今回の政権交代は薩長連合の復活でしか無い

政権交代では無くて権力交代
 「歴史はくりかえす」とは良く言ったものだ。最近の政治の世界における民主党の行動は歴史的な政権交代では無く単なる権力交代、いや権力後退であった。権力後退は明治維新と近く、しかも明治維新以降の薩長連合の影響と同じ流れを世襲している。政権を自分たちに都合の良い道具にする思想は明治の新政府で露骨に行われたがそれを政権交代を達した民主党が世襲するとは。
 大政奉還の流れは基本的に日本が外国の植民地に成らないための国益を考えた政治的判断であった。有る意味当時の徳川幕府の権力放棄と言っても良いだろう。つまり、実質的に徳川幕府と同様に自民党のギブアップが結果的に今回の政権交代を生み出したと言って良い。
 何故自民党がギブアップに陥ったのかは明確で「人材不足」が要因だ。何故そこに陥ったのかと言えば長期安定政権を背景にした人材しか手元に駒が無い。事態の変化に対応出来ない組織の思想と人材の老齢化が基本にあるだろう。明治維新の頃にも同じ事例があった。藩閥政治からの脱却として日本海軍の人材一新が無ければ明治政府は日清戦争に勝てなかっただろう。この人材一新が自民党は出来なかったのだ。そのために大なたを振ったのは小泉純一郎元総裁だが自民党は時既に遅しで台風(小泉純一郎)一過をひたすら待っていた体制だった。
 一方、民主党は敵失をひたすら待った。ただそれだけであって、自民党の崩壊が結果として民主党政権を実現させたのであって、民主党と自民党の実行する政策に大差が無いのは、民主党が改革路線では無く、自民党の後継者でしかなかったのが昨今の民主党の動きから感じる。

薩長連合とは何だったのか
 明治の時代を振り返ると地方の力の大きさが現在との差であることが歴然としている。当時の藩は独自に教育システムを完備し藩内で人材を育成してきた。これは徳川幕府が気がつかない事象だが参勤交代や外様大名の扱いで地域をコントロールしていたつもりが、地方(藩)は人材育成で対抗していた(その意識が有ったかどうか議論の余地があるが)。
 明治政府が始まった時に、地方(藩)から大臣のポストを獲得するために人材が東京に集中した。実は歴史の妙なのだが当時の明治政府を構成した人材の中に江戸出身者がほとんど居ない。
 西南の役が明治政府と薩摩の戦いだが、その薩摩側の戦争の意義は士族制度の崩壊への反発で、日本最大の内戦と呼んでも良いだろう。この戦いに中央政府が勝利し士族の時代が実質的に終了したのだが、実は明治政府の構成は薩長連合の時代を迎える。
 明治政府が実質薩長に握られていたのは先に書いた地方の中央政府への人材投与による。権力を握った地方が薩摩と長州だった。
 陸軍や海軍のように国が新たに設ける組織はことごとく薩長で占められていた。これが解消されるには日清・日露の戦争を経て人材登用の仕組みが替わるまで続く。
 ひるがえって、現在の民主党の政策は薩長連合と同じで「自分のための政治」に集約される。権力を手にして自分のしたい放題を行うのは明治政府における薩長の姿勢と同じである。
 つまり政権交代では無くて前時代的な権力交代でしか無いのが今回の政権交代であったと歴史に刻まれるであろう。

中央集権が安全弁になってしまった
 歴史から学ぶと薩長連合の勢力を排除したのは中央政府であった。その中央政府を構築したのは薩長以外の人材であった。地域(地方)の横暴を抑制した中央政府の構造は結局他の地方の力によらない新たな権力構造である中央政府だった。もっとも、薩長連合を他の藩(地域)が倒すのでは日本は内乱になる。その意味で一見民主的に見える中央政府での権力闘争が日本を支配する。その構造が明治以来連綿と続いた結果が現在の「官僚制度」だろう。
 地方(藩)と中央(政府)の構造が出来たのは、実は薩長連合が行った特定地方の横暴を押さえる政治システムで、それは結局のところ霞ヶ関支配に繋がった。それが明治政府から延々と続き今の平成まで続いている。
 歴史は繰り返す。権力構造が政党に移っても結局権力の構造は替わらない。自民党から民主党に政権が替わっても、所詮、権力構造の交代であって、それは鎌倉幕府の時代から連綿と流れている権力の構造でしか無い。
 民主主義の現代に生きる我々が見せられている「政権交代」は所詮、明治時代の、もっと遡れば鎌倉幕府時代の「権力後退」でしか無かった。政権交代に夢と幻想を抱かせられたが、結局昨今の民主党のふがいなさは歴史を巻き戻しているだけのデジャブだったのだ。
 新しい日本の国家観は民主党からは感じられない。何故なら、政治家の本懐が自民党と同じなのだ。明治維新の時代に薩長が結果として中央政府に負けたのは自らの利権を保持する体制に対して中央政府は国際的な国家観を持って対応した故に国民の支持が中央政府に託された結果だ。
 そもそも中央政府には国民の目線はいらない、国防と外交だけやっていれば良い。それ以外は江戸時代のように地方(藩)に任せれば良い。納税収入の大半を地方に、一部を国防と防衛を担う国家に納める仕組みに日本の律令制度を変えていくべきだ。
 明治時代の薩長の権力闘争がいまだに日本政府に受け継がれ大きな中央政府を形成しているが、明治政府の戦略は薩長と対抗するために中央集権を狙ったことだ。その制度が平成の現在まで受け継がれている部分にメスを入れなければ本当の意味での「政権交代」は起こらない。江戸時代は地方が活力を持っていたが、これを締め付けたのが明治中央政府だ。それを自民党は胆に命ずるべきだろう
 民主党に政権交代した今、また、明治の時代の薩長連合の戦いを政治に持ち込むだけの政権交代では政権後退でしか無い。

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2010.02.01 Mint