政策論争が顕在化しない選挙
マニフェスト選挙が浸透しているが、互いのマニフェストを真似しあう人気取り選挙になりつつある。人気取りとの表現を別な表現をすると、互いの政策の導入である。何故ならば、冷戦の時代が終わりイデオロギーを政治のバックボーンにする時代は終わった。選挙制度も小選挙区制になり2大政党化するに従い与野党の違いが薄れてきた。何故ならば、国民にとって小選挙区制選挙により政党の選択肢が狭まり、逆に選ばれた政党は政権政党たる責任を意識せざるを得なくなった。
万年野党で好きなことを言って何でも反対していれば存在価値が有った時代では無くなり、政党が政策責任を問われる選挙になったのだ。それが小選挙区制選挙の緊張感だろう。故に「社会党的な」部分は消え去ったのだが。
日本も先進国のような2大政党政治に近づいたと短絡的に述べる政治家も多いが、本来2大政党制は政党の拠り所としてる文化、習慣、生活、誤解を恐れずに言えば宗教が背景にあって、それが明確に違う故に2大政党が形成されるのだ。その広義の文化的背景があっての諸外国の2大政党制なのだが、日本にはこれに匹敵する広義の文化的違いが自民党と民主党にあるだろうか。
年末になるとクリスマスを祝い、大晦日には寺院の除夜の鐘を聞きながら神社に初詣に行く。日本の文化は非常に中庸である。言い方を変えると曖昧である。白黒付ける場面でも灰色に軟着陸する方策を考える。対立軸を明確にしない文化が日本の伝統である。だから、大化の改新以来、戦って勝利しても敗北しても敵を一掃するような殲滅作戦は行われなかった。日本人の戦争観(争い感)は勝者には敗者への配慮が求められる文化が背景にある。
大化の改新以前でも、縄文文化は消滅したのでは無く、弥生文化に吸収されたと考えるのが最近の考え方だ。つまり、同じ領土で共存していくために広義の文化はあいまいに共存する道を選んだ。
日本独自の2大政党制
物事を進めるにはそれおぞれの段階があり。上流から
1)
方針
2)方針を受けての
戦略
資源の再配置
3)戦略達成のための個別の
戦術
具体的行動方法
の段階を踏む。
争点無き選挙になるのは、次期政権は自民党か民主党か五分五分の状況になるからだ。この場合の争点は具体的な政策、企画段階で言えば戦術レベルであるが、ここには違いが出にくい。とすれば、その前段である戦略レベルが争点になる。ただ、この戦略レベルは日本の現有資源の再編成なので違いが出にくいレベルでもある。
すると、その前段の方針まで遡ると、ここには明確な差が出てくる。つまり、今回の衆議院選挙ははなはだ具体性に欠ける方針レベルの選択になる。
その方針の最たるものが「守旧か改革か」になるだろう。で、自民党も民主党も改革(変化)を標榜するなら、その方向の違いが論点になる。
先の
政権交代は政治の構造のChangeで書いたが、明治政府から連綿と続いた官僚主導の政治を続けるのか、政治家主導の政治にするのかが大きな違いだろう。実際に民主党に政治家主導の政治が出来るだけの力量があるとは思われないが、その片鱗くらいは実現するのではないだおるか。一方、自民党は残念ながら明治維新以来の官僚主導政治に決別することは無いだろう。自民党にも政治か主導の政治が出来るだけの力量があるとも思われない。
非常にファジーな選挙を「争点無き選挙」と非難する評論家も出るだろうが、基本は日本の政治をどうするかの、最上流の「方針」の選択選挙なのだと国民に説明するべきだろう。それが評論家の役割なのだから。
ちなみに、現在の自民党VS民主党は、そのトップの構成を見ると旧自民党の田中派の末裔と福田派の末裔の戦いである。過去何処に属していたかが現在の政治家の姿勢を左右するものでは無いが、最大派閥を形成していた旧自民党田中派に属し、現在は民主党に属しているのは鳩山由紀夫代表、岡田克也幹事長、小沢一郎代表代行、渡部恒三最高顧問、羽田孜最高顧問となる。結局コップの中の嵐」のコップが少し大きいだけなんだろうか?
経緯を見ると55体制の時の「旧自由党」の吉田茂派の流れをくむ田中派と「旧民主党」の岸派の流れをくむ福田派の戦いなのかも知れない。
ちなみに、麻生太郎総理の祖父である吉田茂内閣を総辞職に追い込んだのは鳩山由紀夫代表の祖父、鳩山一郎である。歴史が繰り返されるのか。まことに、奇妙な登場人物の昨今の政治である。