政権交代は政治の構造のChangeになるか

明治維新で変ったもの
 幕藩体制の崩壊と言われているが、ま、薩長連合による政治中核への進出は止まらず、形を変えた幕藩体制であったのは歴史的な事実である。その中でも日本は近代化に向けて国家に求められる憲法や産業振興、そして強兵(全国統一された武力)を整備してきた。政治の方式から見たら参政権が一部の金持ちにしか無かったり、議会を統率するのは天皇だったりで、形式的には主権在民では無かった。
 では、太平洋戦争に負けて新憲法が発布されて変ったものはなにか。
 民主主義が政治の基本制度になったのは事実だが、実は明治維新以来連綿と続いてきた官僚による国家運営は、あのドラスティックな太平洋戦争の敗戦を受けても揺るがなく続けられてきた。つまり、律令国家の運営方法は明治維新以来変化していない。その変化しないことが引き起こす弊害が最近になって政治の閉塞感として目に見えるようになってきた。
 右肩上がりの経済政成長が続いていれば自然と世の中は変化し、旧態然とした制度も世の中の変化から見ると相対的には変化しており、閉塞感を醸し出さなかった。しかし、戦後復興の経済政策一辺倒で進めてきた日本の政治が経済の成長の頂上に達した時に、やはり、明治維新以降の官僚主導の国家運営を見直さなければならない局面になった。政治は経済政策に無力になり、経済中心だけでは成果が上がらない。それが、昨今の自民党政権離れであり、政権交代指向の背景の一部であろう。
 江戸の時代は地方に大名が居て民主党の言う「地方主権」であった。日本を近代化するには主権を東京に集める必要があり、その勢いで連綿と中央集権が続けられてきた。何でも中央集中である。今後必要なのは「地方主権」では無く地方と中央の分担を明確にし、住民本位の地方行政と中央行政が行われることだ。その意味で民主党の言う「地方主権」は言葉専攻で理念の欠如した政策と言える。
 何故なら、長期政権政党として自民党が定めた自民党党則が時代に合わなくなっている。にも係わらず見直しを怠った結果、自民党は自ら岐路に追い込まれている。そして、国民は政治による国家運営方策をを再構築する必要に迫られている。歴史にIFは無いが、自民党の自民党による自民党のための国家運営を自民党が自ら見直していたら今の事態は避けられたのかもしれない。それは民主党にも言えて、常に変革を行うためには結局、政治のPDCAのマネージメントを回すことだ。このままでは「官僚支配からの決別」は言葉だけで終わる。

政治は自民党がする仕組み
 一見違和感が無いし、政権政党が国家運営を行うのは当然の義務であり責任のように感じるが、実はここに議院内閣制がねじ曲げられる原因があった(過去形で言うのは、それでも巧く行く場面も過去には多くあった)。
 日本の国家運営の基本は律令制であり、これは近代国家としてしごく当然と現時点では思われている。つまり、国民に納税の義務を課し、この税金で国家を運営していく方法だ。大化の改新以来、納める物は変っても日本の国家運営財源の基本だ。
 また、民主主義の手法として三権分立を基本にしているのも我々は小学校の社会で習う。司法、立法、行政はそれぞれ独立して存在する。
 そして国家を運営する政治制度は議院内閣制である。つまり、衆議院、参議院で首班指名選挙を勝ち抜いた議員(法的には衆議院議員でも参議院議員でも良い)が内閣総理大臣として内閣を組閣し、行政のトップになる。
 この立法府の代表が行政府の代表を務める制度に日本の政治制度のファジーな部分が潜んでいた。しかし、それが顕在化するには時間がかかったが、今は明確に国民の知るところとなった。抽象的表現を避けて、現在の自民党をあてはめてみる。
 上記の制度が正しく機能すれば、力関係は
1)立法府ライン 自民党代表>自民党
2)行政府ライン 内閣総理大臣>行政(省庁)

