現在の「失われた10年」も同じ
歴代 | 氏 名 | 在任期間 |
78 | 宮澤喜一 | 1991/11/05〜1993/08/09 |
79 | 細川護煕 | 1993/08/09〜1994/04/28 |
80 | 羽田孜 | 1994/04/28〜1994/06/30 |
81 | 村山富市 | 1994/06/30〜1996/01/11 |
82代 | 橋本龍太郎 | 1996/01/11〜1998/07/30 |
84 | 小渕恵三 | 1998/07/30〜2000/04/05 |
85 | 森喜朗 | 2000/04/05〜2001/04/26 |
87 | 小泉純一郎 | 2001/04/26〜2006/09/26 |
90 | 安倍晋三 | 2006/09/26〜2007/09/26 |
91 | 福田康夫 | 2007/09/26〜2008/09/24 |
92 | 麻生太郎 | 2008/09/24〜2009/09/16 |
93 | 鳩山由紀夫 | 2009/09/16〜2010/06/08 |
94 | 菅直人 | 2010/06/08〜 |
連投の場合は交代として扱わない編集を加えている |
ここ最近の入れ替わりも激しいが、小泉純一郎総理以前で17年で12人。小泉純一郎総理の在任期間を除けば12年で11人のハイペースで総理が交代している。これに政権交代も加わっている。
では戦前の総理がコロコロ変わった状況の今の日本は何が違うのだろうか。実は名称こそ時代とともに変わるが要因は驚くほど同じなことが解る。
戦前の膨大な軍事支出による財政の緊迫は現在では膨大な国債発行残高と言える。国債は借金だから軍事費のように消えて無くなるものでは無いと思うかもしれないが、既に日本の国債発行残高は火が付けば燃えて消えてしまう火薬庫のような状態にある。
貧富の格差拡大も戦前の都市部と田舎にように、加えて放置しつづけた公務員の天下りを筆頭に地方では最も給与が高いのが公務員となっている。官民格差も広がっている。
そして日本の将来ビジョンを策定し推進する政治家の不在。全て1921年からの日本の歩みと同じだ。結局、1945年の敗戦と国家の崩壊で終演するのだが、それでは今回の終演は何時だろうか。単純解釈をすると始まりから23年後。短命だった細川護煕内閣をスタートラインとすれば、1993年がスタートライン。これに23年を加えると2016年。あと6年しか無い。
日本経済は6年もつだろうか?
今後の6年に政治的に何があるだろうか。衆議院議員選挙が2回くらい。参議院選挙が2回。これで政治は劇的に変わるだろうか。結論から言うと2回の選挙では変わりようが無いだろう。つまり、国民がいかに政治感覚をとぎすましても、この国の政治を変える舞台は与えられないってことだ。
では終焉は決まってしまったのだろうか。
実は唯一の回避策が残されているのだが、この実現はかなり難しい。
現在の政治家を再編成するしか無いのだ。本来の意味でリストラ(リストラクチャリング)を使うと「政治のリストラ」しか解決策が無い。国民は民主党に失望している、しかし、それに変わる政党として自民党返りは望んでいない。民主党は意外と早く終焉を迎える恐竜だったのかもしれない。その恐竜の時代を生き残り生物の頂点に立った哺乳類にが生まれてくるのか? それがここ数年の政治の最大の課題だろう。
国家戦略も外交も放りだして、党の代表選挙にしか関心の無い器量の狭い総理大臣ではとても哺乳類にはなれない。彗星が地球に衝突して大気が粉塵で覆われ気温がぐんぐん下がってきているのに「春の来ない冬は無い」と考えているような恐竜は絶滅するしか無いのだ。
自民党的では無い大連立を行わないと恐竜と同じ道をたどる。個々の政治家は春の来ない冬は無い」と自分にポストが振ってくるまで口を開けて上を見ていないことだ。自らが動かなくてはこの国の政治は絶滅するのだから。
その意味で政治家の定数削減は利口な方法だと思う。ただなんとなく政治家って世襲議員や看板・カバン・地盤の継承者を排除する間接的効果がある。
せめて、世論を政治に生かすなら、最も政治家が自らのために行わなければならないのは議員定数の削減である。半分にすればそれだけ小回りが利く。
恐竜はその巨体故に同じ環境にある哺乳類に負けた。政治も巨体を捨てることだ。地方国を問わず政治家の巨大化がまさに恐竜絶滅前夜になっているのを政治家は自ら気がつくべきだろう。