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民主党のあるべき姿論
政党と国家は違うが、美濃部達吉の天皇機関説に習えば現在の民主党は小沢一郎機関説にはほど遠く、小沢一郎専制君主状態である。せめて明治憲法のように君主の行動を規定し制約する憲法を定め、立憲君主状態に、そして最終的に幹事長って役職は機関であるとの小沢一郎機関状態まで持って行かないと民主党の政党としての法人格は成立しない。もちろん現在の民主党は党としての法人格を国民から認められる状態にはなっていない。「政治と金」の問題に端を発した政権交代第一幕の逆風が第二幕の政権内交代のステージに移っている。特に小沢一郎氏が幹事長を続ける是非は民主党内に留まらず大きな政治問題に発展する。 政治家は国民から選ばれた代議員である。だから、1年生議員も多選議員も背景に背負っている国民は同じである。実際に経験不足があるのは事実だが、経験不足だから政策にタッチさせないのでは背景に居る国民への背徳である。小沢一郎氏は1年生議員は次の選挙のことだけをやっていれば良いと非常に1年生議員と、それを支持し投票した国民に差別的である。仮に政治と金問題が無かったとしても小沢一郎氏の民主党運営は民主党にとってマイナスである。その幹事長の権限を規制する内規が存在するのか不明だが、権力は無制限に発揮できるのでは無く、ある種の規正の範囲内で発揮されるのが近代国家の基本だ。 民間法人においても個人商店は別にしても株式会社の代表取締役は株主に規正される。また、株主は自らの株の価値に対して株主責任により規正される。 現在の民主党幹事長である小沢一郎氏は何に規正されることもなく行動できるが、これが必ずしも効果的に働いていない。政策より政局を好む小沢一郎氏は次の目標は公明党の抱き込みらしく、その手段として政策があるような本末転倒な行動を進めている。幹事長のポストは民主党が政策を進める中での一機関である。その本質を見誤ってはいけない。 |
2010.03.19 Mint
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