北京オリンピックの開会式ボイコットの選択

モスクワ・オリンピック
 1980年のモスクワ・オリンピックは当時のソ連のアフガン侵攻に抗議する意味でアメリカのカーター大統領からの提案でボイコットが進められた。日本政府はアメリカの方針に従い日本オリンピック委員会にボイコットを指示し、既に選手団名簿を発表していたにも関わらず、日本オリンピック委員会は政府の指示に従い総会でボイコット(不参加)を決議し幻のモスクワ・オリンピック選手団となった。
 他国ではアメリカや中国、西ドイツ、韓国がボイコットを決め、その総数は50ヶ国に及んだ。
 日本国内でもモスクワ・オリンピック参加の是非が活発に議論され民放では8時間に及ぶモスクワ・オリンピックのボイコット問題の討論番組が開催され同時に参加、不参加の投票を受け付けながらその投票数をリアルタイムに掲示し番組が放送された(生で最後まで見ていたのだが)。
 番組の主たる意見は「ソ連許すまじ」から「選手がかわいそう」まで両極端に振れた。しかし国際協調が前面に出て、不参加が圧倒的に優位だった。
 番組の残り2時間あたりで映画監督の大島渚氏が「公式行事拒否、競技には参加」の案を出してきた。両論を軟着陸させる画期的アイデアでその後急激にもモスクワ・オリンピック参加票が増えたが放送時間切れ。当番組の結論は不参加、ボイコット決行となった。
 もっとも、大島渚案と同様な行為を行った国は他にあって、フランス、イタリア、イギリス等は開会式に不参加もしくは旗手一名のみ参加であった。
 特にイギリスは国としてモスクワ・オリンピック参加を認めないので、入賞した選手の表彰式にはイギリス国旗が掲揚できない事態になった。
 日本政府がアメリカに追従して、本来行政とは独立した団体である日本オリンピック委員会に不参加を要請した事がそもそもおかしいが、他の国の事例を見ると、あの番組の当初から大島渚説が取り上げられたら日本のモスクワ・オリンピックのボイコットの仕方も変わっていたのではないか。
 モスクワ・オリンピックの先例を踏まえて、今回の北京オリンピックへの日本の対応を考えてみる必要がある。

世界各国で人権問題を起こす中国
 スーダンでのダルフール問題は先に書いた。加えて真相は明らかになってないが今回のチベット族の弾圧である。国際社会は中国の人権問題の改善を強く求めるために北京オリンピックの舞台を使おうとしてる。その筆頭がフランスのクシュネル外相の「北京オリンピックのボイコットを支持はしないが評価する」の一言だ。
 オリンピックと政治を一緒くたにするなって反論が中国から起きているが、基本的にオリンピックも細分化すると競技はオリンピック精神に則った「より高く、より早く、より遠く」で世界から集まった選手が競う祭典である。一方、開会式や閉会式は開催国(正確には開催都市)の対外的アピールの色彩が強く、まさに政治的なステージと言える。
 オリンピックを政治をかけ離れた存在にするのでは無く、オリンピックの開会式が政治とリンケージしてるのを認識すべきだ。つまり、開会式を取り出し、これのみボイコットするのは決してオリンピック精神に背信するものでは無い。逆にボイコットの照準を開会式に絞ると開催都市の北京よりも国であり行政である中国へのアピール度が高まる。また、世界に対してのアピール度合いも高い。
 国際世論と協調する以外に日本にも言い分がある。例の「毒ギョーザ(農薬添付冷凍ギョーザ)事件」である。中国での混入もしくは付着の可能性が高いにも関わらず「中国国内での混入は無い」との発表で決着を図ろうとしている。メタミドホスの純度からメタミドホスが中国製と考えられるにも関わらず無視を続ける。
 福田康夫総理は他人事で今後も中国食品による中毒事件が発生するかもしれない「原因不明」状態を静観している。
 食物の安全もこれまた人権問題なのだから、国際社会と共同歩調で日本も北京オリンピックの開会式のボイコットを検討すべきだろう。
日本にも北京オリンピックを食品の安全に関して抗議する場とする正当な理由があるのだ。

情報閉鎖に慣れてしまった中国
 インターネットのゲートが閉じてYou-Tube等が中国国内から見ることが出来ない。もちろん動画をアップすることも出来なくなっている。
 情報の発信もままならない状況が数日続いた。明らかに情報統制であるが、これが異常事態だと中国は思わない。古くから続いた共産党一党独裁政権にとっては通常の行動であり、国民も知る権利を叫ばない。
 一部に北京オリンピックを契機に中国の民主化が進むのではないかとの期待がある。国際社会の常識に沿った国内制度整備が進むのではないかとの考え方だ。しかし、それは非常に希望的観測だと思う。中国の国民が国際社会の中国を見る目に気がつかなければ何時までも一党独裁の党利党略政治が続く。
 中国では国益と国民益は同様と考えられている。そのため、国益を優先するのが正しい政治であり国民益はその陰にしか存在しない。本来の民主主義は国益と国民益のバランスが肝心で、その意味で中国の民主化を進めるには中国国民に国益と国民益の違いを認識させる必要がある。その意味でも開会式でのボイコット、競技での連携は中国国民へのアピール度合いが強いだろう。
 その意味で、開会式のボイコットにより旗手のみが行列するオリンピック開会式は中国国内に国際社会の目を気がつかせる絶好の機会ではないだろうか。

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