想定内なのか想定外なのか
中国の想定内の被害規模に収まるのか複数の集落や村が完全水没しても、工事を指揮した水利部にとってはこの決壊に近い放水は成功したと判断してる。想定した決壊規模段階の1/3、1/2、1/1(全壊)の3パターンの中で1/3〜1/2の間とのこと。
この被害想定は下流の30万人に被害が及ぶ規模を想定してる。北海道で言えば旭川市1個が丸々無くなる話だが、中国のスケールでは大したことは無いらしい。
ここ数日の作業は最初に作った放水路の流量が増えないので詰まっている流木や家屋廃材を爆破したり、岩を無反動砲で粉砕したり、加えて第二の放水路を造るべく土砂を掘り始めていた。もっとも、第二の放水路は途中から作為を中止したが。
下の写真にあるように6月8日〜10日までの放水路の状況は劇的に変化し、最後の1枚が崩壊が始まって6000t/秒になった頃のもの。
今後、この水が下流域に流れて土石流となるか洪水となるかが注目される。
ちなみに、タイミングの悪いことに、唐家山・土砂ダムの下流にあった同様の土砂ダムを6月9日に爆薬を用いて壊し、この蓄積された水が流れ始めて現在通口鎭ダムは満水状態、ここに数時間を経て唐家山・土砂ダムの水が襲来する。勢いはさほど弱まらずさらに下流に進むとしたら綿陽市も必ずしも安全とは言えない。
綿陽市は核関連施設が多く存在し、水没するようなことになれば核汚染も心配される。
決壊までの流れ
上記は中国CCTVより引用。下記は新華社による。
唐家山・土砂ダムの水位(標高)が740mに達して重機で掘り進んだ放水路に水が流れ始める。放水路工事に要した日数は5日程度。6月1日には一端作業員の引きが上げ行われた。
その後、流れを良くするように流木や家屋廃材を取り除き、一部の岩を無反動砲で粉砕して流入量を上回る放水量にしようと努力を繰り返す。
6月9日午後の放水路の様子。順調に流れているが放水量は流入量を越えない。下流ではかなりの土砂浸食が進んでいた。
6月10日午前中の毎秒6000t放流(崩壊)の状態。川の流れの力で土砂の浸食が急激に進む。
備忘録としての決壊までの経緯
5月16日(地震発生から4日後)
せき止められた唐家山・土砂ダムの水位上昇を観測。おおむね2m/日の勢いで水が蓄積されている。自然越流まで待つと水量は2億5000t。一気に解放されると下流の綿陽市(160万人)にまで洪水が及ぶことが推計される。天候次第だがおおむね6月10日が自然越流が起きるDディ
5月21日
武装警官等25名が唐家山・土砂ダムの上にヘリポートの構築開始。
5月22日〜24日
悪天候でヘリコプターが飛べず、前述の25名には食料供給も出来ない。
5月25日
専門家が集結し、唐家山・土砂ダムの越流を防止するために水路の構築を決定。1500名の解放軍+武装警官が爆薬を背負い山道を登り唐家山・土砂ダムに深夜到着。
5月26日
天候が好転し大型ヘリコプターでの削岩機の搬送が始まる。(爆破は周りの山体がもろいので中止)
5月27日
400名の設備部隊と620名の突撃部隊が唐家山・土砂ダムに集結。24時間体制で放水路を掘り進む。
5月28日
天候が上々で追加の4台のダンプカーと14トンの燃料を補給。
5月29日
現場に大雨が降り作業が難航。ただし、重機が増えたので削岩量は最高を記録。綿陽市の一部住民高台に避難を開始。
5月30日
当初計画の放水路の削岩終了。
5月31日
整地し幅50m、長さ475m、深さ12mの放水路が完成。
直下の住民20万人が高台へ避難。
6月1日
上記放水路削岩の部隊撤退。
6月7日
唐家山・土砂ダムの水位が上がり削岩した放水路に水が流れ出す。しかし、途中の岩や流れ込んだ流木や家屋残骸で水路が詰まり放水量は毎秒1tしか無い。
6月8日〜9日
放水路の土砂を無反動砲で破壊したり、流木を爆薬で破壊したりして流量の向上をはかる。8日夕方で流量毎秒25t。9日夕方で流量毎秒81t。ダムへの流入量は毎秒115tなので、以前水位が上がっている。
6月10日
7:42の測定で流量は毎秒497t。流入量を超えた。放水路自体の浸食が始まり土砂ダムの崩壊に至る。最大流量は毎秒6420t。
15:15ダム放水は綿陽市に到着するも洪水被害無し。綿陽市が唐家山・土砂ダムの驚異から解放された宣言が出される。