アメリカが沖縄を手放さなかった理由
日本の占領統治は敗戦後一貫してアメリカによってなされるが、国際的な常識で言えば戦勝国である連合国の全てに占領統治の権利が生じる。これが極東委員会である。しかし、アメリカ主体の占領になったのはマッカーサーがロシア排除を画策して極東委員の会議の前に早急に新日本国新憲法を制定させた。つまり、日本軍は無条件降伏したが、日本国は該当しないとの論理を採用し、日本の連合国による分割統治を行わせなかったのである。これが結局戦後の日本に有利に働いた。分割統治ではベルリンの壁のように1989年まで国家統一に時を要しただろう。
その後日本は独立国となったが、アメリカは沖縄を日本に返還しなかった。1945年〜1951年の初期には沖縄の地勢的位置づけは日本が再軍備しても南方への侵出を押える「日本軍への蓋」の意味が強かった。しかし、1950年に勃発した朝鮮戦争がアメリカを中心とした国連派遣軍と中国人民解放軍、その背後にソ連による武器供与の形態を踏まえ、日本は地勢的状況によりアジアにおける反共の砦になった。この段階でアメリカは日米安全保障条約を結ぶのだが、初期の日米安全保守条約は不平等条約であり「日本軍への蓋」の様相が強く、内乱時にアメリカ軍が日本国内で武力行使ができるようになっていた。
その後1960年代の日米安全保障条約の改定により「日米共同防衛」の性格を帯びるに至った。
この改定ではアメリカ軍による内乱制圧の条項が削除され「日本軍への蓋」の機能は無くなっている。また、米軍基地の配備・装備に対する事前協議制度も追加された。
それでも、アメリカの既得権益である沖縄米軍基地はアメリカのアジアへの軍事力展開の文字通りの基地であり手放すことは無かった。
米軍再編の中で重要度を増す沖縄米軍基地
アメリカのアジアへの軍事展開の要は沖縄であるが、世界情勢の変化によりその重要度は益々増えることはあれ、軽減されることは無い。
韓国の駐留米軍は2016年には撤退する計画になっている。また、天災ではあるが、ピナツボ噴火でスービック空軍基地が使用不能になった事を理由にフィリピンから米軍基地を撤退し沖縄に移転した。この背景にはフィリピンでは米軍は駐留費を支払っていたが沖縄では逆に駐留費を負担してもらえる利点があったと言われている。
また、グアムの米軍も沖縄から移転して再編成の予定だが、その進捗は昨今の普天間基地移設問題とリンケージして計画どおりに進むかどうか微妙である。
本来、沖縄の米軍基地は日本の敗戦から始まったもので、日本が平和憲法の下で国権による武力での国際紛争の解決を目指さないとしているのだから、沖縄のアメリカ軍の駐留が「日本軍への蓋」の論理は成り立たない。また、アメリカの都合でアジアへの軍事威嚇を続けるのなら自国の土地か賃貸料を払って利用すれば良い。
次に問題になるのが日米安保条約が「軍事同盟」かどうかの部分である。日本の現行憲法解釈では集団的自衛権は有るが行使できないとされている。日本が軍事侵略を受けた場合、アメリカが守ってくれる条項は日米安全保障条約に明記されている。ただ、同時に日本の施政権内で米軍が武力攻撃を受けた場合、それを防衛する義務を日本が負うことになっている。この部分が「軍事同盟」と呼ばれる所以である。
日米安全保障条約が有効であれば日本は集団的自衛権を発揮できるのだが、これは憲法違反の公算が高い。つまり、日米安保が「アメリカの核の傘の保護下」と一方的に日本に有利な条約なのだ。いや、アメリカですら日本が軍事侵攻された時に守るかどうかも疑わしい。もっとも外交的見地からは、やるともやらないとも言わないのが一番効果的なのだが。
普天間の米軍基地はアメリカの事情により沖縄の何処かに移転するのは容認するだろうが、県外移転は論外だろう。分散移転も沖縄に居る意味が無くなる。結局自民党時代に合意に達したキャンプシュワブ(辺野古)以外無い。
大山鳴動してネズミ一匹出ず。無駄なエネルギーを注がないで現行のままってのが基本に沿った方向が合理的結論だろう。
鳩山由紀夫総理には「腹案」なんか無い。いつもの「言ってみただけ」だろう。いかに時間を掛けて最終結論をキャンプシュワブ(辺野古)に持ってくるかだけが鳩山由紀夫総理の傷が一番浅い方法だ。