二十四の瞳、戦争時代を描けない昨今のドラマ

さとうきび畑の次は二十四の瞳
 二十四の瞳はトラウマ的な作品である。小学校の頃、当時は全学映画鑑賞なんて行事があって年に数回映画館で授業の一環として映画を見るってことがあった。どのような選考基準であったか知る由も無いが、当時の左派が好みそうな押し付け映画が多く、その選考作品に「ゴジラ」や「モスラ」が選ばれることは無かった。その行事で見たのが高峰秀子版の二十四の瞳であった。
 あらすじはあまり覚えていないが、「オナゴ先生」って言葉は記憶に残っている。砂浜で骨折したシーンも「落とし穴で足の骨折るかぁ」って子供同士で話題になった。 この高峰秀子版の作品のあらすじで強烈だったのはラストシーンで「二十四の瞳」で始まった同級生が昭和21年4月4日に再会するシーン。二十四の瞳(12名)が十四の瞳(7名)に減っている。そして、正確には十四の瞳のうち1名は失明している。後年知ったのだが、この失明した磯吉は田村高広が演じていた。田村高広と言えば30年も前のテレビドラマで教師の役で、生徒が自衛隊に行くと言ったら「自衛隊は人を殺す所ぞ!」って台詞があって、ここが放映直前まで物議をかもし、結局、口パクで放送されたってこともあった。
 また、これも後年知ったのだがオナゴ先生の婿入りした旦那は天本英世が演じていた。このあたりは映画のあらすじには全然関係ないエピソードではあるが。
このように「ある種」強制的に見せられる映画でトラウマ的な作品が二十四の瞳だった。その後、田中裕子版の二十四の瞳も作られ、当時はまだ田中裕子に「おしん」のイメージが強すぎて先の高峰秀子版と比較するのははばかられる出来だった。
 噂によると「島かおり」が大石先生を演じる連続昼ドラマ版の二十四の瞳が存在したらしいのだが、これはあらすじを含めて存在すら知らなかった。
 そして日本テレビの二十四の瞳、黒木瞳版が2005年8月2日に放映された。

二十四の瞳は反戦映画では無い
 二十四の瞳、黒木瞳版については反戦色を前面に出しすぎてシナリオ的には失敗していると思う。時代背景は新聞記事のカットを入れて表現してるが、時代背景と瀬戸内海の一地域である小豆島の島民の生活とギャップがある様が描ききれてない。修学旅行に行く船と出征兵士を送る船が同じなのは撮影時間の割り振りの都合でしょうがないとして、出征兵士を送る儀式が全然描かれてない。修学旅行の生徒を送る親となんも変わらないのだから。(もしかして、同じエキストラなのかも)
 戦場を描いているのは蛸壺で雨にうたれながら回想するシーン。これも何処の戦線なのか特定できず絵空事にしか写っていない。われわれも昔のニュースフィルムで戦場の様子を映像だけでしかないが見る機会は多々あり、本物の臨場感は知っている訳で、表面をつくろっただけの戦場シーンでは逆に信憑性を落とす結果になると思われる。それが、昨年の「さとうきび畑の唄」でも今回の「二十四の瞳」でも顕著であり問題点でもあった。
 そもそも、二十四の瞳を反戦映画で調理しようとしたシナリオ展開に問題がある。二十四の瞳は時代を淡々と描き、ラストシーンで戦争が終わり平和な時代になって振り返ると小豆島の海は何も変わっていない。ただ、人間の営みが年月とともに変わっただけなのだ。だが、同じ風景にいま二十四の瞳は無く14の瞳、しかもその内の一人は戦争によって失明して、でも生き残った。他の3名は戦争に軍人として参加し(中尉に軍曹に一等兵なので、年齢的にも徴兵されたのは一人で、他は進んで職業軍人を選んだのではないだろうか)死亡した。病死が1名、行方不明が1名である。自然は変らない人間の営みだけが紆余曲折を経て積み重なる。それが大きな意味での二十四の瞳の描こうとしている時代背景であり人間なのだ。その大きなあらすじを無視してはいけない。
 オナゴ先生自身も婿入りした旦那を徴兵で亡くし、娘を事故で亡くしている。
 生きた時代に戦争があった、でも、その時代を懸命に生きた。生きてさえいれば「これからは良いことばかりあるさぁ」と前向きになれる。それが原作の描きたかった「二十四の瞳」(12名の人生+大石先生の人生)だと思う。反戦ドラマに仕上げては作品の本質を壊してしまう。

