仙菅ヤマトでは日本は救われない

存在理由が無い仙菅ヤマト
 宇宙戦艦ヤマトには確実な目的があった。それはガミラスによって放射能汚染された地球を救うべく未知の宇宙空間イスカンダルへ向かってコスモクリーナを入手し、それを地球に持ち帰ることだ。なんとなく「はやぶさ」を彷彿とさせるが、もちろん原作が出来た当時は日本が惑星探査を行うような時代を想定出来なかった。ちなみに、テレビ版の宇宙戦艦ヤマトは1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で全国に流された。
 一方、21世紀を迎え日本の政治の中心は首相官邸を核とする仙谷官房長官と菅直人総理による仙菅ヤマトによって運営されている。しかし、この仙菅ヤマトは宇宙戦艦ヤマトのように地球を離れイスカンダルへ向かうどころか、戦艦大和に近く、存在事由(レーゾンデートル)すら確立されず漂流する幽霊船に近い。最後は沖縄特攻へと突き進むのかもしれない。ちなみに戦艦大和の時代の世界3大無用の長物はヨーロッパでは、万里の長城、ピラミッド、凱旋門であった、この凱旋門を戦艦大和に替えて日本では世界3大無用の長物として万里の長城、ピラミッド、戦艦大和と揶揄されていた。
 国民(人類)から見たら宇宙船艦ヤマトは希望の星だが、仙菅ヤマトは菅直人総理の言う「最小不幸社会」を目指す政策の中での国民の「最大不幸」である。
 感情的に菅直人政権を批判する機会は別途考えるとして、この仙菅ヤマトが漂流する幽霊船になるのは「内閣の責務」に無頓着な点だろう。政権を担った経験が無いと言えばそれまでだが、政権を担う責任についても無頓着なのだ。
 地球を離れイスカンダルに向かうどころか、首相官邸の椅子にかじりつき、政権の持続にのみ関心があり、命を賭してイスカンダルへ向かう気などさらさら無いのだ。総理であり続けられるのならば何でもするって姿勢なのだ。同様に幹事長であり続けられるらな何でもするってことだ。
 政治の責任、特に政治の結果責任にはまったく無頓着で、これでは国民は政治を預託出来ない。そのことが自らの課題だが能力不足でそれを実現できないと反省しているならまだ可愛いが、まったく意識の中に無いのだから、仙菅ヤマトは漂流する幽霊船になるのだ。そして、正確には戦艦大和に近い存在に陥る。

子供手当でドタバタする仙菅ヤマト
 例示にはいとまが無いのだが、とりあえず今回の3歳以下の子供を持つ世帯には月額2万円の「子供手当」としたプロセスを考えてみたい。
 2011年1月から所得税法が改正されてサラリーマンの給与から天引きされる所得税が増える。基礎控除を縮小した増税である。
 そもそも民主党がマニフェストに記載した子供手当だが、実際に政権を担った時にその支出を担保する収入が見つけられていない。だから子供手当の金額も幽霊船のように漂流する。
 現実問題として財源が無ければ支出が出来ないのは解るが、それでは現在月額13000円の子供手当が3歳以下だけ月額20000万円になる理屈は何なのか?
 そこに、民主的で合理的で経済的な事由が存在するのか。存在するなら、それを説明するのが総理大臣の責任では無いのか。
 全て人に任せておけば自分は責任を取らなくて良いって発想が仙菅ヤマトに感じられる。何故月額20000円なのか、何故3歳未満扶養世帯なのか、その説明を仙菅ヤマトはしない。ただ、「決めましたぁ」だけが先行する。
 そもそも「情報は民主主義の糧である」とアメリカ副大統領であったジェファーソンが言ったように、情報の開示と説明が民主主義を支える。仙菅ヤマトはこの原理原則を解っていない。いや、解っていて黙殺する。ある意味で北朝鮮の独裁政権と情報の扱いについては同様であり、民主主義を崩壊しかねない危うさがある。先の尖閣諸島での海上保安庁撮影の映像の公開でもこの危うさを感じる。
 決めるのが政治では無い。決めたことに責任を持つのが政治だ。そして決めるプロセスを説明するのが民主主義だ。先の尖閣諸島ビデオでも「何故公開しないのか」を国民に説明する義務を仙菅ヤマトは怠っている。意図的に黙殺している。

