政策実施予算の確保は政治責任の根幹部分

過去の自民党政治の手法ならば
官僚が財源が無いと言えばそこで引き下がったのだろう。実際に日本の国家財政がどのようになっているのかは誰も解らないのが実態だ。個々の案件の収支は明確に出来るが、巨大なグループ企業群となっている特別会計との連結決算数字は把握するのは不可能な状況にある。
 長年の単年度会計主義の弊害が特別会計に潜むいわゆる「埋蔵金」の額を明確に出来ない。埋蔵金が今「円」なのか「ドル」なのか「ウォン」なのかも解らない。その滞留した国民から集めた税金の実態を誰も把握していないのに「民主党のマニフェストは財源の裏打ちが無い」ってのは責任有る発言とは言えないだろう。
 もちろん、有るとも無いとも誰も言えない幽霊みたいな財源なのだから民主党もムキになって「有る」とは言えないのだが。
 江戸時代の藩程度の会計規模なら財政再建が必要かどうか即時に解っただろうが、今の日本の財政は巨大すぎて、かつ複雑すぎて、実態は闇の中だ。下手すると倉にいっぱいあると帳簿には載っているが、倉ごと泥棒に持って行かれているかもしれない。
 国家が国民の目の届く規模でなければならないって考え方はこのような場面でも実感させられる。実は民主主義には最適な国家規模があり、その規模を越えると個々の国家の集まりである連邦制が効率的なのではと最近考えている。
 アメリカも2億人を越える人口規模の中で個々の州の自治を基本に連邦制を選択してるのは、結果的に正しいのかもしれない。(あくまで、結果的にだが)。それでも連邦政府の力はまだまだ強力過ぎ、世界の警察を自認する思い上がりが蔓延してるが。

最適国家のサイズ、人口規模
 自民党と日本は違うので、いまさら日本国を割って親国設立だって訳にも行かないが、人口1億人を越える日本は最適国家のサイズからは少し大きすぎるのではないか。例えば北欧やヨーロッパでは人口500万人程の国家が最も生き生きとしてる気がする。やはり人口1億人で1国家だとマスコミの世論操作や中央集権国家に陥りやすく国の運営、つまり行政が非効率になるのだろう。その結果、政治も非効率になり、国民の手の届かない所に政治が行ってしまう。
 先の国家財政の把握が無理な面もそうだが、税金の使われる現場に国民の目が届かず無駄が発生する面もあるだろう。民主主義が「おまかせ民主主義」になってしまうのは規模が大きすぎて、国家を構成する国民に正しく現場情報が伝わる仕組みが構築できないからだ。ここにアメリカの副大統領だったジェファーソンが「情報は民主主義の糧である」と述べた一面がある。情報が正しく国民に伝わる仕組みが無ければ、これまた民主主義は育たないのだ。
 その意味で、先に民主党がマニフェストで中間行政を省いて国と地方自治を直結したのを橋下大阪府知事は強烈に批判したが、最適な国家のサイズ500万人の中核自治体を国と地方の間に入れなければ、今より強固な中央集権体制になるとの橋下大阪府知事の考え方は正しい。民主党もマニフェストのこの部分は書き換えて、道州制に近い地方自治を目指す方向に舵を切り替えた。
 民主主義で行くのなら、情報が行き渡る(「おまかせ民主主義」にならないように)自治サイズを考え、これを中心に連邦に近い国家政府を構築する必要があるだろう。それを怠って1億人のまま国家運営を続けてきた結果が、いまの誰にも解らない財政の有無問題なのだろう。

新国家財政体系の構築が急務
 小選挙区制が導入されてから日本は二大政党制の政治体制に移行することは明確だった。その時に、日本的な2大政党制にスムーズに移行する方策を現在の政党は決して熱心に考えてはいなかった。
 一つは国家観の構築である。特に外交面において反米親中政治と親米反共政治は政権交代の論点になりえず、特に政権を奪取する攻める側は現在の政権の国家観とかけ離れた国家観を持ち得ない。逆に持ち得るならそれは2大政党の一方には成り得ない少数政党の道を歩むことになる。
 また、防衛に対する国家観もゆるやかな再構築を目指さなければならない。自衛隊廃止だとか国民階徴兵制だとか憲法解釈に係わるような変革はゆるやかに行わなければならない。もちろん、先に書いた道州制も数回の選挙による国民の審判を積み重ねて進めなくてはならない。
 で、2大政党制の一番の破壊者は政界再編と大連立である。ゆるやかな改革が吹き飛んでしまう。実は昭和時代の初期にこの現象があった。高橋是清の財政再建により経済が小康状態を保った時に、小康状態の打破のために一気に大連立に走ったら政治の求心力が失われ軍部に政治を押えられて、日本は軍政による国家に急展開した。
 国家観の違う政党が妥協して大連立すると、政治全体が国家観を失う。ゆるやかな改革のためには国家観の違う者同士は連立すべきでは無い。国家としての方向をゆるやかに改革する方針の違い程度でなければ2大政党は日本には馴染まない。
 何故なら、二大政党の裏に文化や先祖伝来の風習まで抱えるアメリカやイギリスと違い、日本には花鳥風月以外の文化土壌を違えた人種(性格? 趣向?)は無いのだから2大政党のバックボーンは同じ文化でしか無い。
 軽度なイデオロギーの対立すら無い日本の2大政党間で、違いを明確にするには政治手法の違いを明確にすることだろう。そのためには、政策実施の基本である国家財政の現状を整理する必要がある。国家財政の把握手法の改革が争点であって、政策実施の財源は、当分は「有るとも無いとも言えない」状況が続くのは自民党長期政権を容認してきた国民は我慢しなければならない。

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2009.07.28 Mint