党首討論、麻生太郎vs鳩山由紀夫は学芸会

政治ショーにはほど遠い学芸会
 先に党首討論が行われたのは麻生太郎自民党総裁と小沢一郎民主党代表による党首討論で昨年(2008年)の11月28日に行われた。この時の党首討論は理路整然と解散せず補正予算案出さずの麻生政策は矛盾だらけと突いた小沢一郎代表に若干の優位があった。
 今回は前回の情勢を踏まえて麻生太郎総裁は入念に想定問答を練習したらしい。にも係わらず、麻生太郎総裁にはプラスにならない党首討論。鳩山由紀夫代表はマイナスにならなかった党首討論ってことで、戦に勝って試合に負けた感のある麻生太郎総裁側が実質的に負けたと言えるだろう。
 マスコミ各社は生中継された党首討論をあえて、編集して伝えているが、完全に報道各社の思惑で編集されたもので党首討論の実態とはほど遠い解説記事になっている。
 政治が国民に開かれたものになるために開かれた報道は欠かせない。ジョン・F・ケネディがテレビを多用して国民への直接説明の手法を用いて国民の支持を獲得したように、そして最近ではオバマ大統領がインターネットを利用して直接対話を模索したりと、政治の政策の透明性は民主主義の基本となる。「情報は民主主義の糧である」と述べたのはかのアメリカ大統領のジェファーソンである。その当時の情報を担っていたのは新聞であり活字であったが時代はラジオ、テレビとメディアの変遷を経て今はインターネットが情報伝達を担っている。
 まず、報道各社の解説以前に以下のyou-tubeにある当時の生中継動画を見て貰いたい。報道各社のバイアスが良く解ると思う。

語るべきは方針であり理念で良い
 産経新聞などは鳩山由紀夫氏と麻生太郎氏の党首討論を「学者と政治家の討論」と揶揄していたが、この根拠は麻生太郎氏が公務員改革に関する意見に対して「公務員を敵対するのでは無く、一緒にやろうって気構えが必要だ。社長(総理大臣)やるんならその気構えが大事だ」と述べた部分に食いついたのだろう。ま、この部分は僕には逆に「政治家と係長」に見えた(もちろん、後者の係長は麻生太郎総裁)。
 全体を通して麻生太郎係長(おっと、総裁)は細かなことに固執し過ぎて器の小ささが目立った。特に西松問題では本人はしてやったりのつもりだろうが、見ている側には「重箱の隅をほじくり返す党首討論」と期待を裏切った。『同じ事をして一方は秘書が逮捕されて説明責任で追いまくられて、方やそちらは人数も多いがホッカムリではどちらが説明責任を問われるのか国民に判断願いたい』と鳩山由紀夫代表は開き直っても良かった。ま、それよりも「ききづてならない!」と声を荒げたアピールのほうが上だったが。
 国民目線とか上から目線って言葉が国会の場に出てくるのも珍しいだろう。本来国民目線は改めてアピールするたぐいのものでは無く、政治家が代議員であるから当たり前のことなのだ。あえて国民目線になるのでは無く常に国民目線であるべきなのだが、両者ボンボンの出なので気がつかないようだ。
 党首討論は最高の代表者同士による討論だ。だとすれば、消費税を何パーセントにするとか、選挙の時期は何時がいいとかの話よりもぶれない方針の開陳に時間を割いてもらいたい。
 個々の政策は党内の分科会等で決めれば良く、リーダーのリーダーシップたる所以はぶれない方針の開示である。その意味では政治理念と言い換えても良いだろう。自民党には明確な政治理念がある「1)資本本位主義の継続、2)日米枢密主義の遵守、3)国にによる経済政策の履行」。がしかし、これを党首討論の場で持ち出すことは出来ない。たとえ内容が同じあっても国民が目新しく思う方針に書き換えないまま惰性で自民党政権が続いてきたからだ。一方、鳩山由紀夫代表の政治理念は是非はともなく明確だった。

人の幸せを自分の幸せと感じることが出来る社会を作りたい
 「友愛」を解りやすく説明した見事なキャッチコピーだと思う。今度の選挙に是非とも使うべきだろう。党首討論で議論沸騰の「友愛政治」を国民に向けて説明した価値は大きい。このような生の部分がマスコミの編集を経ると消えてしまう。しかし、先にリンクを張ったyou-tubeの動画で確認して欲しい。党首討論は国民の生活がどうなるってチマチマした話では無くて大局的な話をするべきだろう。西松建設問題なんかは検察に任せておけば良いのだ。政権交代を実現する最後の障壁は民主党が信頼に足かである。小沢一郎代表のままでは選挙が出来なかったのは国民の「信頼」が崩れたからだ。刑事罰に該当する犯罪は犯してない。なんてのは国民には関係ない。説明責任だって果たそうが果たすまいが関係ない。要は「信頼に足る人間かどうか」この一点である。
 西松建設問題を議題にするのは「姑息なぁ」って感じだが、それに増して選挙対策で目立ちたい野次三昧の国会議員の品格が疑われる。議論を聞く姿勢が無ければ議論は成り立たない。その相手の意見を聞くって姿勢が無い国会議員が多い。国民の信託を受けた代議士なのかとあきれかえってしまう。このような状況が続くのなら党首討論に国会議員の出席は禁止だ。国民と党首の間に割って入る報道機関と同様に会話を遮るゲスな国会議員は排除されなければならない。
 ま、初回のこともあり政治ショー以上の認識も無いのだろうが、党首討論を日本の政治に正しく組み込むためには双方の慣れを待つしかないのか。あまりにも国民無視の政治屋による政治が蔓延した証左として、稚拙な学芸会党首討論が位置づけられる。
 ま、しかし、皆既日食のように滅多にない党党首討論だから、このようになるのであって、これから定常的に行うのであれば、双方、国民にとって党首討論とはどんな意味を持つのかを理解するだろう。
 場数を踏めば学芸会から脱することも可能だろう。いや、脱して貰わなければ困る。党首討論は何時までも報道機関のバイアスのかかった政治情報に操作された民意では無く、国民主権に向けた政治家の勤めだと自覚してもらいたい(野次パフォーマンスの品格のない議員も含めて)。

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2009.05.28 Mint