責任を取るから権力を持てる
 考えてもみよう。決めるプロセスに自らが結果責任を担わないようにと考える政権とは日本国民にとって何だろう。責任を担うからこその決断が代議員選挙制度の基本ではないのか。代議員は決断し実施した後に国民の選挙によって結果責任を問われるのだ。
 国民による結果責任追究で選挙で落選したく無いために、結果責任を問わない選挙戦を戦っているようでは国民の代表としての国会議員の品格に欠ける。だから、日本国民は小沢一郎氏が嫌いなのだ。もはや論理では無い感情論の中で選挙が結果責任を問う審判なんだって考え方を持たない小沢一郎氏を国民が嫌悪する所以だ。
また、それが出来ないのなら「直接民主制」に移行せざるを得ない。それもまた一つの選択肢だが、基本的に日本の政治は代議員制度で行われてきた。
 国家を日本をどうするのか、そのトップリーダが総理大臣である体制を戦後の日本は憲法に沿って形作ってきた。それが機能しなくなったのではと昨今の仙菅ヤマトを見て思う。
 責任を追及されることを避けてリーダは勤まらない。同じく結論に至ったプロセスを説明するのもリーダの役割だ。「財源から計算すると3歳未満に月額20000円が妥協点です」って官僚の提言に「では、よきにはからえ」ではリーダシップなんて無い。そのまま国民に説明しては「官僚主導」と批判されるので口をつぐむのが最善の保身と考える仙菅ヤマトなのだ。国民をコケにしている。
 国民に何故に月額20000円なのか説明する責任がある。その説明が「税源と支出のバランスを考えるとギリギリの選択」なんてのは政治主導では無い。そのことが解っているから仙菅ヤマトは国民に向かって何も話さないのだろう。それは、北朝鮮の政治と同じなのだと理解していないようだ。
 大きな政局が起きないのも不思議だ。今の仙菅ヤマトが日本の民主主義の崩壊を招きかねないのに他の国会議員は危機感を持っているのだろうか。
 田原総一郎氏が自身の著書「日本の戦争」で書いたのは軍部のテロリズムに屈した戦前の政治の責任だった。これは恐怖による統治に屈した政治だが、昨今の仙菅ヤマト政治は無知故に政権の体を為していないので戦前の政治家よりも愚かだ。
 例え死すともイスカンダルに行ってコスモクリーナを入手するって大儀を持った宇宙戦艦ヤマト。沖縄に片道燃料(諸説ある)で特攻し陸砲台と化して打ちまくる(弾薬が尽きれば死しか残らない)覚悟の戦艦大和の出撃。一方「総理のイスにしがみつくのが使命」の仙菅ヤマト。あきれるほどの志の低さを国民は嘆くばかりだ。
 そもそも仙菅ヤマトは政策に一貫性が無い。急に消費税増税を言ってみたり引っ込めたり。「暴力機能」と言ってみたり謝罪したり。新聞記事をメモに質問するなの野党時代の自分たちへのブーメラン。国会運営の手法としての法務大臣の実質的更迭。領土問題を解決すると言いながらの尖閣諸島で撮影されたビデオの開示非開示。
 政治家はブレがあってはいけない。何故なら選挙で訴えた事を実現するのが有権者への責務だ。当選後、その政策を変えるのであれば十分な説明責任と結果責任を担わなくてはいけない。
 だから前言を撤回するような発言は政治家としての品格の無さを如実に表している。志が無い政治屋なのだ。イスカンダルへ向かうために万難を排した宇宙戦艦ヤマトに比べ仙菅ヤマトはブレブレで漂流を続ける幽霊船と化している。それは芯である「志」が欠如しているからだ。
 日本の最大不幸は仙菅ヤマトだ。最大不幸社会形成の象徴が仙菅ヤマトだ。

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2010.12.03 Mint