治安維持活動は平和活動、海上自衛隊ソマリア沖派遣

政治が前例世襲に終始
 イラク派遣の時も同じ問題があった。最も保守的なのが、現行の憲法解釈では平和維持活動と言えど海外に自衛隊員(軍隊=武力行使)を派遣することは出来ない。さも拡大解釈なのが平和活動支援は自衛隊が国内で災害出動してるのと同じ治安維持活動の一環で現行憲法解釈内でなんら問題ないの左右の極に分かれる。そしてその間に様々な意見が表明された。
 結局、「平和な地域に自衛隊を復興支援に出すのは問題ない」とのテロ特措法の解釈でイラクへの自衛隊派遣が実行された。加えて、最近まで航空自衛隊のイラク輸送支援も行われてきた。
 今回のソマリア沖への海上自衛隊の艦船派遣と、これに加えて海上保安庁職員の派遣は旧来の法解釈が足かせとなっている典型である。
 良く議論になる「日本の船舶しか救出出来ない」の根拠は自衛隊法には記載が無い。もっとも、国権の発動たる武力行使を行わないのだから、艦船への武力行使は出来ないのだが、これは不問で、「海上警備行動」の解釈で「日本の船舶しか救出出来ない」との論調が一人歩きしてる。
 その根拠は、今を遡ること34年前の当時の丸山防衛局長の国会での答弁で、「自衛隊法82条は海上警備行動は「海上における人命若(も)しくは財産の保護又は治安の維持のため」としているが、右の「人命若しくは財産」の範囲は?」と質問された丸山防衛局長が「通常、日本人の人命および財産ということとされる」と答弁した。
 この34年前(って、1975年で冷戦の華やかな頃で、日本はアメリカの腰巾着ってのが防衛の基本方針であった時代)の国会答弁が鬼の首を取ったような反対派の「だから、日本人だけ守ったのでは国際的には意味無いじゃぁん」になってしまっている。
 よくもまぁ、34年も前の国会での答弁を現在にまで引っ張ってきたものだ。臨機応変、時代に合った的確な対応が何故出来ないのか。
 そう、これが官僚主導の日本の政治の典型的な部分だ。今そこにある危機に対応するために過去の前例を参考にする。前例なき物は行わない。これは危機管理の原則に反する。危機管理は今そこにある危機に暫時対応することなのだから。

派遣準備命令から実際の派遣へ
 今回(とりあえず)派遣される予定の艦船は広島の呉に所属する「第8護衛隊」の護衛艦「さざなみ」と「さみだれ」になる。1月には派遣準備命令を発し3月には出動命令を発する予定だ。
 各艦200名の海上自衛隊員と4名の海上保安庁職員で構成され、海上保安庁職員が司法的業務(海賊の逮捕、関連国への身柄引き渡し)を担当する。
 この船舶の装備だが、20ミリ機関砲、76ミリ速射砲、3連装短魚雷を搭載している。加えて機関銃装備の哨戒ヘリコプターも持つ武装した艦船である。
 そもそも憲法9条違反だとの国会での指摘に対し麻生太郎総理大臣は「海賊は強盗であって、国ではない。強盗にやられたらやり返さないといけない」(2月8日)と国家間の戦闘では無いと答えているが、憲法では相手の事情に関係なく「国権の発動たる武力行使」を禁じているのだから的外れな答弁だ。
 実は海上自衛隊のおける「海上警備行動」は陸上自衛隊のにおける「治安出動」に近く、軍主導の武力による軍事クーデターを不可能にするための制約の多い法律だ。つまり、自衛隊は軍隊であるが、行動規範は「警察官職務執行法」に準じる。だから、積極的に打って出る武力行使は不可能になっている。本来軍隊が持つ「安全のために事前に叩く」ことが出来ないのであわてて「海賊新法」を付け足す予定だが、この法律の成立が間に合うかどうかは微妙な所だ。
 そもそも何故、現行法解釈で対応できないのかの議論すら深まっていない中での出動命令なのだから、「すばらしい海賊新法」が出来たとしたら「勇み足」、新法が出来なければ「役立たず」になる恐れがある。
 また、気を付けなければならないのは海上自衛隊のみでは無く補給港であるアデン(イエメン)、ジブチ(ジブチ)、サラーラ(オマーン)等への治安維持のための陸上自衛隊の派遣、さらには補給部隊としての航空自衛隊まで出て行ってソマリア沖が三軍総合活動になる可能性だろう。この場合は、とてもじゃないが、海上警備活動の枠をはみ出し、自衛隊の海外派兵になる。

