今の日本の政治状況は1921年の状況と同じ

1921年原敬暗殺、20年間で20回交代
歴代氏 名在任期間
19原敬1918/09/29〜1921/11/04
20高橋是清1921/11/13〜1922/06/12
21加藤友三郎1922/06/12〜1923/08/24
22山本権兵衛(2)1923/09/02〜1924/01/07
23清浦奎吾1924/01/07〜1924/06/11
24加藤高明1924/06/11〜1926/01/28
25若槻礼次郎(1)1926/01/30〜1924/04/20
26田中義一1924/04/20〜1929/07/02
27浜口雄幸1929/07/02〜1931/04/14
28若槻礼次郎(2)1931/04/14〜1931/12/13
29犬養毅1931/12/13〜1932/05/16
30斎藤実1932/05/26〜1934/07/08
31岡田啓介1934/07/08〜1936/03/09
32広田弘毅1936/03/09〜1937/02/02
33林銑十郎1937/02/02〜1937/06/04
34近衛文麿(1)1937/06/04〜1939/01/05
35平沼騏一郎1939/01/05〜1939/08/30
36阿部信行1939/08/30〜1940/01/16
37米内光政1940/01/16〜1940/07/22
38近衛文麿(2)1940/07/22〜1941/07/18
39近衛文麿(3)1941/07/18〜1941/10/18
40東條英機1941/10/18〜1944/07/22
41小磯国昭1944/07/22〜1945/04/07
42鈴木貫太郎1945/04/07〜1945/08/17
戦前の原敬暗殺からの20年は太平洋戦争突入までの20年であり、この時期に再登場も含めて総理大臣は20回も替わっている。その要因は軍部の台頭に求めることも出来るが、基本は政治家としての指導力の無さだろう。軍部の台頭を抑えておけばその後軍部によるテロにおびえって政治を放棄する時代が来なかっただろうが、ある時点で政治家は自らの保身のために軍部のイエスマンになってしまった。これが田原総一郎氏が「日本の戦争」で書いた時代背景と開戦の要因だが、必ずしも的を外してはいないだろう。
 しかし、この時代の日本を振り返ると、鶏が先か玉子が先かの議論はあるとしても、経済の低迷、国民の貧困の格差拡大、軍事費の増大による税金の運用の行き詰まり、軍部の台頭と戦費の拡大がそれに輪をかけて、政治家は誰がやっても政治主導にはならない時代を政治家自らが作ってしまった。
 上記の表を見ると最初の頃は日本をどのようにするかの気概のある政治家が居たが、それからは歴史に名前を残す総理大臣が少なくなっているのが解る。 

現在の「失われた10年」も同じ
歴代氏 名在任期間
78宮澤喜一1991/11/05〜1993/08/09
79細川護煕1993/08/09〜1994/04/28
80羽田孜1994/04/28〜1994/06/30
81村山富市1994/06/30〜1996/01/11
82代橋本龍太郎1996/01/11〜1998/07/30
84小渕恵三1998/07/30〜2000/04/05
85森喜朗2000/04/05〜2001/04/26
87小泉純一郎2001/04/26〜2006/09/26
90安倍晋三2006/09/26〜2007/09/26
91福田康夫2007/09/26〜2008/09/24
92麻生太郎2008/09/24〜2009/09/16
93鳩山由紀夫2009/09/16〜2010/06/08
94菅直人2010/06/08〜
連投の場合は交代として扱わない編集を加えている
 ここ最近の入れ替わりも激しいが、小泉純一郎総理以前で17年で12人。小泉純一郎総理の在任期間を除けば12年で11人のハイペースで総理が交代している。これに政権交代も加わっている。
 では戦前の総理がコロコロ変わった状況の今の日本は何が違うのだろうか。実は名称こそ時代とともに変わるが要因は驚くほど同じなことが解る。
 戦前の膨大な軍事支出による財政の緊迫は現在では膨大な国債発行残高と言える。国債は借金だから軍事費のように消えて無くなるものでは無いと思うかもしれないが、既に日本の国債発行残高は火が付けば燃えて消えてしまう火薬庫のような状態にある。
 貧富の格差拡大も戦前の都市部と田舎にように、加えて放置しつづけた公務員の天下りを筆頭に地方では最も給与が高いのが公務員となっている。官民格差も広がっている。
 そして日本の将来ビジョンを策定し推進する政治家の不在。全て1921年からの日本の歩みと同じだ。結局、1945年の敗戦と国家の崩壊で終演するのだが、それでは今回の終演は何時だろうか。単純解釈をすると始まりから23年後。短命だった細川護煕内閣をスタートラインとすれば、1993年がスタートライン。これに23年を加えると2016年。あと6年しか無い。

日本経済は6年もつだろうか?
 今後の6年に政治的に何があるだろうか。衆議院議員選挙が2回くらい。参議院選挙が2回。これで政治は劇的に変わるだろうか。結論から言うと2回の選挙では変わりようが無いだろう。つまり、国民がいかに政治感覚をとぎすましても、この国の政治を変える舞台は与えられないってことだ。
 では終焉は決まってしまったのだろうか。
 実は唯一の回避策が残されているのだが、この実現はかなり難しい。
 現在の政治家を再編成するしか無いのだ。本来の意味でリストラ(リストラクチャリング)を使うと「政治のリストラ」しか解決策が無い。国民は民主党に失望している、しかし、それに変わる政党として自民党返りは望んでいない。民主党は意外と早く終焉を迎える恐竜だったのかもしれない。その恐竜の時代を生き残り生物の頂点に立った哺乳類にが生まれてくるのか? それがここ数年の政治の最大の課題だろう。
 国家戦略も外交も放りだして、党の代表選挙にしか関心の無い器量の狭い総理大臣ではとても哺乳類にはなれない。彗星が地球に衝突して大気が粉塵で覆われ気温がぐんぐん下がってきているのに「春の来ない冬は無い」と考えているような恐竜は絶滅するしか無いのだ。
 自民党的では無い大連立を行わないと恐竜と同じ道をたどる。個々の政治家は春の来ない冬は無い」と自分にポストが振ってくるまで口を開けて上を見ていないことだ。自らが動かなくてはこの国の政治は絶滅するのだから。
 その意味で政治家の定数削減は利口な方法だと思う。ただなんとなく政治家って世襲議員や看板・カバン・地盤の継承者を排除する間接的効果がある。
 せめて、世論を政治に生かすなら、最も政治家が自らのために行わなければならないのは議員定数の削減である。半分にすればそれだけ小回りが利く。
 恐竜はその巨体故に同じ環境にある哺乳類に負けた。政治も巨体を捨てることだ。地方国を問わず政治家の巨大化がまさに恐竜絶滅前夜になっているのを政治家は自ら気がつくべきだろう。

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2010.08.10 Mint