日本テレビのドラマの評価
「霧の火」は反ソ連(現ロシア)に仕立てるのが目的の非常に出来の悪い作品だった。唯一、評価できるとすれば、初めて知った世代が多く居たことだろう。インタネに「霧の火」の感想は多く真岡郵便電信局事件を初めて知った人も多かった。そして、初めて知った人には事実とドラマの差が解らないだろう。ドラマではひたすらソ連軍による陵辱と交換手の純潔を守る戦いと描かれている。この設定は非常に見る者に真岡郵便電信局事件の本質を解りにくくしている。「霧の火」は事件を一過性の皮相的なものにしてしまっている。
もう一つ評価できるのは、絶版になっていた川嶋康男氏の「永訣の朝 樺太に散った九人の逓信乙女」が河出書房新社から加筆を行って文庫本で復刻されたことだろう。初版は1989年8月、2003年4月に響文社から「九人の乙女一瞬の夏」として発行されているが、もはや図書館でしか閲覧できなかったのだ。
真岡郵便電信局事件について一番真実に近いと言われているのがこの本で、今回アマゾンを利用して入手して真実を調べてみた。
「霧の火」のドラマの出来は本論では無いのだが、真岡郵便電信局事件のクライマックスである『みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……』を主人公が伝え、しかし主人公は生き残ってしまうのはドラマを解りにくくしている。九人の乙女は死ぬべきではなかったと言いたいのだろうか。そもそも、川嶋康男氏も著書の中で「何故死ぬ必要があったのだろうか」と自らの疑問が解決してないと書いているが、「霧の火」は死ぬ必要が無かったと言いたいのだろうか。
日本テレビのドラマでは純潔を守るためと説明しているが、川嶋康男氏の著書を読むと違った解釈による原因が考えられる。日本テレビも丁寧に時代背景を描いていたら別な視点に立ったドラマを作れたのではないか。少なくとも真岡が戦場になったのは何故かから考えても良かったのに。
時代がドラマを放映させた
実は真岡郵便電信局事件は1974年に映画「樺太1945年夏 氷雪の門」として東宝が制作してる。当時のソ連のタス通信社が「ソ連を意図的に悪く扱った映画」とコメントして、当事者の東宝も「営業的理由」で映画館での上映を見送った。映画『氷雪の門』上映委員会が組織され大手流通によらず自主上映されている。
http://www.shinjo-office.com/hyosetsu.html
また、
DVDも8000円で発売されているので、今回の日本テレビのドラマと比べてみるのも良いだろう。ちなみに主演は懐かしい「二木てるみ」である。
ソ連崩壊まで待たされたってのは作る側の日本テレビの主張だが、ま、これは番宣だろう。実際の8月9日のソ連の南樺太、満州、千島列島への進駐には多くの国際条約違反があり、8月15日の昭和天皇の終戦の勅諭を受けて武装解除状態だった日本軍に武力を持って攻め込み占領した。
実は国際法上の解釈からすると戦闘によって入手した土地の個人財産は没収できるが平和進駐の場合は没収できない。そのためにソビエト軍は自衛のための戦闘を日本軍に起こさせて武力進駐を行った。北方領土は平和進駐だったので今でも日本は返還要求が出来ると政治解釈されている。満州と樺太は非常に高度な政治問題であり日本は領土返還運動を行っていない。もっともサンフランシスコ平和条約で放棄がうたわれている。
1945年8月15日(終戦の勅諭)から8月20日(真岡郵便電信局事件)までの日ソ双方の言い分には相当な違いがあり、スターリンの北海道占領命令を受けてメチャクチャな展開をソビエト軍は行っていた。留萌沖での「国籍不明のソ連の潜水艦」による泰東丸以下の撃沈では1500名もの引き揚げ者が終戦の勅諭後にもかかわらず亡くなっている。
ちなみに真岡が戦場と化したのは正確な情報は今となっては得られないが、日本軍の発砲による公算が高い。ソビエト軍が最初空砲を撃ったのは確認されている。日本軍が空砲に反撃してまんまと相手の作戦に乗ってしまったのが真相のようだ。
どの程度日本側に情報が入っていたか不明だがソ連軍のドイツ戦線でのベルリンの陵辱は200万人とも言われている。「霧の火」では、ことさらこれを強調しているが、戦時の常、しかし、終戦になっているのだから動機付けとしては弱い。樺太の日本人女性がソ連兵による陵辱を恐れていたのは事実だろう。が、アメリカの進駐の時も同じように言われており、占領されたらそうなるとの情報は広く日本国内に広まっていただろう。それが、樺太の真岡事件のみ自決に至るまでの強い動機付けとも思えない。
