暗雲立ちこめる北京オリンピック・聖火リレー

聖火リレーで世界にアピール
 中国の政治制度については「1国2制度」と言われるように共産主義政治と資本主義経済との2面制と称せられている。でも、基本的に間違っている。国の行政手法と経済手法はまったく別物であって、共産主義行政であっても資本主義経済が成り立つのだ。
 旧来言われてきた冷戦の対立軸は「共産主義と資本主義の戦い」では無いのは前者はイデオロギーとして政治手法であるが、後者はイデオロギーでもなんでも無い経済構造を表した用語なのだ。だから資本本位経済(主義)と呼ぶのが適語だろう。
 資本主義は政治的イデオロギーでは無くて経済的仕組みの総称でなのだ。だから、正確には「共産主義と自由主義のイデオロギーの双方の戦い」が冷戦であったのだ。その無意味で冷戦をイデオロギーと経済制度の分離を証明したのが現在の中国だろう。ソ連もその構造に気がつけば崩壊はしなかったのかもしれないが、ま、歴史にイフ(if)は禁物だろう。
 その中国に西側諸国と同じような経済制度を指向しているにも関わらず共産党一党独裁の弊害と見えるのがチベットでの人権侵害問題だろう。北京でオリンピックが開かれる国際舞台の中で中国が自国民の利益より政治制度による支配(統制)を優先している実態を世界に訴えるために世界各地でオリンピックの聖火リレーの場面での中国の実態をアピールする行動が起こっている。  律令国家において税金を徴収する論理は何かってのは人類が政治体系を考えるときに常に理論武装を迫られた命題だった。国民の選挙投票による代議員制度がとりあえず正解なのではと現代社会では思われている。実は人類の歴史の中で民主政治制度のありかたの歴史はたかだか300年程しか無い。そして、究極の完成系に至ったって歴史観は未だに無い。
 政治学は未だに古代都市のシチズンを現代の政治制度に実現する道を確立していないし、そもそも「市民」の概念が日本社会では「市民運動」のように行政と対立する構造として用いられている。本来の「市民(シチズン)」は納税と防衛を義務付けられた「戦士」であって、憲法9条養護の護憲派は「市民(シチズン)」の範疇に入らないのだが、ま、用語も制度も人類にとって発展途上ってことだろう。

各地の聖火リレーへの抗議
 聖火リレーのスケジュールはyahooに詳しい。アテネで採火後各地を経てイギリスのロンドンでの聖火リレーから抗議行動が活発化している。
 ロンドンでは4月6日(現地時間)の午前から始まった聖火リレーで37人が逮捕されている。また、聖火リレーのコースも一部変更された。
 中国および中国系の報道ではその詳細が明らかにされず、本記事はCNNを中心に情報収集を行っている。現地で実際に何が起きたのかは知るよしも無いが、少なくともインタネに流れている情報ですら中国側のバイアスのかかったものが多い。例えば、中国国際放送局によると「数万人の市民が歓迎した」、「数人のチベット独立勢力が妨害したがロンドン警視庁により制止された」となっている。これはかなりのバイアスがかかった報道と見て良いだろう。
 翌日7日(現地時間)聖火リレーはフランスのパリで行われた。こちらでは「警備側」の判断により聖火が消されてバスで移動の場面が数度あった。また予定の最終地点に到達せずに途中で打ち切られた。
 写真で確認できる青い服装の「警備側」は実は中国側の警備が付いたものだ。聖火を消したり種火を乗せたバスでの移動の全てをこの中国側警備陣が仕切っていたらしい。そして、空路聖火はアメリカのサンフランシスコに運ばれる。
 サンフランシスコでの聖火リレーはさらに変則的で、第一走者が出発と同時にバスに乗り込み4キロ先で聖火リレーを再開し、ゴールを目指してる。
 中国側警備人と聖火ランナーのトラブルも数件有る。平和と民主主義のバッチを外せと言われたとか、チベットの国旗を振った聖火ランナーが制止させられたとか。今後の聖火リレーのルートを考えると日本の長野での聖火リレーは予断を許さない。

1国2制度の板挟みの聖火リレー
 中国にとって国内報道は統制するにしても世界各地で行われる中国政府への抗議行動は世界の世論を喚起する中国に不利な報道となる。にも関わらず聖火リレーを中止できないのは1国2制度の資本本位経済と密接に関係する。
 世界の各地で行われる聖火リレーのスポンサーとの関係だ。オリンピックの看板を使ったイベントの収益率は高い。スポンサーが支払うフィーは中国にとってドル箱となる。そのため、中止すると収益が悪化するので中止できない。これは中国側、国際オリンピック委員会双方の利害に合致する。
IOCマーケティング委員長のハイベルク理事も「毎日スポンサーと連絡をとっている」と認めているように、スポンサーが降りない(その時にはスポンサー側に違約金が発生する)限り聖火リレーは続けられる。
 また、各国政府がチベット問題に及び腰なのは、これが国際協定が定める内政干渉に当たると判断してるからだろう。あくまでチベット問題は中国の国内問題なのか国際的人権問題なのか判断が分かれるかもしれないが、今回の聖火リレーで示された国民の意思を受け止めて国際人権問題として国連の場で対応を図るべきだろう。
 国内の情報は統制できても国際的な情報は統制出来ないのだし、聖火リレーは続けなければならない。この状況を打開するには、まず、チベットへの国際社会のジャーナリストへの取材解放だろう。
 情報は民主主義の糧であるとは、アメリカ副大統領のジェファーソンの言葉だが、事実の情報を流通させることから中国の民主化を進める必要がある。

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