治安維持の拡大解釈は関東軍の轍
 日本は歴史から学んだはずだ。我が国民の生命財産を守るために治安を維持しようとして先制攻撃に走ってしまった歴史を。それが泥沼の中国戦を招き、国際的に孤立し最後は窮鼠猫を噛む事態に陥った(追い込まれた)事を。
 今回のソマリア沖への海上自衛隊の派遣は治安維持活動の範囲に留めるべきで、海賊新法の制定は必要無い。歴史に学べば軍隊と警察の違いを認識し、自衛隊が海外で活動する時の規範は警察機能に留めるのが憲法解釈や国益に通じる。
 特措法が必要な場面では国会で議論するにして、恒久法を整備する必要性は感じない。海上自衛隊について言えば現在の「海上警備行動」以上の活動は恒久法としては必要無い。「警察官職務執行法」に準じる「海上警備行動」で十分だ。
 海上自衛隊のソマリア沖派遣を実効有る活動にしようと法整備を頑張るとろくな事にならない。現行法を適応し、実際の活動を通して不備な部分は修正していくのはどうだろうか。
 何故、このような意見になるかと言うと、どうも自衛隊の一部には海上自衛隊のソマリア沖派遣を機に自分達の裁量範囲を拡大し、実績を積み重ねたいって不穏な動きがあるからだ。
 実は新潟県中越沖地震の災害派遣の時に初めて陸海空3自衛隊の統合運用を行った。実際には別々に行動すると効率が悪いって裏返しなのだろうが、実際は陸海空3自衛隊の運用に関して統合幕僚長が一元的に防衛相を補佐する方式だ。防衛省は素人だから「補佐する」は言葉だけで実際は統合幕僚長が「統帥権」に近い権限を持つ行動になる。これを海外でも可能にしようと「ソマリア沖での実績の積み重ね」を狙っている動きが感じられる。
 これはシビリアンコントロール(文民統制)を完全に逸脱する行為で、あってはならない事だ。しかし海賊新法に防衛官僚の衣の下の鎧が仕込まれないとも限らない。国会が本当に国民を代表して日本の外交と防衛を考えるなら、現行の「海上警備行動」以上の権限を自衛隊に与える必要は感じない。
 その観点からの論議が必要だが、背景を見通す大局観が海賊新法議論に反映されているとは言い難い。

失敗国家のソマリア
 国家の歴史で言えば日本の戦国時代程度の国家制度しか無いのが現在のソマリアの状況だろう。急速な近代化を目指したが紆余曲折あって現在は「失敗国家」と呼ばざるを得ないだろう。
 その国家に国連も含めて手を差し伸べたのだが多くは失敗して手を引くことになった。映画「ブラックホーク・ダウン」は史実に忠実との評価が高いので、ソマリアの経緯を知るヒントになる。
 複数の部族が武力をもって統治する国家が今のソマリアで日本の戦国時代をイメージすると良いだろう。この一部が海賊ビジネスを展開している。ビジネスで一切イデオロギーが無いと思われるのは、襲われた艦船の国籍がアメリカ、イギリス、フランス、スペイン、中国、ロシアはては北朝鮮にまでおよぶ事だろう。
 海賊ビジネスが成功してるので入手する武器はAK-70レベルの自動小銃からさらに高度になりロケット砲まで装備している、魚雷を装備するのも時間の問題だし、ミサイルすら装備するかもしれない。
 このような海賊に対しては「武力は自衛隊規模で、機能は警察機能で」の方針が望ましい。その武力は正当防衛を基本にした警察機能であるべきだ。海賊を殲滅するのが目的ならば国連軍の編成が必要だし、日本単独で海賊の殲滅は出来る訳が無い(武力は別にして、法律解釈として)。
 失敗国家を立ち直らせるのはやはりその国の国民であるべきで、情報は渡すが武器や援助に名を借りた食料・医療の支援は限定的に行うべきだろう。ましてや、現在の政権にコビを売るような行動は、結局「大統領府の半径500mのみが治安が良い」って国会にしてしまうのだから。
 日本は治安維持に向かうのだから、盧構橋事件のような先例を良く学ぶべきだろう。それとも、日本人は経験にしか学ばない愚民なのだろうか。
ex.賢人は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ(c)ドイツ初代宰相 ビスマルク

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2009.03.12 Mint