麻生総理の所信表明は問題外

議論する場が国会
 麻生太郎総理大臣の所信表明演説には驚く。自らの所信を述べて質問に答える方式を無視して冒頭から野党への質問で始まる。
国会が始まったってことは議論が始まるってことなのだが、麻生太郎総理大臣は議論を経ないで結論を求めている。これでは国会軽視だ。
 時々刻々と変化する世界情勢を見据えながら是々非々で法案を審議したり調整したりするのが立法府の機能だ。そして、総理大臣は行政府のトップ。
ここで三権分立の原則を思い出してもらいたい。総理大臣の所信表明演説は行政府のトップとしてこの国をどのように動かしていくかの基本方針を述べる場。そして、その方針の是非、実現のための法案の整備等を進めていくのが立法府である国会の役割。内閣は総理大臣の指名により国会議員だけでなく民間からも登用できる。だから国民の代表である国会が内閣を監視している。本来は立法府による行政府の監視が両者の正しい関係だ。
 その行政府のトップを立法府から選ぶのが議院内閣制だ。立法府は行政府の監視役で必要があれば議決を経て内閣に解散を求めることができる。これが憲法69条に記載されているので69条解散と呼ぶ。
一方、今回衆議院選挙が近いと言われるのは麻生太郎総理大臣が自ら天皇に助言して衆議院を解散させる憲法7条の天皇の国事行為として行う7条解散。
 長期政権が続くと三権分立が立法府の行政府との癒着により二権分立でしか無くなる。まして、司法も最高裁判所判事の任命は内閣が行い天皇が認証するのだから実質一党独裁に近くなる。日本は言論の自由が保障されているので中国のようにはならないが、一党独裁状態は同等になる。

国務大臣の職務
 今回の就任5日めにして辞任の中山成彬前国交相と三権分立を考えてみよう。
 実は国会議員から総理大臣に指名されて国務大臣になった段階で立法府を離れ行政府に所属する。中山成彬前国交相は「議員時代から日教組を解体しなければいけないと言っているのにマスコミは注目してくれない。にも係わらず国務大臣になったら同じことを言っても失言失言と言葉狩りをする」(意訳)と言っているが、この人は何処か頭の構造がおかしいのではと感じる。
 そもそも、大臣として内閣に登用された多くの国務大臣が記者会見で右に立ててある日本国旗に頭を下げないのが不思議でならない。国務大臣は国民の代表である国会から承認され任命された総理大臣の部下ではあるが、国民から行政のトップを預託される身なのだ。だから、わざわざ会見場に国旗を掲揚しているのに挨拶しない。
 今回の中山成彬前国交相は立法府から行政府に移ったって自覚が皆無なのだ。国会議員なら主義主張は自由だ。先に書いたように日本は一党独裁ではあっても言論の自由がある。
 しかし、一端行政府に属したら国(内閣)の方針に従わなくてはいけない。現在文科省は日教組解体なんて方針を持っていない。逆に対決姿勢から融和姿勢に変化している。それを担当外の国交省の大臣が反対の方針を口にするのは言語道断である。その事に気がつかない幼稚性を感じる発言だ。
 行政府は立法府の作った法律に従わなければならない。その意味で記者会見場に用意された国旗に礼をしない国務大臣はその時点でアウトだ。

国会の解散を先延ばしにできるか
 麻生太郎総理大臣は先制攻撃の人のようだ。国会の冒頭の所信表明演説で民主党攻撃を行い国民のほうに目が向いてない総理大臣だとを明らかにしてしまった。
 金融不安を理由に衆議院の解散を先延ばしする態度も見せている。明日(10月3日)は「解散予定日」だったが、まずは1週間先延ばしされそうだ。加えて国会で補正予算のみで無く、消費庁の創設、新テロ対策特別措置法の延長問題までやろうとしてる。
 それは無茶だろう。民主党主導の国会運営に振り回されて法案は通らないし衆議院の解散の時期を逸する。完全な死に体になる。それは安倍晋三首相、福田康夫首相が歩んだのと同じ道だ。
 先に書いたように日本が自民党長期政権によって三権分立の考え方が崩れ一党独裁状態になったのは立法府と行政府の癒着が主原因だ。政権交代が頻繁に起こる国にしなければ、つまり、選挙制度の手法はともかく二大政党制にしなければ三権分立の憲法の精神すら継続できないことになる。
 中山成彬前国交相の権は一過性の事では無く、構造的な問題なのだ。それは自民党政治の本質は立法府と行政府の癒着構造にあるって事だ。
 この癒着の是非を問うために、衆議院をここ1週間以内に解散せよ!

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2008.10.02 Mint