黒木瞳を選択した深慮遠謀
 「さとうきび畑の唄」で「42歳には出産シーンは無理だろう」と言ったが、あの「さとうきび畑の唄」の延長線上(もっとも、あちらはTBSだが)から黒木瞳が選択されたのだろうか。実は本放映を見ると日本テレビの深慮遠謀が見えてくる。ドラマ本体は「二十四の瞳」ではあるが、放送時間帯全体を通して「黒木瞳アワー」に仕上がっている。それはドラマ「二十四の瞳」は日本テレビの広告主に対する時間売りのネタでしか無いって事実。そして、それに乗ったのがHITACH、DHC、三井住友海上等の企業なのだ。
 ドラマの合間に主演女優をそのまま使ったコマシャルフィルムを流すっていかがなものか。これって、完全に放送局の都合だろう。HITACHに至ってはプラズマテレビの広告に起用した黒木瞳のCM初放映っておまけまでついている。三井住友海上なんかは新幹線の前を黒木瞳が走って上空をB747が飛ぶってフィルムなんだぜぇ。昭和10年代を描く二十四の瞳と単なる「黒木瞳つながり」だけで、ドラマの間に現代が挟まってくるんだからなぁ。ま、あちらとしては「当社のコマーシャルの間に二十四の瞳が流れていた」って感覚なんだろうけど、「二十四の瞳」もこけにされたものだ。
 正直言って、ドラマの効果を半減させる「敵対的コマーシャル」によく各社乗ったなぁと思う。僕なんか、そのことが気になって全然ドラマに集中できなかった。もっとも、戦争になって夫が出征して戦死、「靖国の妻に靖国の母まで付けるのかい」と言わせるだけのカット。空腹をまぎらすために木の実を求めて木に登り、落ちて怪我して、それが原因で娘を亡くすシーン、なんかがあまりにもハイテンポで進むのでとてもじゃないが、感情移入する暇も無い。まして合間合間に現代の黒木瞳が現れる。
 ま、スポンサーを変えるか、スポンサー無しで見ないとなんともドラマそのものは評価できないテレビがスポンサーによって「物を売る道具に化した」シチュエーションでの放映だった。

二十四の瞳は長いからよい
 先に述べた高峰秀子版の二十四の瞳のあらすじだが、子供心にものずごく長かった記憶がある。だから、途中でトイレに行って、結局全編通して見たわけでは無かったと記憶している。インタネで検索すると木下啓介監督、高峰秀子主演の初回の二十四の瞳は160分もある。当時の小学生が映画館で見るに耐えられる限界を超えていると思う。そもそも授業で40分でも飽きてしまうのだから。
 その長さを十分に使って、たんたんと描く木下啓介監督の手法が生きている。今回の日本テレビの二十四の瞳は実質100分を切っているのではないだろうか。子供たちが骨折した大石先生に会いに行く場面がかなり強調されてるが、これは「遊び」で主眼の反戦が唐突に乱暴に出現してくることを考えると「遊び」が過ぎて自分で自分の首を絞めてる感がいなめない。
 ラストシーンが料亭ってのはまったく必然性が感じられない。たしか高峰秀子版の二十四の瞳の時は海岸ではなかったろうか。淡々と語られる変わらない自然と人の命、個々人が主人公である個々人の人生、目が見えなくても写真を記憶するに至った戦場の極限の精神状態。そんなのが役者個々の演技力の見せ所だ。ドラマが盛り上がった時にCMに切り替わり、DHCで化粧した黒木瞳が出てくるのではキャバレーのチーママの学芸会にしか見えない。
 淡々と語るって描き方にこそ二十四の瞳の真髄がある。人間1年生きると1歳年齢を重ねる。そして、振り返ったときに個人ができることが有ったはずだ、でも、できなかった、だから時代の流れの中で教え子が3人も戦争で死んだ。それは戦争って時代だからしょうがないのか、でも、何か防ぐ方法は有ったのではないか。そう悩む大石先生の後姿とそれを包み込む小豆島の海と岬。
 その意味で小説の「終戦のローレライ」の出来の悪い終章にもラストシーンにだけは共感をおぼえる。自然と時代と人生、これが二十四の瞳のテーマである。
 「さとうきび畑の唄」での出産シーン、「二十四の瞳」での20歳のオナゴ先生役と黒木瞳さんご苦労様でした。ただ、先のコマーシャルフィルムも含めると全体は「二十四の瞳」と言うより「四十五の(黒木)瞳」って感じでした。
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button 「宮城」この言葉が無くならないのは当然かもしれない

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2005.08.03 Mint