いっぷう変った冒頭陳述
6月19日に始まった西松建設関連の裁判だが、当日は西松建設の国沢幹雄元社長を政治資金規正法違反で起訴する裁判なのだが検察の冒頭陳述は小沢事務所(主語は秘書でも小沢一郎本人でも無くあくまで「事務所」と表現)への迂回献金に終始し、これでは誰の裁判なのか解らない。しかも、西松建設側は容疑を認め争わない方針なのだから、冒頭陳述は検察の独壇場である。その舞台で小沢事務所の「天の声」が東北での公共事業の受注に結びついたなどと述べるのは欠席裁判と言うか、高等なプロバガンダと言うか、検察の意図は政権交代潰しで自民党に貸しを作りたい下世話な行動としか思えない。そもそも、野党である小沢事務所は発注側に無く「天の声」の用語用法は明らかに間違いである。「天の声」とは発注側(のトップが)が受注者を決める鶴の一声のことであり、小沢事務所が「天の声」的な行動がとれるはずもなく、精々小沢事務所の営業トーク止まりだろう。それに乗った西松建設は、ただ、それだけってことだ。ただ、小沢一郎氏が自民党に所属していた時期は話が違うが、これは1993年以前の時期になる。 そもそも東北の公共事業を巡る談合の歴史(現在は表面からは消えている)は既知のもので、談合システムを仕切っていたのは鹿島建設を頂点とする組織であった。決定後に政治家に「挨拶料」を支払うのは常識だったようだが、基本的に決定に政治家が関与する場面は少ない(ゼロでは無いが先の営業トークの範囲内)。 1980年代の東北の公共工事を巡る談合事件を暴き出したいのなら、当時の構造を明確にすべきで、重要な人物の登場が無いのは真実を隠蔽した作文にしかならない。当時の小沢一郎事務所で東北の公共事業談合を仕切っていた人物が検察の冒頭陳述に登場しないのは作文が未完成だ。そして、その未完成部分を完成させないのは検察の自民党への「配慮」としか受け止められない。 |
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2009.06.21 Mint
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