野党はあら捜しに終始せずに対案で議論を

民主主義は議論する場
 道路特定財源の見直しの議論が全然進まない。国会審議の主流は道路特定財源であれも買った、これも買ったってあら捜し。本来の道路特定財源をどのように見直すのかの議論の本流にさっぱりたどりつかない。
議論の進め方が旧社会党と同じで何でも反対のためのネタ探しに見える。旧来の社会党は全然政権を執るつもりが無く自民党に対する反対勢力を目的にしてた。その国会運営も反対、反対を叫んでいるだけだった。この国会運営手法を民主党は引き継いでいる。政権政党を目指すなら旧社会党的手法は国民に受け入れられないのは自明だろう。その事に気がついてないのか、そもそも力量が無いのか、このままの国会運営を続けていたら万年野党志向と国民は理解するだろう。
 福田康夫首相から「対案を提示してくれ」と水を向けられても、その用意が無いのかまったく反応しない。国民が知りたいのはどのようなシナリオで道路特定財源を一般財源化するかであって、道路特定財源の暫定税率が期限切れでガソリンの値段が下がることでは無い。
 大局的には特定財源の見直しで不必要なものは一般財源化する。その一部として今回道路特定財源にスポットライトが当たっているのであって、暫定税率廃止くらいでは大局にはほど遠い。
 政権政党に見合う力量をここで腰をすえて見せてもらいたい。今回の道路特定財源の見直しは長期目標と今年の目標を明確に分け、どこまで実現するのか戦術を決めるべきだろう。廃止一辺倒では立法には繋がらない、せいぜい反対運動までで政策には繋がらない。

焦点が絞り込めてない菅直人代表代行
 民主党は道路特定財源をめぐる討論で知事と公開討論会を2月19日に開催した。知事側からは麻生渡福岡県知事、宮崎県の東国原英夫知事、民主党からは菅直人代表代行、逢坂誠二衆院議員が出席して意見を戦わせた。
 初めから対決姿勢を見せる東国原英夫知事に対して菅直人代表代行も同じ土俵に引きずり込まれた。論旨が大局過ぎてまったく聞いてるものに伝わらない。目の前にある道路特定財源を廃止した場合、同等の財源をどのように確保するのか。これについては暫定税率を徐々に下げていくとか何らかの政策が無ければならない。ただ一辺倒に廃止では東国原英夫知事は納得できない。なんせ、道路を造る金がなくなるって感触を持っている相手を説得する場なのだから。
 まして、道路特定財源の一般財源化は地方分権に有効との菅直人代表代行の論理は説明が不十分で唐突で議論の場にふさわしいものでは無かった。
 マスコミではあまり取り上げられなかったが元ニセコ町長の逢坂誠二衆院議員が元地方の長として最初は道路が造られなくなると危惧したが地方に本当に必要な道路を造るには特定財源では無くて一般財源であるべきだとの主張は解りやすかった。しかし、いっしょにやりましょうよって問いかけに東国原英夫知事は「民主党に誘ってるんですか!」とにべもない返事で終始してしまった。

もはや力業しか残っていない
 1月末のブリッジ法案騒動から1ヶ月が過ぎて、その間の双方が合意した「議論を尽くす」は行われているのか。全然進んでないと感じる。あるべき姿論が全然戦わされていない。
 本来立法府の役割は法律を作ること。日本の三権分立が不完全なのは立法府が行政府を睨む機能にばかり傾注していること。国会での議論も政府対国会の対立構造で国会内の政党間で議論する形式が未発達なこと。
 その多くは国会議員が立法しないことに起因する。法案を作れば法案趣旨説明って議論の場が与えられて立案者(もしくは立案政党)と他の議員(もしくは他の政党)との議論が進む。
 日本の国会ではほとんどが政府提出の法案を審議する。そもそも、政府って行政府のトップじゃないの? このあたりのねじれ現象が戦後の日本の政治の機能障害を引き起こしてる。だから「あんたらこんな不祥事やって、どの面下げて法案通せって言うんだ」の構造に陥ってしまう。一番大きな問題は法案審議が目的化して、議論内容が国民不在になってしまうこと。
 戦後レジュームからの脱却は国会運営についてもしかり。旧社会党が生き残れなかったのは政権を目指した政治を志向してないことが国民に解ったから。政権を目指さなければ昨今はやりのマニフェスト、旧来の公約は絵に描いた餅だと解ったから。
 さあ、民主党は道路特定財源に対してどんな手術を行うのか。メスを手にして未だに手術の方針が決まらないようでは3月末は力業で乗り切られ敗北感だけが残ると思うが。せめて、議論を戦わした充実感を残してもらいたい。

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