改めて、若手大連立を考察する

政策論議皆無の民主党政権
 与党と野党が政策を巡って揉めているのなら建設的だが、民主党の勢力争いのために身内で揉めているのでは国民不在の国会でしか無い。実際に初めての独自予算編成に挑む民主党って気迫が感じられないのは、予算のつじつま合わせだけで、日本をどのようにするのか。そのためには何処に予算を配分するのはが語られない。
あたかも、予算編成が家計簿の辻褄合わせに陥っている。
 企業でも予算編成による経費計画を導入してる所が多いが、予算ありき、そして予算内に収まることが予算編成の目的では無い。特に、経費的部分は本来ゼロにならないかが出発点であり、むしろ、予算をどの分野に重点配分するかが経営の思想であり、来年度の目標でもある。予算は配分するものでは無い、編成するものなのだ。その予算編成で来年の事業の骨格が見えてくる。その来年の骨格を描くことが経営なのだ。
 今の菅直人政権にあてはめてみると、まるで日本の来年の骨格が見えないのは、まさに経営が出来ていない証左だ。
 江戸時代で言えば、藩の財政は破綻し商人からの借金は今後も拡大することが解っているのにも係わらず、跡目相続問題で一向に財政に踏み込まない三流の藩の様相を呈している。
 この国の負の連鎖は政権交代以降確実に雪だるまのように坂道を転げ落ちながら肥大化している。

政党の党利党略の殻を破るとき
 日本の政党政治の歴史は古いが、戦前の政党はリーダが居てそこに終結する意味合いが強かった。旧来の自民党で言えば領袖である。それが組織としての政党に変化し、領袖の集まりとしての政党として変化してきた。戦前の軍部の台頭の一因に政党が領袖の集合故に意見の統一を目指すあまり大政翼賛会になった政治の衰退があったのだと思う。
 また、マスコミ批判をする訳では無いが、日本では新聞は明治の時代の政党の機関誌にそのルーツがあり、公明正大な新聞よりも立ち位置を明確にした新聞であるべきだ。一方、放送は中立性を放送法で義務づけられているので、新聞と違ったスタンスで報道する必要だあるが、資本や人材を含めて新聞社がバックにある現在の仕組みでは往々にして放送も中立性が失われる要因になっている。
 現在の日本の政党は初期の領袖の制度に近い。小さいとは言え、みんなの党、国民新党、たちあげれ日本、改革クラブ、新党日本、たちあがれ日本等である。
 これらは新興政党だが、旧来の政党と比べて小さいが領袖の顔がはっきりしている。
 以下に比べてみると明らかだ。
民主党(民主)鳩山 由紀夫
自由民主党(自民党)谷垣 禎一
公明党(公明)山口 那津男
社会民主党(社民党)福島 瑞穂
国民新党(国民)亀井 静香
みんなの党(みんな)渡辺 喜美
改革クラブ(改革)渡辺 秀央
新党日本(日本)田中 康夫
代表の顔と政策が明確なのは後半の新興政党で旧来の政党が代表の顔も不明確で政策も何処が他の政党と違うのか良く解らない。
 上記は政党助成金交付政党だが、これに「たちあがれ日本」の平沼 赳夫氏と与謝野 馨氏が加わる。
 方や自由民主党代表の谷垣 偵一氏、民主党の鳩山由紀夫氏、公明党の山口 那津男氏の存在感はどうだろう。1ランク後退する。
 それは、創業者精神が他の少数政党にあって、3代目のボンボンが旧来の政党から感じられるためだろう。企業でも政治でも操業の精神を維持し続けることが組織の存在事由であり、それを失った組織は衰退の道を辿るのだ。

若手とは年齢では無く精神
 政治家にとって一番の創業者精神は「政治を使って日本を変える」こと。大集団の一員に組み込まれると陣笠議員化してこの創業者精神を忘れる。そして「政治家を続けることが肝要」となってしまう。その代表が「総理大臣であり続けることが政治」と考えている菅直人首相だろう。
 ここで言う若手は創業者精神の有る政治家だ。組織は以下のように始まる。
 大局観が同じ者が集って集団を形成する。やがて個々の小局の場面で意見調整が進み小集団の連合組織になる。小集団の利害が一致せず対立構造が起きる。対立が激化し内部分裂が起こる。そして、最後は四散して元のもくあみに戻る。
 これは天文現象である星の一生と似ている。集う引力の方向性(ベクトル)が違うと星は四散する。
 しかし、まず、大局観を同じくするものが集うべきだ。それは旧来の細分化された領袖の集合体である政党ではできない。「和をもって尊し」のベクトルでは無く、和より戦いによって人間は進歩するって精神だ。
 新興政党には顔がある。その顔通しが旧来の付き合いの中で形成した好き嫌いで相手を評価しているのなら顔を変えてもよい。政治家に課せられた責任とは大局的なもので、日本丸の舵取りそのものである。まず、舵を握らなくてはいけないので新興政党を作ったのだろう。それではその目的に向かって知恵を出すべき段階に来ている。守旧の政党は内部分裂かすっかり冷え切っている。これを順風に次のステップに踏み出すべきだろう。
 幸いネジレ減少で比較的少数でもキャスティングボードを握れる状況にある。よもやの大政翼賛会である大連立は小沢一郎氏問題に拘る民主党執行部からは出ない。このタイミングで新興政党が先んじて大連列を行えば、何時になるか解らないが選挙では一定の支持を集める土俵となる。
 政治は数の論理と扱われたが、先の政権交代は数の論理は結果として付いてきたもので、本質は自民党的な政治制度の制度疲労である。そして、政権交代した民主党が国民の期待はずれなのは、既に民主党も守旧政党として制度疲労を起こしていた証左だ。この両者が大連立しても延命工作でしか無い。国民はすでにそこまで見切っている。

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2010.12.22 Mint