国会は国民に向かって議論を交わす場に

説得力皆無の国会での議論
 国会での代表質問や委員会での委員の質問は民主主義の基本は議論である。国会議員の面々はこれをどれほど意識しているのだろうか。最近はパネルを持ち込んでワイドショーのニュースキャスター並みの議論を行っているが、出来の悪いワイドショーすら越えられない稚拙さで見ていられない。
 そもそも、民主主義の基本の意見交換、議論があると言うのは、持論を展開して支持する者を増やしていくプロセスを奪ってはいけないって事が基本にある。その意味で言論の自由が、これまた民主主義の基本として担保されなくてはいけない。少数の意見表明の場を奪ってはいけないって精神だ。
 しかし、戦後の国会運営は「数の論理で結果が決まっているのだから」の一見合理的な結論を前面に出し、この語り合うプロセスをないがしろにしてきた。保守は天下取り側で野党はどう転んでも自らの主張を現実の法案に出来ない仕組みが、結局、議論を本来のものから遠ざけ民主主義における議論そのものの目的を失い形骸化させてしまったのだ。
 好意的に見れば、旧社会党の「何でも反対」は議論が国会質問のベースに無い弊害だった。何を言っても賛同者が増える訳では無いので意味が無い。だったら、揚げ足取ってやろうって事に陥る。
 戦前の国民全てに投票権が無かった時代は逆に国会での質問は内容やボリュームにおいて現在とは比較にならないほど高級で洗練されたものであった。たぶん、そこには投票権の無い声なき声の民衆を強く意識させるインセンティブ(動機付け)があったのだろう。マスコミを通して投票権無き国民にまで自らの考えを伝える場として国会での演説や反対質問は重要な場であったのだ。
 その意味では現在はテレビの政治バラエティ番組で面白可笑しく発言していれば要は足りるとでも思っているのだろうか、国会の場での議論は政治バラエティ番組以下に成り下がった。

党首討論での小沢一郎氏の対応
 小沢一郎氏は東北(岩手)の出で、しゃべりが苦手だと自ら認めている。たしかに言動の奇異さを説明するだけの説得力ある言語を持たないのは日常感じられる。しかし、2008年11月30日に行われた自民党総裁の麻生太郎氏と民主党代表の小沢一郎氏の党首討論は交わされた議題よりも討論のあるべき姿として久しぶりに国会議員の議論に接することができた。
 これに比べれば2009年1月8日の予算委員会における自民党総裁の麻生太郎氏と民主党副代表の菅直人氏のやりとりは子供の喧嘩だ。
菅「あなたが受け取るかどうか決めてない定額給付金を市町村に押しつけるんですか」は開いた口が塞がらない。論理も何も無い感情論だ。その感情論に麻生太郎首相もまともに答弁出来ずに薄ら笑いで対応している。菅直人氏のクダラナイ質問で時間が無駄に費やされた。まったく、尺を出す(時間を稼ぐ)だけの稚拙な議論の手法に菅直人氏の人間の浅さを感じる。
 話を戻そう。先の党首討論も40分と時間の限られた討論である。相手の答弁時間を考えると半分の20分程の発言時間で相手の出方に応じて起承転結に論理を進めなければならない。
 小沢一郎代表(麻生太郎総理大臣は党首討論では常に「小沢党首」と呼んでいたが正確には「小沢代表」)は経済対策の迅速な必要性を質問する。これに麻生太郎総理は一次補正、二次補正、21年度本予算と段取りを踏んでいると答弁する。一次補正は年末向け、二次補正は年度末向け、21年度本予算は4月以降向けと話を展開する。
 定額交付金の目的と麻生総理大臣の言質を取ったあとで小沢一郎代表の反撃が始まる。「迅速な対応が政治に求められているのに何故臨時国会後半に二次補正予算を出さない」。これに対して麻生太郎総理大臣は同じ事を繰り返す(あたしゃねぇ、DVDレコーダが壊れて2度再生してるんだと思ったよ)。
「それでは辻褄が合わない、何もしないで年明けを待つなら衆議院を解散して新しい国民の支持を得た体制で二次補正予算を審議すれば良い。それを行わないなら今すぐにでも本国会に二次補正を提案すべきだ。そのどちらかを選択するのが総理大臣の役目だ」と切り返す。
 内容はともかくとして、雑談に終始して結論の出ない政治バラエティには無い迫力と、目は相手を見据えているが口は聴衆に向けられている小沢一郎代表の計算された議論の展開は迫力があった。
 何故、このような議論を常に国会で出来ないのか?

政治家に向いてない奴ばかり
 とある所で話題になったのが2世、3世議員の話。我々国民は親から相続した資産は相続税計算の対象になり、基礎控除額を超えたものは非常に高い税率(10%〜30%以上)で納税しなければならない義務を負う。しかし、2世議員は親の後援会の持つ資金や資産をまったく課税されずに相続する。しかも無形ではあるが票田も相続する。この票田は不思議な作用をして、一個所で別な選挙に重複して利用できる。市会議員、府会議員、組長(市長)、知事、衆議院、参議院と同じ票田を利用して6つの選挙に重複して利用できる。これも無税で相続される。
 実際に安倍晋三元首相は父親が財産を後援会に寄付し、これをバックに自らの選挙戦を戦っている。相続税の納付はゼロだ。このことを週刊新潮に書かれたので急遽辞任会見って説もある。
 話が逸れた。つまり、2世議員等は既存の政治の前例主義で政治の本質に触れる機会が無かったまま政治家になった層なのだ。だから、国民の預託を受けた代表の意識が薄く、上から目線の政治屋家業に陥る。
 小沢一郎代表にしても2世議員だ。父親は小沢佐重喜氏で吉田首相の側近でもあった。父の急死により地盤、看板、カバンを受け継いで27歳で衆議院議員に当選してる。しかし、先に書いたように今回の党首討論では理路整然と論理の展開を行い父の使えた吉田茂の孫を言いくるめた。
 志の問題と言えばそれまでだが、少なくとも頂点に上り詰めた親の2世、3世には無い体質があるのかもしれない。これは同じ2世でも渡辺善美氏(渡辺美智雄氏の息子)や後藤田正純(後藤田正晴氏は叔父)と安倍晋三氏、鳩山由紀夫氏、麻生太郎氏、福田康夫氏と違う部分だろう。
 いや、それよりも地盤も看板もカバンも持たない政治家はどうしたんだ。政治家に成ることが目標で、そこで終わりか! 政治家になるのはスタートライン。ここから国民を背負って日本の舵取りをしていくのでは無いのか。
 噛ませ犬の菅直人氏が大手を振るって国会質問しているのを見ると、よくよく民主党は志の高い臆病者の集団だと感じる。田原総一郎氏が「大学生よりましだけど、大学院生までだな」と称した民主党。小沢一郎氏の党首討論の手法に学び乾坤一擲(けんこんいってき)の自民党最後の通常国会、そして衆議院選挙に挑まないと勝機は開けてこない。

button  最近の国会議員の暴言の数々
button  政治と金の関係は政治の議題では無い

2009.01.10 Mint