総理大臣は選挙の道具では無い
選挙の顔である。決して道具では無い。つまり、スローガンが選挙の顔であり、道具は各立候補者の過去の実績、新人候補については政治に対する志が選挙道具だ。ここで総理大臣を変えるなんてことを選択すれば、民主党は選挙優先の政治を行う政党で、とても国民の代表として国政を行う姿勢はないと露呈するようなものだ。
先に述べたが政権交代ってのは近代国家を一から作り始めた明治維新と同じで多少の紆余曲折を積み重ねながらも新しい時代形成に前進していくものだ。その意味で自民党から大政奉還された民主党側に新しい時代形成では無く、選挙至上主義の古い体質が残っているのが今回の「鳩山由紀夫総理では選挙は戦えない」って発言だろう。
政権交代で政治構造が替わるのだから選挙の進め方も旧来の選挙運動の延長線ではあり得ない。まして、国民に直接情報提供できるインターネット全盛の時代に突入しているのだから新しい選挙形態を模索すべきだろう。今後、選挙カーで名前を連呼した候補者には投票しない運動も起こってくるかもしれない。それが表面化する前に、これからの選挙運動はどうあるべきか考えるべきだ。
とにかく日本の国政は政治家が多すぎる。自民党政権時代の陣笠議員が名前を変えて今でも国会の多数を占めているのだ。本来駄目な政治家を排除する機能が選挙なのだが、今の日本では政治家になりたい絶対数が少ないから、駄目な政治家や世襲政治家でも当選してしまう「広き門」になっている。もっと、日頃の政治活動と連動した選挙運動にするためには国会議員の定数を半分にするくらいの「狭き門」を構築すべきだ。その時に「駄目議員フィルター」が有効に機能するだろう。
自民党から教わったことは「継続は力なり」
政権交代したが国民の期待はずれだった民主党だが、これは政権交代の意味するものがとってつもなく大きかったって証左だろう。旧来の自民党政権が長期に渡った結果、日本の政治は自民党流前例主義が広く蔓延した。その一つ一つが障害壁となり、なかなか新しい政権が前に進めない。もちろん、政権交代がとてつもなく大きなものでそれに対応するエネルギーも半端なものでは無いのを一番よく知るのは民主党自身だろう。そして自らのエネルギー不足も感じ始めている。
そのエネルギー不足は官僚を使いこなすことで補うしか無い。民主党には官僚が自民党と一蓮托生の諸悪の根源に見えるのかもしれないが、良いに付け悪いに付け日本の新しい時代は官僚の力を利用して形成されてきた。明治維新から連綿と続く官僚機構が日本を支えてきたのだ。それは政権が明治政府であっても日本帝国議会であっても、戦後の自民党政権でも連立政権でも続いてきた。
例え話は本質を見えにくくするが、言ってみれば政権政党は株主であり、官僚は会社構成員(役員)と言えるだろう。日本株式会社は国家公務員、地方公務員、特別国家公務員の別はあれ、多くの社員を抱えている。これをうまく使って日本を運営していくのがトップ官僚であり日本株式会社の役員だ。そのトップ官僚を国民の考える国家像に導くのが株主である政権の役割だろう。
その意味で、株主が目先の利益をもとめてコロコロ方針が変わるのでは日本株式会社は方向性を失う。経団連の誰だったか忘れたが「株主ってのは、デイトレードやっているような奴では無い。会社を信頼して一緒に事業を行うパートナーが株主なんだ」と言って証券取引法を知らないのかとバッシングされたが、日本株式会社の株主はゆりかごから墓場まで株主であり続ける国民なのだ。その真の株主から株主総会では代表権を預託されたのが今の国会議員だ。
そして、そのトップである多くの株主の権利を預託されたのが総理大臣だ。目先の利益のために株券を売ったり買ったりして株主の代表の首を変えてきた自民党の轍を踏むと、鳩山由紀夫不支持と民主党不支持の相乗作用で民主党は国民の信頼を一気に失うことになる。
ここは、一皮むけた鳩山由紀夫総理ってことで仕切り直しして新しい時代形成に向けて邁進すべきだろう。