思いつきに振り回される鳩山由紀夫総理
普天間基地の機能の一部を徳之島へ移転する「思いつき」は徳之島の元市議会議員の単なる思いつきであったことは
前にも述べた。この現地の思いつきに「看護学校、専門学校の設置」が加わった7ヶ条となって5月16日に鹿児島で平野博文官房長官が賛成派14人と会談し「全部呑む」と述べてしまった。
平野博文官房長官は会談の内容は非公開にするように措置したが「人の口に戸は立てられない」の原則に沿ってマスコミが嗅ぎつける所となった。もっとも、これは立法を伴う事案なので「全部呑む」と平野博文官房長官が発言する権限は無い。
マスコミの流す情報に接していると民主党の鳩山由紀夫総理に近い人間が思いつきを「御注進」する。鳩山由紀夫総理は「そうですか、了解しました」と答える。すると鳩山由紀夫総理に近い人間はマスコミに向けて「総理は私の考えに理解を示した」と情報をリークする。これを鳩山由紀夫総理に確かめることもなくマスコミは「政府案」として情報を流す。これの繰り返しだ。
鳩山由紀夫氏は好奇心の塊みたいな人間なのでアイデアを聞くのは楽しむ。しかし、リーダーシップが資質として無いので聞くだけだ。それを「総理は私の考えに理解を示した」と取るのは、自分の思いつきに重しを付けたいのと、自分をマスコミに売り込みたい思惑に端を発してる。それを知ってか知らずかマスコミは「政府案」として報道する。マスコミにとって民主党の代議士は便利な情報源として利用できる。
一方、鳩山由紀夫総理にとってはたまったものでは無い。話を聞いたら翌日には「政府案」として報道されている。「話を聞いただけなのに」では済まされず「ぶらさがり」では「どうなっているのか」と記者に質問される。どうなっているもこうなっているも、あれはひとつの思いつきなんだがとも言えず、肯定したり否定したりで「総理はブレている」と書かれる。悪循環だ。
そして、諸悪の根源は思いつきを御注進に来る輩だ。
考えてから話すか自らは話さない
昔、パソコン通信が華やかな頃、反論するために無我夢中で書き込む様を「骨髄反射の感情的レスポンス」と呼んだが、もちろん医学的には正しくないが言い得て妙であった。
鳩山由紀夫総理もそれに近いところがある。妙に丁寧な言葉使いは自分に自信が無い証左で、過去の政治家と比べて発言には信憑性が乏しくなる。「国民の皆様の「お暮らし」を守る」なんて言われても通じない。「お暮らし」って何だぁとなる。
今回の普天間基地移設問題の着陸点は結局、出発点であった。工法についてもくい打ち方式なんかが出てくるのは先の「御注進」による雑音だ。メガフロートによる移動滑走路なら軍事的に効果があるが、くい打ちでは爆弾1発で使えなくなる。埋め立てならブルで土を運んで穴を埋めて応急措置で修復出来るが、くい打ちではめくり上がった鉄板の除去から始めなくてならず応急措置は出来ない。それが民間空港と軍事施設の違いだ。この根本的なことも「学んで」無い。
そもそも、沖縄の海兵隊を「抑止力」と呼ぶのは非常に危険だ。何に対しての抑止力かと問われる。もちろん答えは「対中国」であり「対北朝鮮」なので、逆に暗黙に中国、北朝鮮への対抗と取られる。
「日本のシーレーン防衛の抑止力」と政治的で外向的な配慮を持って用語を使うべきだろう。このあたりにも「お暮らし」と同じように鳩山由紀夫総理の用語用法の不適切さがある。宇宙人だから何を考えているのか解らないってのは、一国の総理大臣として説明責任が果たせていないってことで、欠落条項に該当する。
話すことに信憑性を疑われたらどうするか。スポークスマンを立てて自らの発言を減らすことだ。もちろん、現在はスポークスマンすら居ない。官房長官なんかは鹿児島でカラ手形発行してくるようでは、その責務は果たせない。
今から民主党は政府公報を練り直すべきだろう。それが参議院選挙に向けての最大の重点事項だ。