結局「大きな国家」を目指す民主党
民主党の選挙戦でのマニフェストは既に破綻しているが、民主党の掲げていた「小さな政府、地域主権」も破綻寸前である。
与党の望むものと野党の望むものの違いが如実に表れているのがこの「小さな政府、大きな政府論議」だ。目指すものの違いだろう。野党は大きな与党を作りたくない。そのためには与党の利権が拡大しないように「小さな政府」を望む。しかし、一旦自らが与党になれば利権の拡大のために「大きな政府」を指向してしまう。
地方分権も同様で中央集権を進めたほうが与党はより多くの利権を入手できる。この原理原則を世襲せずに政策を進める力量が民主党に無かったってのが今の真逆政治による国民の「期待はずれ」だろう。
昔、これと逆な巧緻な政策を行ったのが中曽根康弘総理の国鉄、電信電話公社の民営化路線である。当時の社会党の母体である労組を正面からでは無くて別な切り口で弱体化させ、野党の勢力を減衰させた深慮遠謀が中曽根康弘総理が期待した民営化路線である。
一部では「民主党の自民党化」と言われているが根底には「結局、政治家って奴わぁ!」と国民に言わせる民主党と自民党の「同根の部分」が前面に出てしまったのだ。
しかし、ここに来て地方の動きがおもしろい。「大きな政府」を作るよりも地域主権(適語は「主権」では無くて「主導」であり、地域主権では日本は連邦国会を目指すことになる)を推し進める勢力が台頭してきた。
愛知県と名古屋市の選挙では既存政党にダブルスコアの差を付けて地域政党(もしくは私党)が代表を組長に当選させた。また、大阪府の流れもあるし、原口一博元総務大臣も佐賀で「佐賀維新の会」、全国で「日本維新の会」を旗揚げした。これら既存の政党によらない団体の統一地方選での活躍が見物だ。
これらは党分は「地域主権」の流れであり、政治的には中央政治からの独立である。これって、江戸時代の藩のありようと似ている。日本の政治形態が中央集権から離れていく前兆かもしれない。
もっとも、中央政府は金で縛り付けて反乱を抑えるだろうが。
ネジレ国会の最大不幸は国民
国政のリーダーシップが薄れるときにネジレ国会が発生する。国民は確固たる日本国像を持たない立候補者達に対して選択の基準が確立できない。対立軸を明確にして選挙戦を戦うリーダーシップが無いのだ。対立軸が無ければ仲良くやれば良いのだけれど、意地で戦術で対立を続ける。
まこと不可思議な話で、方針や戦略で大差が無いにも係わらず、国会運営って戦術で対立する。これでは政治家が政治遊びをしているだけで国民の預託を受けて立法府を構成するべき政治家の国民に対する裏切りである。
選挙で当選することばかりに熱心で政治音痴になった政治家だけが生き残ったってことかもしれない。
政治の選挙は5度おいしい。同じ地盤が衆議院、参議院、知事選、組長選、議会議員選で使えるのだ。だから、地方議会議員と衆議院議員、参議院議員の横の提携は密だ。しかもこれを縦に串刺しにする中央政党が存在する。
しかし、前述のように地方議会に中央政党の串刺しが通用しなくなれば。5度おいしい地盤が機能しなくなる。選挙での当選だけが目的の国会議員は地方政党の主張を呑まざるを得ないだろう。そして、任期満了時には政治活動の結果が評価される。
この「結果責任」こそが政治が果たさなければならない役割で、決断もせず、行動もせず全て先送りにすることは許されない。その意味でネジレ国会で何も前に進まないからと何もしないのは許されない。
菅直人総理も「本気度」を見せて支持率を回復したかったら、まず、国会議員の定数削減を行え、話はそれからだ。