普天間問題で総理大臣の成長を見守る国民の憂鬱

内閣支持率の回復はあるか
 迷走と呼んでも良い普天間問題の決着に向けての一連の流れだが結果は日米合意をメインに決着をはかった。政権交代から10ヶ月。正直言って鳩山由紀夫総理はやっと仕事らしい仕事をしたなと感じる。それまでは飾りのような総理大臣でもちろん実権は小沢一郎幹事長が握る民主党政権であった。年末の予算編成に向けて「党の意見を伝える」なんて小沢一郎幹事長のパフォーマンスを丸呑みし、藤井財務大臣が嫌気がさして辞任したあたりが鳩山由紀夫総理のリーダーシップの無さが表面化して最悪の事態だった。
 普天間問題はその結果の是非を語る前に、鳩山由紀夫総理が自らの力で問題解決をした事の意義を考えるべきだろう。
 「言葉の軽さ」問題についても、その「軽さ」は責任を取らない故に指摘されるのであって、自らの発言が政策方針を左右することを身をもって知ったのは鳩山由起夫総理に良い経験だっただろう。総理も良い経験をしたなどとのんきな事をと考える向きもあるだろうが、今の日本の政治は政権交代後、一から始めるしか無いのが、これまた現実だろう。
 今回の普天間問題は脱小沢一郎支配を印象付けた点で雨降って地固まるの教訓を民主党にもたらした。これで内閣支持率は回復すると見るのだが、実際はどうだろうか。世論調査の結果に期待したい。

政治は学問では無く経験の蓄積
 普天間問題は鳩山由紀夫総理が真剣に勉強する良い機会であった。それは「脱官僚」などとスローガン優先で「政治主導」を不勉強なまま進めて陥った無限ループ方程式に陥った問題を結局「官僚の知恵」で解いたってことだ。
 話は逸れるが優秀なパイロットは「使える物はなんでも使う」って情報収集に対する柔軟さと「一点に集中しない分散思考」と言われている。沢山の計器から必要な情報を読み取り最適な判断を瞬時に行うには、多くの情報と多くの可能性を考える思考方法を身につける必要がある。パイロット用に発行された日本航空機操縦士協会が発行するパイロット手帳には国内の民放ラジオ局の周波数が明記されているのは最悪計器が故障した時も民放ラジオを受信して方位を決定する工夫をサポートしている。
 話を戻すと、今までの鳩山由紀夫総理は不勉強で不適切な発言を繰り返し総理大臣の席に座ることで満足し、日本の顔としてのみ行動していた。首相官邸に韓流俳優を招いて妻の手料理でもてなすなんてのは、その発想を示している。
 しかし普天間問題では日本の頭脳としての対処を迫られた。この場合、逃げ切る方策が無かったとは言えない。岡田かつや外相と北澤俊美防衛大臣に丸投げしておけば良い。しかしここで大学院生と言われる民主党らしさが出て両者とも普天間問題を背負うのを避けた。
 追い込まれた鳩山由紀夫総理は結局自ら動くことで問題解決をはからなければならなかった。
その時に残された手段は官僚が蓄積した知識であった。さらに言えば祖父の鳩山一郎の政敵であった吉田茂が日米間で決着をはかった昭和27年のサンフランシスコ平和条約にまで歴史は遡る。当時、それを支えたのが日本に通産省を作った白洲次郎であったのは有名な話だ。吉田茂は官僚を巧みに使い政治の経験を積み重ねた。
それが「鳩山由紀夫総理も良い経験をしたね」ってことだ。
宇宙人が少し地球人に近づいたのかもしれない。

マッチポンプは「鳩山った」かな
 好意的に見れば上記のようだが、基本、普天間問題は鳩山由紀夫総理のマッチポンプであった。その責任は大きい。但し、これまた日本の政治家全般に言えるのだが、普天間問題のダッチロールに手を差し出さなかった政治家は戦犯である。それは、政権交代以降、日本の政治を一から作り直す気概が無く、既得権益を自民党から引き継ぐだけの政治姿勢だ。
 「平成の坂本龍馬になる」なんて言っていた政治家が陰も形も見せないのは笑止千万である。明治政府を作ったほどのエネルギーが求められている時代に、あまりにも政治家の器が小さい。
 今回の普天間問題で一番坂本龍馬に近かったのは鳩山由紀夫総理そのものでは無かったのか。残念ながら日米合意を優先した結論ではあったが、これまた黒船に対抗する選択肢なのだから。
 また、時代も鳩山由紀夫総理を後押しした。北朝鮮によると見られる韓国哨戒艦の魚雷攻撃である。この軍事的緊張が平和ぼけしていた眠りを覚ます蒸気船であった。福島社民党党首の罷免も軍事的緊張の前では当然と受け止められるだろう。
 総理大臣が経験を積み重ねて育っていくのを見守る国民は不幸かもしれないが、自らが生きている時代が明治維新前夜と同じだと考えると、これもまた国民が甘受しなければならない歴史のひとこまかもしれない。

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2010.05.30 Mint