の、独立した2系統それぞれの力関係となる。前者が立法府の構造であり、後者が行政府の構造だ。憲法では内閣総理大臣が国家の最高権力者と定めている。(拡大解釈をすれば国軍の統帥権は内閣総理大臣が保持している)。
 ところが、現在の自民党政権では国会や内閣や省庁や官僚は、この2系統を1系統に統合して運営している。誰が何の目的でって部分は省略するが、基本的に
3)日本の権力構造 自民党>省庁>内閣総理大臣>内閣
の1系統の力関係になっている。
 現在の衆議院の議席数は自民党が2/3を占めるが、これは小泉純一郎元総理が郵政民営化選挙を戦って得た議席である。しかし、自民党の総裁には任期があり、これは3年2回までで最長6年となっている。
 だから、2/3を越える衆議院の議席数を残したまま張本人の小泉純一郎首相は2006年9月に自民党総裁の座を降りた。内閣は解散し首班指名選挙が行われて新しい内閣(この場面では安倍晋三内閣)が誕生する。
 つまり、自民党が内閣総理大臣を党則に従って辞めさせることができる。力関係としては憲法に記載された最高権力者の総理大臣より上(優先)なのだ。つまり上記の3)の構造になっている。正確に言うと「暗に」そのようになっている。

さらに自民党の党則による縛り
 自民党の党則では第42条に、政策は政務調査会が決めるとなっている。つまり、総裁(自民党政権では総理大臣)が政策を決めるのでは無く、党が決める仕組みになっている。
 その政策調査会で政策を起こすには「総務会」とそれの下部組織の「部会」で発言すれば良い。しかも、この下部組織の「部会」は官庁の構造に沿った縦割りの構造になっている。つまり、官庁(行政府)と自民党総務会(立法府)は一対の構造で出来てる。だから、官庁→部会→総務会→政務調査会→政策にハンコポォン(総理大臣)の流れに自然となる。唯一の例外は議員立法だが、この法律の精度が低いことは昨今の幼児ポルノ規制で宮沢りえの写真集サンタフェで堂々巡りの議論を見ても解るだろう。
 しかも自民党の「部会」の名称が傑作で、国防部会、総務部会、法務部会、外交部会と政策用の部会に見えるが、防衛省、総務相、法務省、外務省と一心同体なのだ。
 実態を曖昧にするために、これらの部会に属する議員を族議員などと称する。実態は省庁の親分なのだ。
 この方式で旨く行っているうちは良かったが、所轄官庁が不明確な事案に関しては政策が回らない不都合が生じる。例えばODAは縦割りの省庁に属さない事案なので棚上げに近い状態になる。環境問題もしかり、軍事的国際貢献、領土問題、赤字国債等々、すべて所轄官庁が不明確だったり複数に跨るので思考停止の棚上げ状態になってしまう。何故なら、縦割りの官庁の親分の集まりが「部会」だから。そして他の部会にはアンタッチャブルの掟があるのだから。

予算を獲得するのが政治だった時代
 この現在の自民党の構造は経済政策優先でしかも経済が右肩上がり時代に効率的な方式だった。何故なら、律令国家として増え続ける税収をいかに効率よく再配分するかだけを考えておけば良かった。だから、経済が飽和し、税収が不足した時に構造改革を行わないで赤字国債で入り口は右肩上がりの時代のまま確保して制度は走り続けた。
 民主党のマニフェストに対して自民党が「予算の裏付けが無い」の一点張りで来るが、そもそも政策は予算が無ければ実行できないしろものなのだろうか。
 根本的な問題だ。予算が無くても実行できる政策は沢山ある。暫定税率の廃止には予算はいらない。保育所と幼稚園の厚労省と文科省の縄張り争いの調整にも予算はいらない。逆に現在の自民党の「部会」制度では省庁単位に予算が起案されるので無駄な重複計上が避けられない。しかも、休校した学校の校舎を再利用するのに「文科省の金で建てたんだから金返せ!」みたいな縦割りの弊害がまかり通る。
 政策は政治家の志さえあれば実行できる。省庁の作成した台本からスタートする政治だから、予算と連動し、本来の政治の原点を忘れるのだ。
 自民党の党則に準じた先の3)の構造は、民主党への政権交代で解消しないかもしれない。しかし、少しは時代にあった「ましな仕組み」になるのではないだろうか。
 考えてみると民主党の鳩山由紀夫代表の「友愛とは、人の幸せを見て幸せになれる社会」って理念はまったく予算が要らないのだから。
参考文献http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20090707/165397/

button  小泉純一郎首相は何故「自民党をぶっ壊せない」のか
button  政治で行政に工夫を盛り込まなくては国が滅ぶ

2009.07.10 Mint