守旧に対峙するのが「麻生降ろし」
「麻生降ろし」は不明確なまま尻切れトンボになったが、では、麻生降ろしを画策していた面々は誰を総理として衆議院選挙を戦いたかったのか。まさか、舛添要一氏では無いだろう。参議院議員で政治経験も浅く、東国原宮崎県知事と大差が無い舛添要一氏を総裁にしても選挙を戦う体制は作れない。それでは、総裁選挙をやることが目的だったのだろうか。だとしたら、立候補者は今の自民党に居るだろうか。先の総裁選挙の候補者の再登場であれば、与謝野馨氏か石原伸晃氏になるだろうが、そもそも自民党が政権を失うことが確実な選挙に、選挙の顔として立とうなんて政治感覚を持った人間は、そもそも政治家に向いていないだろう。麻生降ろしが成功したとして、その後の展開は白紙だったのではないかと疑ってしまう。つまり、麻生総理以外なら誰でも良いって麻生降ろしだった。それでは主義主張に乏しく結局尻切れトンボにならざるを得なかったのも当然だろう。 本来、改革の旗印の下に結束する「麻生降ろし」だが、湯水のように補正予算をばらまいた麻生太郎総理の政策に失策と呼べる点は無く、人気が無い、支持率が低いだけでは攻撃材料として乏しい。麻生太郎総理の支持率が低いのは小泉純一郎元首相以来続いてきた改革の期待がしぼんでしまい、国民が旧来の自民党帰りをした自民党に愛想をつかしたのが原因だ。つまり、国民は改革を支持している。その方法論には議論続出だが基本方針を改革に置くことには賛成している。その空気を読めない自民党が支持率を大きく下げたのだ。 さらに加えれば、選挙管理内閣として発足した麻生太郎内閣は、選挙の時期ばかりに集中し、補正予算の内容は完全官僚任せ。そのために、国立マンガ博物館など出てきて、これまら国民から官僚依存の自民党政権に見えた。 |
|
2009.07.15 Mint
|