また、最初に上陸したソ連兵は囚人中心の乱暴者で手当たり次第に機関銃を乱射したってのは後日談で、その時には知り得ない情報であった。
何故、九人の乙女は自決したか
この部分で「自決」と使うが一般的解釈は「自殺」である。時代背景から事件にいたるプロセスを考えると結局「自決」に行きつくのだ。その理由を説明していこう。
現在でもITはもてはやされるが(ま、ホリエモン事件等もあったが)、終戦の頃、電話交換手は女性の花形職種だったろう。まして、逓信省直轄の国家公務員であり、制服を着用し3交代で職務に付く姿に憧れた女学生も多い。真岡は自動交換局では無かったので真岡の人は電話を利用する時かならず交換手の声を聞く。実際はどうかは別にして彼女達はエリートであった。九人には含まれていないが電信電話の電信はモールス信号、しかも超難関と言われる和文モールスが使えていた。それだけでもアマチュア無線電話級の僕は尊敬してしまう。
尚、一部の演劇シナリオに亡くなった可香谷シゲさんが稚内局に向けて和文モールスで『みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……』と打ったとされているが、もちろん事実とは違うが最高の演出と言えるだろう。
稚内の丘(現稚内公園)から樺太を望み(
実際に見える時がある自転車旅行参照のこと)和文モールスの音が流れる、画面の下には字幕スーパーのように一文字一文字「ミナサン コレガサイゴデス サヨウナラ サヨウナラ」とのシーンを昔どこかで見た記憶がある。
彼女達は時間給与制度が始まる前のスッチーのような地位に居たと思われる。
また、軍令部であれ役所であれ最高機密に属する情報に常に触れていたから純粋にそうでは無いが「軍属」の意識もあったろう。それが、昭和天皇の終戦の勅諭が出て一斉引き上げを指令された時に残留を志願の形で決めたことにも現れている。
一方、東條英機が進めた戦陣訓の一節「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」の一部が引用され映画にもなり国民に広く周知されていった。
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)めを受けず」のスローガンが一人歩きしていた。
これが、無駄に日本人を殺した。東條英機はこの面で多くの日本人を殺しており、日本人が裁判を行ってもA級戦犯だろう。
現に「硫黄島」にも出てくるが、アメリカ軍に投降した兵士が仲間にも投降を進めに戻ってきたが説得できず背中を見せて帰る場面で味方から打たれる。言い分は「一度捕虜になったら国に帰っても親族の迷惑になるだけだ」と。
戦時は物の考え方が異常なのだ。だから、平時では考えられない思考や行動をする。
彼女達には職場である交換機を守る決意があった。少なくとも電話による情報伝達手段が無くなれば真岡は孤立するのだから文字どおり死守する必要がある。その意味で非常に高いプロ意識が背景にあった。また、先のスッチーをイメージすれば解るがプライドも高かった。故に、自分たちがソ連兵に陵辱されるなんて事はあってはならない事なのだ。職場を守り自分たちのプライド(純潔と表現するとちょっと違うと思う)を守る覚悟で青酸カリを横に置いて職務を遂行していたのだ。
ただ、極度の緊張状態からパニックに陥った。それが集団自決の真相だろう。
川嶋康男氏は当時の状況で男性が一人でも電話交換局の部屋に居たら防げただろうと書いている。そして、当時の局長以下が、自分を守ることに終始して彼女達の面倒を見なかったことを責めている。
純潔を守るためなんてのは次元が低すぎる。極限の場面で、人間として職場を守ることが難しくなった状況と自らのプライドの両立の答えが見つからずパニックに陥ったのだ。それも、最初に服毒したのはリーダだった。リーダ故に抱える重圧が一番強くパニックに陥りやすい状況だったのだ。
九人の乙女たちはプライドのために自決したのだ。それを我々戦後の人間は受け止めないと彼女達の犠牲の上に成り立ている平和を守り続けられない。
改めて九人の乙女の冥福を祈るとともに、考えるきっかけを与えてくれた日本テレビの愚作に感謝したい。