税収に見合う国家運営が基本
前段で税収の変化の要因を調べてみたが、ここでさらに前段の税収の落ち込みと政策についても考えてみる。一般企業で売上高が半分になれば企業の存続は難しい。
債務超過に陥って倒産って事態になるだろう。でも企業は社会の公器の側面もあるので何とか食いつないで行かなければならない。これが松下幸之助氏が唱えた「ダム式経営」である。短期間の景気後退には内部留保で補填し経営を立て直す。同じく松下幸之助氏は「好況これよし、不況これもまたよし」と述べている。これは不況の時ほど企業の贅肉を見直しそぎ落とす好機だとの意味だ。企業は存続のために強気の投資も必要であり、また、弱気では無いが体質の見直しも必要だとのことだ。
これを国家財政の運営と比べてみると、食いつなぐ内部留保が国家財政には無い。単年度決算で「入りを知りて出を計る」だけの会計なので食いつなぐ財源がない。そこで赤字国債の発行で借金するのだが、一般企業のように銀行の貸し渋りも無く借金できる。また、借金の返済は「そのうち誰かが考えれば良い」と当事者意識は生まれない。国家財政はシビリアンコントロールが効かない軍隊みたいもので、無責任に運営される。
で、一般企業での営業活動の強化なのか消費税の増税論が出てくる。しかし、日本の景気を回復させ元の税収に戻す努力が本来国家が行う税収に対する「営業強化」なのではないか。
税収増加は数多くのパラメータにより構成される。消費税増税は単細胞過ぎる。
貿易立国は過去のビジネスモデルか?
為替をいじらなくては税収増に結びつかない。法人税は各企業が上げた利益から徴収される。企業が利益を上げられなければ法人税は減収する。何もこの時期に5%程度の法人税減税を行わなくても国策として為替レートを5%上げれば企業の利益は確保される。企業の利益を上げることが政策であり法人税減税では単細胞過ぎる。
日本が戦後経済の原動力としてきた物づくりによる輸出産業は時代に合わなくなったのか? 現実には輸出産業の安く原材料を輸入し加工し高く売るは難しくなっている。そもそも原材料が発展途上国の生活水準の上昇により高騰している。昔の植民地まがいの原材料買い付けは出来ない時代に入っている。また、世界的なエネルギー需要の逼迫も加工原価の高騰を招いている。そして「高く売る」は現在の円高で達成が難しい。
では、貿易立国はビジネスモデルにならないのかと言うとそうでは無い。
かつてアメリカが日本の工業製品により貿易赤字を増大させていた時代、同じ土俵で戦った自動車メーカーのGEやクライスラーが倒産したが、一方ではマイクロソフトやgoogle、appleに代表される別な土俵での戦いでは世界的な勝利(シェア)を有する産業が生まれた。日本も中国に第二位の経済大国の座を明け渡した今、中国と同じ土俵で戦っている産業は第二のGEやクライスラーになる。
アメリカ的な貿易立国を目指す産業政策が必要だ。同時に貿易立国には為替のコントロールが政治的に必要だ。この2本柱が最終的に税収増に結びつく。税収は経済の結果だ。
白洲次郎氏が通産省を作って日本の産業を国策として復興させたのと同じだ。当時の官僚は官民一体の経済政策を行ってきた。現在、菅直人内閣はこの視点が欠如している。「国民の生活が第一」ならば円高による疲弊した日本の貿易を立て直すことだ。内需だけではデフレを脱却できない。せめて、2005年(わずか6年前だ)の経済指数に戻すべきだ。短期的には為替をいじれば戻れるし、長期的には産業構造の変革に着手すべきだ。
麻生太郎氏の秋葉へマンガ館は意外とこの方向になったかもしれない。ロンドンでの日本の漫画の単行本は日本円にして1冊1000円ほどなのだから。アニメも立派な輸出産業である。