金融崩壊予測情報の数々がインタネに有った
森永卓郎氏の予測
原油バブルは近いうちに必ず崩壊する(2008年8月18日)や
原油バブル崩壊で経済のパラダイムが変わる(2008年8月25日)は、金融崩壊の予兆を感じ取って書かれたもので実際の金融崩壊の1ヶ月前に書かれている。今読むと『よくぞ言い当てた』と感心するのだが、それはそれで結果論と言うこともできる。
今回の金融崩壊は予測されていた。と言うより必然に近いと事前に信じられていた。それは「北京オリンピックが終わると世界経済は再編成の時代に入る」って予測だ。2008年8月の北京オリンピックが中国で開催され世界の檜舞台に中国が登場する。しかし多くの国でオリンピックが開催された後に経済の停滞が生じる。日本も1964年の東京オリンピック後は景気の低迷に悩んだ。
オリンピック関連施設の整備はオリンピック開催時には終了しておりオリンピックに依存した経済は減速に向かう。その流れのなかで北京オリンピック終了後中国経済がトリガーとなって世界の金融が再編成されるって予測だった。これは北京オリンピックの3、4年前から市場に広まって予測から必然へ変化していた。それに備えて、北京オリンピック後に向けて金融の再編成で効率的に儲けようと虎視眈々と狙っていた投機筋は多かったはず。
2008年9月15日のリーマンブラザーズの連邦破産法11条の裁判所への申請(日本の民事再生法に近い)により「北京オリンピック後に金融の再編が起きる」の予言は現実のものとなる。起きた原因は予想とは別だが、事象は予想されていた金融恐慌だった。
予測が的確になるには要件がある
『やっぱり北京オリンピック後に..!』とか『予測どうりだ』とか『噂は本物だった』とか様々な反応があったと思うが、先の森永卓郎氏の記事を事前に読んでいた人は、どのように感じただろうか。実は先の記事はトレンドを書いているだけで予測では無い。たまたま今時点で振り返って予測に見えるだけだ。
予測の分野に地震予知がある。最近の研究では「地震予知は出来ない」と結論付けられているが、この地震予知の定義が「何時、何処で、どのような規模で地震が起こるか」なのだ。つまり、この3要件を満たして、それが実際の地震とほぼ合致して初めて予知に成功したと言える。これが地震予知の定義だ。だから、現在の科学技術では「地震予知は不可能」と結論付けられている。
それでは地震研究は事後の検証にのみ有効なのかと言うとそうでも無い。現在の地震予知は確率を計算して確率論で地震予知を行っている。地震発生の確率が高いのであれば防災計画を策定する時に優先順位を上げるし、低いのであれば他の災害予知(水害とか干ばつとか)と優先順位を並べ直して資源(予算)を分配するって考え方になっている。
話が逸れたが経済予測は地震予知に比べてトレンド(流行)予想に近いのでその先に何が起きるかまでは踏み込まない。実際、先の森永卓郎氏の「予言」も「何時か何処かで石油バブルがはじける」としか言っていない。
マーフィーの法則に「事件が起きるとその後で「事前に知っていた」と言う人間が必ず現れる」ってのがあるが、まさにこれである。ただ、肝心なことは、この森永卓郎氏の意見を「間違っている」と決めつけた人々も居たってことだ。トレンドとしては間違っていない。的確な状況判断である。それを否定することにより自ら有利に展開する金儲けネタを持った人が自己の利益のために否定的見解を述べていたようだ。
世の中には情報が溢れるが玉石混合でニセ情報も多い。その真贋を知るには情報源を信用にたるものだけに絞り込むか(マスコミ依存)、自らの自己責任(インタネ依存)するか情報入手方法に配慮が必要になる。
政治家は経済の実態に無頓着
現在のガソリン価格を僅か4ヶ月前に「予測」した人は居るだろうか。下落する時期の予測は別にしても「ガソリン価格は下がる」と8月頃に言い切れた人は居るだろうか。当時のガソリン価格は1リットル180円を超えていた。ちなみに現在は1リットル110円を切る所まで下がり、実に40%以上の下落になっている。
実は行き過ぎた債権市場をどうにかしなければいけないって意識は当事者の中にもあった。しかし当事者故に自らがトリガーになって債券市場に混乱を起こす役割を担いたく無いって意識もあった。
手元にある債権には焦げ付いたサブプライムローンの色が濃く付いているのを知りながら、それを回すことで自転車操業状態に陥って経営を続けるしか無かった。
その結果、債権市場から溢れた現金が原油の先物取引に流れ込み、あのような原油価格の高騰(投機マネーによる先物価格の上昇に現実価格が引っ張られて値上がりする)を招いた。つまり、原油先物価格が何故こんなに高騰するのかを追っていけばサブプライムローンに端を発した債権市場の飽和にたどり着くことができた(結果論なのは百も承知)。
実は日本政府の景気対策に関して竹中平蔵氏が「政治家に経済の話をしてもまったく理解されない。政治家に経済の舵取りを任せることは非常に難解だ」と述べている。つまり、政治家は何をどうしたら経済を導けるか解ってないと過去の経験を踏まえて述べている(ま、自身もい今は政治家なのはご愛敬だが)。
たぶん霧散する「定額給付金法案」に代表されるような経済知らずの経済対策がいかに無駄な行為か、それが無駄と読めるだけ我々は政治家の経済政策を監視して行かねばならない。
そもそも経済立て直しに政治家の出番は無い。にも係わらず情報通のようにしゃしゃり出てくる与謝野氏や中川氏に裏にある自己の利益優先の姿勢しか感じられないのでは、政治家の政財対策は国民の血税による「おままごと」でしか無い。