に戻し、方針に沿った方法論を構築するには知恵が必要なのだが、その努力が全然なされていない。考えることを我々国民は議員代議制において個々の政治家に預託したのだが、まったく機能していない。官僚の作った矛盾だらけの作文法案を「通すか通さないか」だけの矮小な土俵で議論している。国民から何を預託されたかの政治観欠如である。
 いかにしたらアフガニスタンの治安が安定するのか、そのための最善の策は数年経って変化してるはずだ。だから、新しい支援策を立法しなくてはならないのだが、そのあたりの議論は行われていない。まったく国民無視の議員代議制で国民を舐めた行為だ。
それをマスコミは指摘もしないし、突っ込みもしない。マスコミも国民から乖離した独立独歩の第四の権力になっている。この第四の権力の危ない所は完全にシビリアンコントロールが効かない点だ。実はここで第四の権力の暴走が始まっている。

世界に恥をさらす法案の廃案を
 新給油特措法は別名「ガソリンスタンド法案」だろう。単にガソリン売っていれば良いのにガソリンの使用目的を契約するってメチャクチャな法案なのだ。しかも、目的外使用を担保するために満タンの給油は行われない。
 ここは、さらに引くべきだろう。新給油特措法のガソリンスタンドはセルフ方式にする。つまり、油送船は合流地点に待機するが、給油は各国の手で行って貰う。日本の支援策はインド洋海上でセルフ給油のタンクを常に満タンにしておくこと。誰が何の目的でタンクから給油しようが、日本の国際貢献はそこに給油用のガソリンスタンドを置いておくこと。
 それくらいに法案の骨子を変えないと日本はまったくひどい法案を作ったと国際社会から非難される。
1)金も武力も口も出す。
2)金は出すが武力は出さず口は出す。
3)金は出すが武力は出さず口も出さない。
以上の選択から3)しか選べないのが今の日本国憲法に沿った解釈だ。それが恒久的に正しいのかどうか、それは知恵を出すとして、現在の新給油特措法は2)を目指したものだ。それは日本のエゴが強すぎると諸外国には見えるだろう。せめて、武力を出してから言いたいことは言えとなる。
 現在の憲法下では3)に沿った新給油特措法しか「ありえへん」のだが、どうも無理を押し通す作文に自民党は気がついてない。まして、民主党は新給油特措法には厭戦だ。違うんだなぁ、憲法改正の知恵を出すためにも、この法案は大いに歴史に残しておくべきなのだ。そのために、法案阻止の論理を街頭で国民に訴える活動が出来てない。マスコミに出れば「不信任案」の話か「衆議院解散」の話に陥る。もっと本質的な政治が担う方針をマスコミが出来ないなら街頭演説やインタネで自らやったら良いではないか。
 その努力と知恵を政治家は失っている。
 今週末には世界から「そんなもん、いらない」と言われる法律が特措法として成立する。

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