長野市聖火リレー警備での長野県警作戦

長野聖火リレーの「ひとこま」
 あくまで「ひとこま」であって、これを持って全体像を語ろうとは思っていないことを最初に断っておく。ただ、このケースは今回の長野県警の警備が失敗作である例としてリンクしておきたい。
まずは、you-tubeの画像(上下見るとかなり長い)をご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=hTd2jeG_9s8&feature=related
【長野聖火リレー】嘘つき長野県警!【前編】1/2
http://www.youtube.com/watch?v=svfadbSYFlE&feature=related
【長野聖火リレー】嘘つき長野県警!【後編】2/2
さて、ご覧になってどんな感想を持たれただろうか。「単なる屁理屈じゃないか」と思った方は正常な感覚かもしれない。実は屁理屈なのだが思想信条を持つイデオロギーに起因する屁理屈の扱いに最近の警察官は慣れていない「危機管理」感の欠如が読み取れる。70年代の安保闘争から続く学生運動の頃の警察は立派だった(遠くを見る目(笑い))。
 彼らの主張は正しい。しかし、正論であっても防がなければならない行動指針を長野県警は持ち合わせていない。ここに悲劇がある。
そう、危機管理の面からこの長野市聖火リレーの画像を評価してみよう。
 事件は聖火リレーのゴール地点である若里公園への入場をめぐって中国グループとチベット支援グループを分けて(ま、隔離って言っても良いかな)おこうって上層部の警備判断が末端まで届いていないのが一因(まだ、沢山要因はあるのだが)
 で、命令は「チベット支援グループは決められた位置に誘導しろ」だけ。そう、説明責任が無い。末端の警察官は命令だけで動いてる。とても、インテリには対応できない。だから、手を変え品を変え「クレーマー対応組」が一言話しては去っていくの繰り返しの時間稼ぎ。これが火に油を注いで決定的証拠映像の出演者役を演じなければならなくなる。
 一般の企業が持つクレーマー対策すら出来てない長野県警は大恥をさらした一局面であった(あくまで一局面)。

「一人も中国人を拘束するな」の命令があった
 これは完全に未確認。但し、ロンドンから始まった聖火リレーを利用したチベット問題のアピール(奥歯に物が挟まっているなぁ(笑い))は徐々にテンションをあげて中国糾弾に近くなってきたのは事実。中国が現地の中国系の人間を招集して聖火を守らせる「人間の壁」に資金を提供してるのは事実。
 中国系の人間で売国奴呼ばわりされないために、商売が出来なくされないために泣く泣く長野に向かった人も居る。http://victoria.iza.ne.jp/blog/month/200804/←では、送られた新幹線のキップを破棄したら中国人グループでの商売も終わりだろうと思い長野に行ったと記されている。それくらい中国の機関が関与した長野市の聖火リレーだったようだ。
 また、現場の警察官の誘導(立ち入り制限とも言う)は「ご協力下さい」の繰り返しで何ら説明が無かったってのは多くのblogや掲示板に書かれている。実は、その背景をゲスカンする時にサブ・タイトルのような憶測が生まれたのだ。
 先に行われた聖火リレーでも中国系の人間が逮捕された例は無い。実際に長野市の聖火リレーの多くの映像を見ても中国側からの挑発はすさまじいものだ。聖火を迎える列にチベット旗を持って立ってたら中国系に足蹴りされたってのは多い。挑発したのが中国人グループなのに何故か現地の警備陣(日本の場合は長野県警)はそれを無視する。
 暴行で逮捕もしくは身柄拘束したら長野県警が中国人の攻撃に晒されるって上層部の判断では無いのかと疑ってしまう。つまり、火の粉は被りたくない、そのためには中国系の人間は拘束しないってのが危機管理方針としたあったのではないだろうか。
でも、それも現場には「反対勢力を抑えろ」としか伝わってない。せめて「中国系を刺激する行動を抑制せよ」と命令が出ていれば対応は違ったのだろうが。
 残念ながら自己保身は世界の警察に共通している手法だったようで、長野県警も前例に従ったと思われる。歴史にIFは無いと言われるが、聖火リレー開始以前に中国系の誰かを傷害罪で逮捕していたら、その後の展開によっては長野県警本部長辞任にまで追い込められる事態になったかもしれない。
 その意味で長野県警は「逃げた」のだろう(それは、それで組織の論理としては正当だが、国民感情としては「なんかおかしい、長野県警」ってことだ)。

長野県知事は自衛隊の出動を要請すべきだった
 先の危機管理の話に戻そう。あの場面でノラリクラリの戦術を行うのは一般の民間企業ではクレーマーを助長する最悪の対応だ。最も求められてるのは公務員(警察官)であれ民間人であれ暴動を防ぐことに警備陣は出動してるって本来的な方針の説明だ。「あなたたちの安全を保証できないからこちらに誘導してる」と言えば済む話。
何回も書いているが物事が実現するには段階的過程がある。
1)方針
 何をしたいのかってこと。例えば本田技研は「世界のホンダ」って方針を打ち出してる。それが、どう実現するのかは「方針」では触れられない。
2)戦略
 方針を実現するために現有資源がどうなっているのか。その現有資源を再配置(これをリストラと呼ぶのだが語源は崩壊してる)が戦術。サイパンに居る一個師団を硫黄島に移そうなんてのが戦略。
3)戦術
 戦略を受けての具体的展開方法。硫黄島では徹底持久戦と決めたのは戦術であって戦略の範疇では無い。
 で、長野市の聖火リレーでは上記の段階がグスグスだ。だから「失敗」と呼びたい。
 現場は「協力して下さい」と叫ぶ長野県警職員ばかり。政治的イデオロギーを持つグループを抑えるだけの説得力は無い。警備が中国系養護に見えるのは決して「方針」には無かった事柄なのだが具体的な「戦術」では中国側の立ち位置に見えるのはいなめない。これは情報化社会に直面してるにも関わらず警察や自衛隊の「命令」遵守教育が現場での形式主義になっていて、それを旧来の熟知した報道以外の素人に報道される。現場は手ぶらで、クレーマー(ま、ある種のイデオロギーと持ち上げておこうか)対応を迫られるのだから。
 あさま山荘事件をふと思い出す。
 危機管理の視点に立てば、かの場面では芝生に侵入(かどうか意見が分かれるが)したら中国人グループとの衝突ってリスクが伴うので長野県警としてリスクを低めたいので決められた場所に入って欲しい。そこでのシュプレキコールは規制しない(事実、そうだったらしい)って説明をすれば良い話。
 「罵声を浴びせるのは良くない」なんて主観的な話をすればする程相手に突っ込まれるのは長野県警自身が危機管理出来てない証拠。もっと市民本位の警察になるべきだが、中国系のグループの数の多さにびびった長野県警は「数の論理」に押し切られた。中国系動員(約5000人)に比べて長野県警の3000人は少なすぎた。だから卑屈な警備しかできてない。それが、国家の存続(中国系は自国の旗で長野市を占拠した)問題にまで発展する命題なのに長野県警は保身主義で長野市の聖火リレー警備が消化不良になったのだ。
 自衛隊の出動要請すら視野に入れておけば危機管理としては満点なのだが。今回の聖火リレーの警備で長野県警は成功したと言うけれど、日本人や長野市民にとっては「長野県警は試合に勝って勝負に負けた」と思うだろう。

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