定額給付金報道に見られるマスコミの情報操作

世論調査結果の読み方
 マスコミは報道のみでなく報道姿勢も明確にして情報を伝えるべきだ。今回の定額給付金に関する世論調査の結果にマスコミの報道姿勢による情報操作が行われ、この詭弁をもって世論とする風潮には苦笑せざるを得ない。
問題の設問は以下の二つである。
1)定額給付金制度に賛成か反対か。
2)定額給付金が支給されたら受け取るか。
世論調査の結果は1)については70〜80%の回答が「反対」と調査結果が出ている。同じく2)については80%が「受け取る」と出ている。
 この結果を持って「国民は定額給付金制度には反対の意志を示すが、本音は定額給付金を歓迎してる」との報道がアホの古館や田原総一郎氏を使って流されている。もちろん、黒幕は自由民主党に「よいしょ」したい政治姿勢を持った集団だ。
 まず、述べておきたいのが世論調査等に代表されるアンケートは対象全員を調査することは出来ず、あくまでアンプリング調査であること。故に調査結果には母集団対サンプルの数の比による誤差が含まれていること。100人に聞いたアンケート結果よりも1000人に聞いたアンケート結果のほうが信用できるって感覚は、より母集団数に近いサンプルを用いるとアンケートにおける誤差が少ないってことで計算上も証明されている。
だから、札幌で例年行われる雪祭りで「大通り会場の人では昨年より0.5%下回った。不況の風はこんな所にも出ている」なんて報道はまったくの捏造になる。現在の札幌雪祭りでの入場者調査方法では数パーセントの誤差が含まれる。時間を決めて交差点を通過する人数をカウントし、これを全時間に拡張して入場者数を出すのだが、3000人程のサンプルをもって100万人を前年対比しても0.5%なんて数字は誤差に埋没するのだ。
 今回の定額給付金に関する情報操作はこの誤差を知らない誤解では無く、意図的な情報操作を狙った情報捏造事件と言える。もっとも、そのような事件は現在のマスコミでは日常茶飯事なのでくれぐれもマスコミには騙されないようにしたいものだ。

定額給付金を受け取らなければ国庫返納
 世論調査の設問設定そのものにも恣意的な部分がある。
 国会議員に対して「定額給付金を受け取るか」って設問は、定額給付金制度に賛成するか、麻生太郎総理大臣の姿勢を支持するか、麻生太郎総理大臣を支えるかの要素が強く含まれる設問だ。
 しかし一般の国民に対してこの設問は前提が明確になっていない。国民自身が反対する定額給付金制度が国会の議決を経て実施された場合、麻生太郎総理の信任問題には読み替えることは出来ないし、いまさら制度への反対を叫んでも無意味な状態に陥っている。まして、受け取りを拒否すれば国庫返納になるだけで、明確な意思表示に繋がることも無いのだ。
 この状況を踏まえて「世論調査の結果、国民は定額給付金を容認してる」って結論を導き出すのは言論を担うマスコミとしてあまりにも乱暴な行動ではないか。そこに現政権にすり寄る太鼓持ちの企図が感じられる。
 まして「受け取った後に、何に使うか」まで調査しないと本質は見えてこないだろう。大阪府知事の橋下知事が提唱しているように定額給付金を受け取って寄付してもらい小中学校のパソコンの購入(文部科学省の補助で初期導入されているので、たぶん、最新機器への更新を言っているのだろう)や学校建物の耐震性向上工事に当てる案も現実化可能な方策だろう。市町村が特別な会計制度を設けて固定資産税と同様に全額地方の収入(基金)として運営する仕組みを構築するのも可能だろう。
 この時の原資にするために、個人が定額給付金を受け取り寄付するって行動も「定額給付金容認」の数にカウントされるのはいかがなものかと思う。

マスコミの情報操作は瓦版以下になった
 江戸時代に庶民に情報を伝達する手段として普及した瓦版。ま、読売新聞によるとこれを江戸庶民は「読み売り」と呼んでいたらしい。そして、現在の演歌の語源ともなった明治時代の自由民権運動から出た「演歌」。これは時の政府が政府批判の演説を禁止したのを受けて歌にして演説した事から発生してる。
 このように、瓦版や「演歌」は庶民の支持があった。だから、広く普及したのだが、今のマスメディアには一番肝心な庶民の支持があるだろうか。このような情報操作をされてはとても支持出来ないってのが現状だろう。
 実は旧来新聞やテレビが庶民の支持を計る指標として用いてきたのが購買部数であったり視聴率の「数字」であった。今も4大新聞に代表されるように「数字」が大きいことは社会的影響力も大きいと考えられてきた。
 しかし、その天下の朝日新聞が単独決算で赤字に転じたように、民放各社がスポンサー収入の低迷によって番組制作費が削減され番組の質が低下し軒並みNHKに「数字」で敗れる状況に陥ったように、既に昭和の時代のマスメディアは平成の時代とは立ち位置が変化したのではないだろうか。
 一番の決定打は「国民の支持を得たマスメディアが無くなった」って事実だろう。購買層の支持を得たマスメディアはまだ存在する。赤旗なんかは典型だが、朝日新聞や産経新聞は購買層の支持を(購買層だけの支持を)得られてる。テレビ、特に民放に至っては支持の有無にかかわらずキッチリ放送時間分流してくれるだけの機能しか無いだろう。バラエティも報道番組もニュースも垂れ流しであり国民の支持を反映させる手段を持たない。唯一「数字」にそれが現われると考えているとしたら頭の中はまだ昭和時代だ。
 テレビについて言えば、国民は「おもしろいかどうか」だけしか考えていない。そして「数字」は広告費の算定基準にこそなれ、国民の支持とはほど遠いものだ。
そして、今回の定額給付金の世論調査の報道などを見るにうけ「放っておくと何を言い出すか解らない」って監視の意味での「数字」が今後益々増えるだろう。

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2009.01.16 Mint